试读:

初めての駅

自由が丘の駅で、大井町線から降りると、ママは、トットちゃんの手を引っ張って、改札口を出ようとした。トットちゃんは、それまで、あまり電車に乗ったことがなかったから、大切に握っていた切符をあげちゃうのは、もったいないなと思った。

そこで、改札口のおじさんに、「この切符、もらっちゃいけない?」と聞いた。

おじさんは「ダメだよ」というと、トットちゃんの手から、切符を取り上げた。トットちゃんは、改札口の箱にいっぱい溜まっている切符をさして聞いた。「これ、全部、おじさんの?」

おじさんは、他の出て行く人の切符をひったくりながら答えた。「おじさんのじゃないよ、駅のだから」

「へーえ……」トットちゃんは、未練がましく、箱を覗き込みながら言った。

「私、大人になったら、切符を売る人になろうと思うわ」おじさんは、はじめて、トットちゃんをチラリと見て、いった。「うちの男の子も、駅で働きたいって、いってるから、一緒にやるといいよ」トットちゃんは、少し離れて、おじさんを見た。

おじさんは肥っていて、眼鏡をかけていて、よく見ると、やさしそうなところもあった。「ふん……」トットちゃんは、手を腰に当てて、観察しながら言った。

「おじさんとこの子と、一緒にやってもいいけど、考えとくわ。あたし、これから新しい学校に行くんで、忙しいから」そういうと、トットちゃんは、待ってるママのところに走っていった。そして、こう叫んだ。

「私、切符屋さんになろうと思うんだ!」ママは、驚きもしないで、いった。「でも、スパイになるって言ってたのは、どうするの?」トットちゃんは、ママに手を取られて歩き出しながら、考えた。

(そうだわ。昨日までは、絶対にスパイになろう、って決めてたのに。でも、いまの切符をいっぱい箱にしまっておく人になるのも、とても、いいと思うわ)

「そうだ!」トットちゃんは、いいことを思いついて、ママの顔をのぞきながら、大声をはりあげていった。「ねえ、本当はスパイなんだけど、切符屋さんなのは、どう?」ママは答えなかった。

本当のことを言うと、ママはとても不安だったのだ。もし、これから行く小学校で、トットちゃんのことを、あずかってくれなかったら……。小さい花のついた、フェルトの帽子をかぶっている、ママの、きれいな顔が、少しまじめになった。そして、道を飛び跳ねながら、何かを早口でしゃべってるとっとちゃんを見た。トットちゃんは、ママの心配を知らなかったから、顔があうと、うれしそうに笑っていった。

「ねえ、私、やっぱり、どっちもやめて、チンドン屋さんになる!!」

ママは、多少、絶望的な気分で言った。「さあ、遅れるわ。校長先生が待ってらしゃるんだから。もう、おしゃべりしないで、前を向いて、歩いてちょうだい」

二人の目の前に、小さい学校の門が見えてきた。

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