夢野久作(ゆめの きゅうさく

(1889年1月4日~1946年3月11日)

代表作:『ドグラ・マグラ『瓶詰の地獄』『少女の地獄『押絵の奇蹟』

生平:梦野久作出生于福冈县福冈市,因父母离异,从小由祖父杉山三郎平抚养,学习诗经、易经等古代文学,祖父死后,度过了被同父异母兄弟们孤立的孤独少年时代。1911年进入庆应义塾大学预科文学科,1913年在父亲的命令下退学,j经营福冈的农园但失败。1915年在喜福寺出家,改名杉山泰道前往奈良京都等地修行佛法。两年后还俗经营农园。1926年处女座《妖鼓》刊登在杂志《新青年》上,并开始创作《脑髓地狱》的初稿《狂人的解放治疗》。1929年发表的《押绘的奇迹》得到江户川乱步高度赞扬。1930年出任福冈市黑门三等邮局局长。1935年,构思创作长达10年的代表作《脑髓地狱》正式出版,同年父亲突然去世,梦野被迫承担其庞大的债务及向情人支付的赔偿等。1936年,在接待客人时因脑溢血突然辞世。

作品节选:

ドグラ・マグラ

…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。

私がウスウスと眼を覚ました時、こうした蜜蜂(みつばち)の唸(うな)るような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴の中にハッキリと引き残していた。

それをジッと聞いているうちに……今は真夜中だな……と直覚した。そうしてどこか近くでボンボン時計が鳴っているんだな……と思い思い、又もウトウトしているうちに、その蜜蜂のうなりのような余韻は、いつとなく次々に消え薄れて行って、そこいら中がヒッソリと静まり返ってしまった。
私はフッと眼を開いた。
かなり高い、白ペンキ塗の天井裏から、薄白い塵埃(ほこり)に蔽(おお)われた裸の電球がタッタ一つブラ下がっている。その赤黄色く光る硝子球(ガラスだま)の横腹に、大きな蠅(はえ)が一匹とまっていて、死んだように凝然(じっ)としている。その真下の固い、冷めたい人造石の床の上に、私は大の字型(なり)に長くなって寝ているようである。

……おかしいな…………。

私は大の字型(なり)に凝然(じっ)としたまま、瞼(まぶた)を一パイに見開いた。そうして眼の球(たま)だけをグルリグルリと上下左右に廻転さしてみた。

青黒い混凝土(コンクリート)の壁で囲まれた二間(けん)四方ばかりの部屋である。

その三方の壁に、黒い鉄格子と、鉄網(かなあみ)で二重に張り詰めた、大きな縦長い磨硝子(すりガラス)の窓が一つ宛(ずつ)、都合三つ取付けられている、トテも要心(ようじん)堅固に構えた部屋の感じである。

窓の無い側の壁の附け根には、やはり岩乗(がんじょう)な鉄の寝台が一個、入口の方向を枕にして横たえてあるが、その上の真白な寝具が、キチンと敷き展(なら)べたままになっているところを見ると、まだ誰も寝たことがないらしい。

文风及评价:梦野久作是当时日本文坛的一位异才,既长于写作侦探小说,其中的幻想色彩及官能描写亦十分出色,同时他还精通恐怖小说、儿童文学、诗歌、短歌等多种文学题材及形式。其个人经历也非常丰富,既做过和尚,又做过军官,还从事过记者的工作,为其写作提供了各种各样的素材和灵感。梦野久作经常在作品中使用独白体及书信体等特殊写作手法进行创作,代表作《脑髓地狱》的全书一半以上都使用了书信体来展开。小说内容大多怪奇阴暗,又多有恐怖情色元素,在《文豪野犬》中以其为原型的同名人物就被塑造为一个以杀戮为乐的奇怪少年。

>>更多日本文豪介绍

本内容为沪江日语原创,转载请注明出处。

相关阅读推荐:

日本近现代文学家小百科:梶井基次郎

日本近现代文学家小百科:夏目漱石