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現代日本語における文章語の標準的な形である「である」体および「だ」体は、明治の言文一致運動の中で確立された表現様式である。それまで、日本語の文章言葉としては、平安時代に確立された、「なり」、「たり」を基調とする古文と、漢文の訓読を基礎とする漢字書き下し文が中心であり、そのほかに「候文」が手紙の中で用いられてきた。これらの言葉は文語と称されて、日常の言葉である口語と対立してきたのであったが、両者の乖離があまりにも深まり、もはや文語をもってしては、微妙な表現がなしがたいという反省の上に立って、文学者たちによる意識的な努力の結果確立されたものだったのである。今日では、日本語による文章表現の基本となっており、いわば日本語の背骨ともいうべきものだ。

“である”体和“だ”体是现代日语中书面语的标准形式,这种表达范式确立于明治时代的言文一致运动中。在此之前,日语书面语的中心是确立于平安时代、以“なり”和“たり”为基调的古文以及以汉文训读为基础的汉文训读体,此外,还有用于书信的“候文”。这些语言都被称作“文语”,与日常人们所用的口语是不一致的,到后来两者的对立愈发不可调和,文语的使用已无法满足表达细腻感情的需求,对此文学家们在作出反省后,有意识地进行了一系列尝试,最终确立了现代的标准语体。现在,“である”体和“だ”体已成为日语书面语表达的根本形式,可以说是日语的支柱。

この辺の事情は、ルターが聖書をドイツ語に翻訳するに際して、ドイツ語圏内でさまざまに用いられてきた言葉の中から、規範となるものを抽出して、新たな表現様式を生み出した過程と、ある意味で似ているといえなくはない。

马丁路德将拉丁文《圣经》翻译为德语时,曾从德语圈里各种常用的词语中,选取了一些比较规范的词语,由此衍生出崭新的表达形式。在某种意义上,这个过程,与日语现代书面语的发展是相似的。

明治の文学史の中で、始めて口語で書かれた作品は、二葉亭四迷の「浮雲」(明治20年)である。今日の読者にはまだ堅さが感じられる文体であるが、従来の文語とは全く異なるもので、それが巻き起こしたというセンセーションも、わかるような気がする。文体を子細に見ると、ほぼ今日の「だ」体と同じである。二葉亭はこの小説を書くに当たって、三遊亭円朝の「口述筆記」を参考にしたという。円朝は、自らの創作した物語を、当時の民衆の言葉をもって語ったといわれるが、そこに用いられた言葉遣いが、文学者たちに影響を与えたのであった。

在明治文学史中,首先用口语写作的作品是二叶亭四迷的《浮云》(明治20年)。尽管在今天的读者看来,他的文体依旧显得有些生涩,但相比过去的文语却已是脱胎换骨之物,因此在当时引起的轰动是不言而喻的。仔细品读《浮云》的文体,会发现它与今天的“だ”体大致相同。据说,二叶亭在写作这部小说时参考过三游亭圆朝的《口述笔记》。相传,园朝使用当时民众的语言演出自己创作的落语,其中所用的措辞就给文学家们带来了很多启发。

「である」体の方は、尾崎紅葉によって、始めて試みられた。紅葉は「二人女房」などの作品で実験を重ねながら、「多情多恨」(明治29年)で、「である」体の文をほぼ完成させた。「だ」体のほうが、民衆の言葉に根を有していたのに対して、「である」という言い方は、話し言葉で多用されていたとは思われず、ある意味で人工的な匂いを有していたのであったが、その後の日本語の文章表現においては、主流となっていった。

“である”体是由尾崎红叶首先进行尝试的。红叶通过《两个老婆》等作品反复试验,终于在明治29年的《多情多恨》中确立了“である”的文体。与在大众语言中有一定根基的“だ”体不同,“である”这种文体在口语会话中并不常用,某种程度上它带有人为的印记,但尽管如此,在此后的日语书面语中,“である”体成为了主流。

尾崎红叶《金色夜叉》中的名场面

「である」は、「にてあり」の変化した形である。その点で、「にあり」の変形たる「なり」とほぼ同義の意味合いを有する。また、「とあり」の変形たる「たり」とも重なるところがあって、断定や様態を表す助動詞としては、極めて応用範囲の広い、都合のよい言葉といえる。

“である”是“にてあり”变化后的形式。就这一点而言,它与由“にあり”变形而来的“なり”基本上具有同样的意义。另一方面,也与由“とあり”变形来的“たり”有相似点,作为表达断定及样态的助动词,“である”适用范围极广,可以说是一个很理想的词语。

「だ」もまた、「にてあり」が変形してできたものと思われる。「にてあり」が「であり」となったり、「んだり」となったり、「であ」となったり、音便の相互作用の中から、「だ」という表現が定着していったのではないか。「だ」の異形として、「じゃ」や「や」があるが、これも同様の音便作用の中から、出てきたものと思われる。

“だ”也是从“にてあり”变形而成。“にてあり”变为“であり”,接着变成“んだり”,进而发展为“であ”,“だ”这种表达正是在音变的相互作用中逐渐固定下来的。另外,“だ”的异体“じゃ”与“や”也应该是经过同样的音变作用形成的。

日本語の話し言葉のなかで、「なり」が使われなくなってから、その代替役を長い間務めてきたのは「そうろう=そーろー」であった。この言葉は、古代においては「さむらふ」とか「さうらふ」と書かれ、状態をあらわす動詞であったが、中世以降には助動詞のような感覚で用いられるようになり、断定や様態など広い用途に使われた。

在日语的口语中,自“なり”渐不被使用后,很长时间里担当替补的是“そうろう=そーろー”。这个词在古代写作“さむらふ”或“さうらふ”,原是一个表状态的动词,中世以后逐渐具有了助动词的功能,广泛用于表达断定和样态的语义。

この「そーろー」が日常言葉の中で、次第に用いられなくなったとき、次の世代として登場したのが、「だ」や「じゃ」のような新しい言い方だったのではないか。

当“そーろー”在日常用语中逐渐消逝时,作为下一代登场的便是“だ”和“じゃ”这些新的表达了。

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