空き家問題[著]牧野知弘/「空き家」が蝕む日本[著]長嶋修

空房子问题[著]牧野知弘/被“空房子”侵蚀的日本 [著] 长岛修

[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)[掲載]2014年09月07日 [ジャンル]社会

[评论]隈研吾(建筑师·东京大学教授)[刊登]2014年9月7日 [范畴]社会

■人間が空間を私有するこわさ

■人类将空间私有的恐惧

2040年の日本では、10軒のうち4軒が空き家になるそうである。

2040年的日本将出现10栋房子4栋是空的。

ショックである。少子高齢化とか出生率の低下というと、何かヒトゴトで抽象的な社会現象に思えて、リアリティがない。しかし「町に空き家が溢(あふ)れる」と聞き、さらに、これが地方の過疎地だけの問題ではなく、東京も空き家だらけになるという科学的予想に接し、暗澹(あんたん)たる気分になった。読了して町を歩くと、空き家ばかりが目にはいってきて、東京が低層スラムにみえてきた。空き家率3割を超えると、途端に治安も悪化するらしいから、すぐ明日の話である。

真令人惊诧。说到少子高龄化、出生率低,这总让人觉得是别人的事、是抽象的社会现象,没什么实感。不过听说“城镇到处是空房子”时,而且还不仅是地方上人口稀疏的问题,连东京也都到处是空房子这种科学性预测,不免让人黯然神伤。读完该书上街散步,到处都看到空房子,东京就像底层的贫民窟。一旦空房率超过3成据说社会治安就会恶化,已然迫在眉睫。

原因についての分析も興味深い。高度成長が終わり、少子高齢化の低成長時代に突入しているにかかわらず、家を新築させることで、景気を浮揚させるという政策が惰性的に続いたこと。その政策に頼って収益をあげてきた民間企業も、政策に甘え、新しいライフスタイルに挑まなかった。この「戦後日本持ち家システム」とも呼ぶべきものがついに決定的破綻(はたん)を迎えつつあり、それが「空き家」という具体的な形で、僕らの目の前につきつけられたわけである。

与此相关的原因分析亦令人深思。随着高度经济增长结束,已进入少子高龄化的低增长时代,却通过盖新房来让经济虚增的惰性政策持续。依靠此政策提高收益的民企也过于依赖政府,未能挑战新的生活方式。这种称为“战后日本自家房产系统”最终迎来了决定性破灭,以“空房子”这一具体形态出现在我们面前。

しかも、ここには戦後システムの劣化という直近の難題を超えた、深い問題が顔をのぞかせているようにも感じた。人にとって、本当に「家」というハコは必要なのかという大問題である。「家」という高価なハコを所有していれば、とりあえず一人前であり、「幸せ」であることになっていたけれど、その「幸せ」の実態は何だったのか。さらにその先には、「家」という器のベースである「家族」の必要性、家族形態のあり方はこれでいいのか。さらに深掘りすれば、人間が空間という曖昧(あいまい)で手のかかるものをそもそも私有できるのか。私有してどんないいことがあるのか。人類史の根本にまで、思考が到達せざるを得ないようなこわさがあった。

而且我感觉还有超过战后系统劣化这一直接难题,更深层次的问题也展现了出来。即人们是否需要“家”这个大箱子。一旦拥有“家”这个昂贵的大箱子,就仿佛能独当一面,貌似获得“幸福”,这种“幸福”的实际情况又是什么?更进一步来说,“家”这一容器的基础“家庭”的必要性,家庭形态的存在方式这样就好了吗?再挖深一点来说,人类对于“空间”这一暧昧不清、又花工夫的东西是否真的能私有?私有又有什么好处呢?这就得让思考直达人类史的根源这一恐怖命题。

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