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日本語に限らないことですが、ことばには意味をたくさん持ったものと、ほとんど単一の意味しか持たないものがあります。

在语言中,既有含义颇为丰富的字词,也有意思几近单一的,当然不仅仅限于日语。

「生」ということば(名詞であり接頭語でもあります)

“生”这个日语(既是名词也是接头词)

「生」とは本来、と言うか辞書の最初に載っている意味としては「調理していない」ということだと思います。いや、「調理」と言ってしまうと単に包丁で切ることも含まれてしまいますので(もしそうなら刺身は生ではないことになってしまいます)、「加熱処理していない」と言いましょうか。もっと平たく言ってしまうと「素材そのままの」と言い換えられるかもしれません。

“生”的原意、或者说写在辞典最开头的那个意思应该是“未经加工”。不对,用了“加工”一词的话,便也包含了光用刀切之意(这样一来生鱼片就不算生的了),不如称其为“未经加热处理”吧,要说得更明了点的话,也许可以换个说法,叫做“原汁原味的”。

「国民の生の声」などという時の「生」は、「加熱処理していない」からの比喩で、「間に特定の人や機関を介在させて何らかの処理をさせておらず、作為や誇張がない」という意味になります。

像“国民の生の声(国民真实的心声)”这类表达中的“生”字,是引申自原意即“未经加热处理”,指的是“未让特定的人或机构介于其中做什么手脚,无虚构、夸张成分”。

「生の声」「生身」「生の姿」「生演奏」「生放送」などと、「生」本来の意味を食品以外に比喩・拡大したものについては、(「元の素材そのまま」という意味で)あまり違和感もなく想像がつくのですが、どうも食品に使われるとなんかひっかかってしまうのです。

在“生の声(真实的声音)”、“生身(真人)”、“生の姿(真实的姿态)”、“生演奏(现场演奏)”、“生放送(现场直播)”等词语中,“生”字原意被加以引申、放大并用于描述除食品以外的东西,(意为“原汁原味”)关于这点大家都能自然地联想到,但要是将其用于食品方面,总让人觉得有些不太释然。

食品で言えば「生ビール」以外に「生乳」「生クリーム」「生ハム」「生酒」「生水」「生味噌」「生醤油」「生餡」「生麩」などがあり、これらはいずれも「何らかの処理をしていない」食品・飲料なのですが、それぞれにどんな処理をしていないかがバラバラで、その辺りが私としては気持ち悪いわけです。

说到食品,除了“生ビール(生啤)”以外,还有“生乳(生乳)”、“生クリーム(鲜奶油)”、“生ハム(生火腿)”、“生酒(原酒)”、“生水(生水)”、“生味噌(生味增)”、“生醤油(生酱油)”、“生餡(生馅)”、“生麩(面筋)”等,这些都是“没有做过某些处理”的食品、饮料,至于到底没做过什么处理其实也是各有不同,关于这点我个人觉得理解起来有些烦躁。

この手の使い方は「生ゴム」とか「生コンクリート」とか食品以外にもいろんな用語の中にも存在します。これらも多分、なんらかの「処理」をしていないということなのでしょうが、それぞれの「生」の正確な意味や定義については、それを扱っている業界の人以外はほとんど知らないのではないでしょうか。

这种用法同样存在于“生ゴム(生橡胶)”、“生コンクリート(生混泥土)”等食品以外的各种词语中。它们大概也是没经过某些“处理”的,只是其各自带的这个“生”字的准确意思或定义,我想除了业内人士很少有人知道吧。

その一方で、「生」には「中途半端な」という意味があります。「生煮え」「生焼け」「生茹で」「生乾き」「生かじり」「生殺し」「生返事」など枚挙に暇がありません。

另外,“生”还有“半途而废的”之意。像是“生煮え(半生不熟)”、“生焼け(未烤熟)”、“生茹で(未煮熟)”、“生乾き(未干透)”、“生かじり(一知半解)”、“生殺し(杀个半死)”、“生返事(含糊的回应)”等等,不胜枚举。

しかし、これもなんだか変ですよね。一方で「何も手を施していない」という意味の「生」があるのに、その一方で「中途半端に手を施した」「効果が中途半端なところで終わっている」という意味の「生」があるなんて。まあ、どちらも「完全に処理をした」の対義語だと思えば説明はつくのですが…。

不过这也总觉得有些怪呢。“生”这个字一边是“什么都没动过”之意,一边又是“做到半途而废”、“效果还没完全显现就停止”之意……当然,若将它们都视为“处理完毕”的反义词的话,倒也能说通……

また、「中途半端」と同じ括りに入るとは思うのですが、「中途半端」という訳では少し中途半端で、「なんとなく」としか言いようのないものもあります。「生あたたかい」「生ぬるい」「生恋しい」「生白い(なまっちろい)」などがそれで、まあ「なんとなくあたたかい」とも言えますし、「あたたかいというほどあたたかくはないのだが、やっぱりどこかあたたかい」とでも言うような微妙な感じを、この「生」がよく表しています。

另外,还有的词虽说也可以归入“半途而废”这类,但若以这种意思去理解又觉得不太能诠释完整,只能用“总觉得”这个词来描述。“生あたたかい(微暖)”、“生ぬるい(微温)”、“生恋しい(微恋)”、“生白い(微白)”等词便是如此,说“总觉得有些暖和”也行,说“算不上暖和,可又觉得有些暖和”也行,“生”字可以将这种微妙的感觉表现得淋漓尽致。

それ以外にも「生々しい」「切ったばかりの」意味での「生傷」や「生首」みたいな、それこそ生々しい例もありますし、「生爪を剥がす」というのは爪切りで切り取った爪の破片ではなく、「指から生えているままの爪を剥がす」という意味で、これも生々しい、というか痛々しい表現です。

除此之外还有“非常新的”、“刚弄伤不久”之意的“生傷(新伤)”、“生首(刚砍下来的头)”等活生生的例子,再比如“生爪を剥がす”指的不是用指甲刀剪下的指甲碎片,而是“揭掉指甲盖”之意,这也是个活生生、或者说让人不由心生怜悯的表达。

最近は「生足」などという用法もあり、これは「ストッキングを履いていない」ことを「生」と称しているわけで、これまた妙な具合だと思います。

近来还出现了“生足(赤足)”等用法,将“没穿袜子”称为“生”也让人觉得有些奇妙。

最近は「何かをしていない」ことを全部拡大して「生」と言ってしまう傾向が強いようです。ことほどさように「生」ということばは意味が多様で、広がりが大きな接頭語なのです。生半可な知識なので結論がなくて申し訳ないのですが、それでも結構面白いでしょ?

最近,日本人似乎喜欢把“没做某事”全部放大化说成“生”。 可见这个字含义多么丰富,作为接头词时也拥有很多种可能性。而我对此其实也是一知半解,因而得不出什么结论,真是抱歉了,不过还是相当有意思的不是么?

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抓狂!“生”居然有一百多种读音