「おらこんな村いやだ 東京へ出るだ」と吉幾三が唄ったのは20数年前。最近は「こんな村社会はいやだ」と東京を離れる若者が少なくない。

吉几三20多年前唱过“我不要留在这种村子,我要去东京”。最近则有不少年轻人叫道“我讨厌这种村落社会”而离开东京。

彼らが向かう先は海外。不景気の憂さを忘れるため旅行するわけではない。国外で就職、あるいは起業する人々が増えつつあるのだ。

他们的目的地是海外,不是为了忘却经济衰退的忧虑去旅行,而是在海外就职或是创业,这样的人在不断增加。

日本総合研究所主任研究員・藤波匠さんは次のように話す。

日本综合研究所首席研究员藤波匠先生如下说到。

「総務省の人口推計によると、2007年10月~2008年9月までの1年間、日本人の国外流出数は10万人を超えました。過去20年間で最大の出国超過となっています。
一方で、企業の海外赴任者は近年減少傾向にありましたが、2008年秋の世界的な景気の悪化以降、その傾向をさらに強めており、海外赴任者の帰国が目立っています」

“根据总务省的人口推算,2007年10月~2008年9月的1年间,日本人流失海外数量超过了10万人。成为了过去20年间最大人口流出人数
另一方面,尽管企业派赴海外任职的人近年来已呈减少趋势,2008年秋季世界性的衰退以后,该趋势呈增强状态,海外任职者回国也引人注目”

2008年の外務省の統計によれば、海外の長期滞在者のうち、企業関係者は1年間で約1300人減っている。かわりに自由業関係者はおよそ2000人増えた。また、永住者は約2万1500人も増加し、36万人を突破している。

根据2008年外务省的统计,在海外长期滞留者当中,企业相关人员在1年里减少了约1300人。相对的自由职业的人则增加了约2000人。此外,永久居民增加了约2.15万人,总人数突破36万。

「とくに20~40代と比較的若い世代で出国超過が目立ちます。今後も、企業の海外赴任によらない人口の海外流出は増えるでしょう」

“尤其是20~40多岁比较年轻的一代流失国外引人注目。今后不亚于企业海外赴任的人口将流失海外吧”

景気低迷で就職事情が冷え込む中、脱・東京を図り、海外就職をめざす若者とはいったいどんな人たちなのか――。現場に聞いてみた。

在经济衰退导致就业困难的情况下,试图脱离东京,转而谋求在海外就职的年轻人到底是怎样一群人呢——我在现场进行了询问。

“日本人ブランド”で
勝負するすし職人たち
「飯炊き3年握り8年」

打着“日本人品牌”拼搏的寿司师傅们
“做饭3年捏寿司8年”

そんな古い常識をひっくり返す、新たな潮流がすし業界で起こっている。長くて1年~1年半、調理経験者なら1カ月ですし職人として一本立ちし、海外へ出ていく若者たちが続出しているのだ。

而颠覆这种传统常识的新潮流在寿司界兴起。最长1年~1年半,有烹饪经验的人只需1个月就能作为寿司师傅独立,并转战海外,这样的年轻人不断涌现。

短期間ですし職人を養成するのは「東京すしアカデミー」。年間に100名以上の卒業生が海外で就職、あるいは起業するという。多くは20~30代の若者たち。就職氷河期世代が中心だ。大企業のビジネスマンもいるが、フリーターや非正規労働者も多い。女性も2,3割いる。渡航先はヨーロッパやアジアなど、およそ50カ国と幅広い。

而“东京寿司研究会”就是在短期内培养寿司师傅的地方。据说每年有超过100名毕业生在海外就职或是起家。大多是20~30多岁的年轻人,主要集中在就业冰河期一代。其中也有大企业的商务人士,以及很多自由职业者和非正规劳动者。女性也占到了2、3成。目的地广及欧亚等举凡50多个国家。

「昔は“すし職人は10年近く修行してようやく一人前”と言われていました。将来は独立して店を持ち、一国一城の主になれるという夢が描けたからこそ、若者も辛抱できたわけです」

“过去常说‘寿司师傅要10年修行才能独当一面’。梦想着将来能拥有自己的独立店铺,也能拥有自己的天地,正因为如此年轻人才能忍耐辛苦”

だが、今の業界事情は一変している。イタリアンやアジア料理など、外食店の種類も増え、すし店の存在感はかつてとは比べようもないほど薄れてしまった。さらに、回転すしチェーンやパックすしなどの台頭で、競争も激化している。こうした業界にあって、若者が店を持つことは簡単ではない。

然而,现今该行业的情况已截然不同。像意大利及亚洲料理等餐饮店种类增加,寿司店的存在感变得薄弱,和往昔不可同日而语。加上回转寿司连锁店以及袋装寿司等的抬头,竞争也更为激烈。处在这样的行业里,年轻人想要开自己的店并非易事。

そこで脚光を浴びているのが海外の舞台だ。米国では以前ほどの人気はないものの、欧州の日本ファンや新興国の富裕層にとってすしの魅力は大きい。すし職人は、“日本人”というブランドを生かせる数少ない職業といえる。

于是海外市场受到了关注。尽管寿司在美国不如先前般受欢迎,可对欧洲的日本迷以及新兴国家的富裕阶层来说魅力却很大。寿司师傅可说是少数几个能利用“日本人”这个招牌的职业。

しかも、すし店では客の前で魚をさばき、握ってみせるパフォーマンスがサービスのひとつとなっている。外食産業に広がるオートメーション化の波に呑まれることもない。起業する場合も小資本ですむ。

而且,寿司店里要在客人面前料理鱼,展示给客人看,这也是服务之一。并没有受到扩展到餐饮行业的自动化所侵蚀。开店的时候也只需要较少资金即可。

フランス・リゾート地にある一流すしレストランでマネージャーとして働く、もと派遣社員の女性。職を転々とした揚句、すしビジネスでの起業を決意、ポーランドですしのケータリング会社を立ち上げた男性。収入は国によっていろいろだが「日本のすし店に勤務するのと同等か、1.5倍くらいが相場。起業家の中にはビルを建てるような大金持ちもいる」(福江代表)という。

原为派遣社员的女性现在法国观光地的一流寿司店担任经理。在波兰创立送餐公司的男性在多次转职后决定进行寿司生意。尽管收入在不同国家有差异,据说“行情大概跟在日本的寿司店工作相同,或者是1.5倍收入的样子。创业者当中也有建起了大楼的大富翁”(福江代表)。

すしの持つ可能性に目覚めた若者たちが、技術を身につけ、世界へと飛び出してゆく。大企業のホワイトカラーになることだけが成功モデルだった時代はもはや終わりなのかもしれない。

意识到寿司的可能性的年轻人们,学会技术,走向了世界。成为大企业白领就是成功模式的时代大概已经终结了吧。