女性を取り巻く雇用環境は以前にもまして厳しい。日本ではいくら頑張ったところで、納得できる職に就くのは難しいのが現実だ。ならば、それまでの社会経験と語学力を生かし、いちかばちか海外で就職してしまおう、というわけだ。

女性的雇佣环境比之以前更加严峻。在日本,无论多么努力要担任令人满意的职位还是很难,这是现实。那样的话,就运用此前的社会经验与语言能力,赌一赌到海外谋职算了。

人気があるのはタイやシンガポールなどのアジア圏。世界的不況で商社や鉄鋼メーカーなどの募集は激減したが、ホテルやレストランなどのサービス業や中小企業事務職、日本企業のコールセンターなどの働き口はまだ多い。「とくにコールセンターは、近年日本からタイ、インド、中国などに拠点をシフトしており、現地採用が急増している」という。

最受欢迎的是泰国和新加坡等亚洲国家。尽管由于世界性经济衰退使得商社和钢铁厂等招聘急剧减少,可宾馆、饭店等服务业以及中小企业的办公职务、日企的客服中心等的工作机会还较多。“尤其是客服中心,其据点在近年来逐渐转移到泰国、印度和中国等国,录用当地员工在急速增加”

たとえば、日本で一般事務の仕事をしていた20代女性は、中国に渡りコールセンターに就職。入社1年足らずでリーダーに昇格した。今後はさらに責任ある地位に就く予定で、上司とキャリアプランを立てている。ちなみに入社当初の給与は3500人民元。交通費や住宅手当も支給され、暮らしぶりはまあまあといったところだ。

比如,在日本从事普通办公工作的20多岁的女性,到中国的客服中心任职。进公司还不到1年就升迁到了领班。预定今后还会就任责任更高的地位,在和上司制定职业规划。顺便一提,她刚进公司的工资是人民币3500元。还有交通费和住房补贴,生活质量可以说还过得去。

だが、必ずしもサクセスストーリーが待っているとは限らない。読みの甘さから行き詰る女性も少なくないのが現実だ。

可是这里并非只有成功的故事。现实中,很多女性都因为想法天真而遭遇瓶颈。

インターンシップ制度を利用し、シンガポールの企業に就職した20代女性は、インターンシップ先の企業にそのまま就職することを希望した。だが採用されず、まったく業種の違う企業で働くことに。給与は月25万円ほどと悪くはないが、仕事内容には納得がいかない。ビザが切れればこのまま帰国することになる。今の仕事を生かして日本で就職するのは気が進まない。

利用实习制度,在新加坡企业就职的20多岁的女性在企业实习的时候期望就此在该企业就职。可去天不遂人愿,最后在完全不同的企业工作。月薪25万日元的样子,倒还不算差,可工作内容就不敢苟同了。签证一到期就得卷铺盖回国。利用现在的工作经验在日本就职可让人很郁闷。

オーストラリアの貿易会社で働いていた20代女性の前途も多難だ。ワーキングホリデーでの渡航だったため、入社時の給与は月15万円ほどだった。それでも海外生活は楽しく、ほどなく現地の男性と恋に落ち、子どもを出産する。しかしその後ビザが切れ、自分だけ帰国することに。地元にはキャリアを生かせる職場はないうえ、子育てもしなくてはならない。今のところ無職の状態だ。

在澳大利亚的贸易公司工作的20多岁的女性也是多灾多难。由于她是通过工作假期过去的,进公司时的月薪是15万日元左右。即便如此海外生活也多姿多彩,没多久就跟当地的男性陷入爱河,并生了孩子。可之后签证到期,只能独自回国。在当地不仅没有适合的企业,还得养育孩子。现在处于失业状态。
译注:工作休假(Working Holiday)是指两国根据协定,为让青年能在不同文化中(对方国家)休假,在一定程度上认可进行一定的劳动来填补滞留期间所需资金的签证及出入境管理上的特别制度

「しっかりしたキャリアプランを立てず、思いつきで海外就職に踏み切ってしまうと、あとあと不安や悩みを抱えてしまいがちですね。就労ビザが取得できない、帰国後の就職保証がない、などなど――。しかし、それでも彼女たちの『もっと誰かの役に立つ仕事をしたい』という思いは根強いようです」

“不订立好职业规划,随兴所至就踏上海外就职的路,之后常常会不安或烦恼。无法取得就业签证,回国后也没有就业保证,等等——可是,即便如此她们那种‘想要做能帮到别人的工作’的想法是根深蒂固的”

フットワークの軽い若い女性たち。リスクはあっても、彼女たちはいさましく東京を飛び出していく。