次の文章を読んで,後の問い(~)に答えよ。(配点 50)

 私自身にまつわるひとつの思い出話からはじめよう。
 小学校に上がって間もないころであった。私は通学途中で,できたばかりの二人の友だちに,宇宙へ出てしまえば私たちが普通考えているような「上」とか「下」とかは意味がなくなってしまうのだということを説明しようとした。などというと,いかにも早熟で想像力豊かな子供だったように聞こえるかもしれないが,実は,親から知識としてそのように聞かされていたことをただ受け売りしただけである。
 いまでこそ子どもは,(注1)NASAの映像やアニメーションや絵本やおもちゃを通じて,「宇宙」という非日常的な概念や無重力状態という不思議な状態のことなどがあたりまえの情報として伝えられる環境のなかにおかれている。かれらはすでに幼児期からそういう事実をそういう事実として受け取っているかも知れない(感覚としてそうすんなりと理解できているとは思えないが)。
 しかし私が小学校に入学したのは,一九五四年である。当時は,人工衛星もまだ飛んではいなかったし,テレビも普及していなかった。だから,そうした日常生活から遊離したようなテーマが,これくらいの年齢の子どもの間で,自然に語られる話題として流通することはほとんどありえなかった。その意味では,私がそんなことを話題にしたこと自体,少々(注2)エキセントリックだったとはいえるだろう。
 私は,この聞きかじったばかりの「ホットな知識」を何とか友だちに伝えようと懸命になった。興奮して,けんかチョウのように唇がとんがってくるのが自分でもわかった。小さいころから,些細(ささい)なことでムキになりやすいたちだったのである。
 ところが悪いことに,は,私のいおうとすることをまともに聞こうとしなかった。変なことをいうやつだと思ったにちがいない。私はつたないことばで「うちゅうへいってしまえばどっちが上でどっちが下かなんていうことはなくなるんだ」と何度も繰り返していったのだが,やがてかれらはそんな頑固な私にうんざりしたのか,私のことをからかいはじめた。空と地面を代わる代わる指さしながら,大きな声で「上があって下があるじゃないか!ハッハッハ!上があって下があるじゃないか!」とはやしたてたのである。私はくやしさのあまりものもいえなくなってしまった。
 私は,なぜこの経験を深く記憶にとどめているのだろうか。もちろん,真実を伝えようとまじめな努力をしたのに,それが通用しなくて逆にからかわれてしまったくやしさを忘れることができないというのが,第一の理由であろう。だが,それだけではないという感じがどうしても残るのである。
 そもそもどうして私は,当時のこの年齢にはふさわしいと思えない「宇宙」についての話題などを,それも,ことさら理屈っぽいしかたで友だちに提供しようとしたのだろうか。おそらく,大げさにいうなら,「宇宙へ出れば上も下もない」というこの「問題」が,七歳という年齢における私の心にとって,何か重要な意味をもつ「大問題」としてとらえられていたのだ。つまり,親から知識としてあたえられたその事実が,私自身の日常感覚を激しくぐらつかせるものであったのだ。それは,何か見知らぬ不気味なものにふれてきた子どもが,半信半疑のままその模様を人に伝えようとするのに似ている。
 私は友だちとの対決の場面では,いかにも,真理をあくまで主張する筋金入りの子どものようにふるまっている。親の断定は,自分が依存し信頼している人の断定であるがゆえにひとつの絶対的な信仰のように私のなかに植えつけられた。そしてそれを私はまるで,無神論者に向かって「神は存在する」とヤッになって主張するかのように友だちに伝えようとしたのだ。
 ところが,このときの自分の気持ちにできるかぎり忠実に立ち返ってみると,これもまた神を説いてまわる「信仰者」のすべてが,自分の信念に一点の疑念も抱いていないとは必ずしもいえないように,実は私は,自分で主張していることそのものについて十分に得心できていたわけではなかったのである。あたえられた「知識」と自分なりの「納得」との間には大きな裂け目が開いていた。友だちに向かって口を尖(とが)らせて説得を試みながら,本当は私は,「上も下もない」とはいったいどういうことなのだろうとひそかに悩んでいたのだと思う。
 だから私がこの体験をありありと記憶している理由は,ただわかってもらえなかったくやしさにのみあるのではなく,自分で十分納得できていないことをキョウベンすればするほど,その納得できなさが自分に向かって突きつけられることになったからなのである。私はいわば,存在感の不安定さのなかにますます落ち込むことになったのだ。
 さて,これは私という一個の,もしかすると少しばかり特異なシツに還元されてしまえばそれきりという問題にすぎないのだろうか。いうまでもなく,私はそうとはいいきれないといいたいのである。簡単にいってしまうと,私が一見こんなどうでもいいように思えることをことさらとりあげるのは,要するに成長発達における「文学」的な主題を,「論理」的な普遍性のレベルに結びつけたいからなのである。
 「上も下もない」とはいったいどういうことかとおそらく私は悩んでいた。このことは,この年齢くらいの子どもにとってある普遍的な意味を提供してはいないだろうか?
 六,七歳といえば,幼児期から児童期への移行期にあたっている。その移行期にこのような認識をあたえられて動揺したという事実は,なかなか象徴的である。「上も下もない」ということは,幼児にとってたいへん呑(の)み込みにくい,座りの悪い認識である。それまで自分のなじんできた身体感覚から意識をもぎ離して,重力のはたらかない空間に自分の体をおいてみるというクウの設定を必要とする。そして六,七歳という移行期の年齢では,まだそういうたぐいの想像力は,かなり精神的に背伸びをしないと得られないものではないかと思われる。というよりも,そういう認識の図式を押しつけられたとき,かれらは,了解を越えた存在不安のようなものにかられるのではないだろうか。私は友だちに対して,この認識を得意げに強調しているのだが,本当のところは,大人からの知識を受け売りしてみることによって,自分の感じているなじみにくさを相手にも共有してもらい,自分の不安を解消したかったのではないかと思われる。
 考えてみれば,幼児にとって上下の感覚を否定されるということは,頭のなかに革命的な混乱を引き起こしかねない事態であるといっても過言ではない。幼児は,先立つ数年の間に,自分の足でこの大地に立つことをおぼえ,重力が支配する場に基づく身体感覚を養ってきている。また,自分よりもはるかに体の大きい「大人」という存在との接触を通じて,上下,高低の感覚を身につけてきている。
 転んでしまうと,きちんと立ち上がるのに相当の努力を要すること,「たかいたかい」や「だっこ」をされること,親と一緒に歩くために,自分の手を高くもちあげて親と手を繋(つな)ぐこと,大人と何かコミュニケーションをするために,いつも首をあげて,とても高いところにある大人の目と視線を交わすこと,これらの経験は,上下という空間的概念の絶対性が,自分の身をしっかり安定したものとして感じるためにいかに大きな意味をもっているかを体験的に教えるだろう。
 ところが,「上」とか「下」とかが意味をなさない世界があると教えられることは,そのたいせつな条件を否定されることだ。彼は,急いで自分のこれまでの世界像を修正し,再編しなくてはならない課題に直面することになる。だから少なくとも私にとって,あの教えは,新しい知の体系への入門の意味をもっていたのだ。
(小浜逸郎(こはまいつお) 『大人への条件』による)

(注)1 NASA―アメリカ航空宇宙局。
2 エキセントリック―普通と著しく違っているさま。



傍線部~は熟語の一部である。これにあたる漢字を含むものを,次の各群の~のうちから,それぞれ一つずつ選べ。解答番号は~。

チョウ

ゲンを呈する。
テンをつけ忘れる。
お金をメンする。
新技術をシする。
同音に答える。

ヤッ

優勝をガンする。
財産をフする。
会のソクを守る。
注意をカンする。
学問のソをつくる。

キョウベン

食糧をキョウキュウする。
年末にキョウリへ帰る。
採決をキョウコウする。
絵をキョウバイにかける。
キンキョウを報告する。

シツ

事業にトウする。
乳牛をイクする。
権力をコウする。
計画をジッする。
社会にホウする。

クウ  

原料をコウする。
負傷者をタンにのせる。
外出をキョする。
商品のカクを調べる。
病状のケイをみる。



傍線部「私は,この聞きかじったばかりの「ホットな知識」を何とか友だちに伝えようと懸命になった」とあるが,この『ホットな知識』は,小学校にあがって間もないころの筆者に対して,どのような影響をもたらしたか。その説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

その知識は未知の世界が確かに存在するということを暗示するものであったので,未知の世界へのあこがれが強められ実際に体験してみたいという思いを抱くことになった。
その知識は果てしなく広がっている神秘的な世界を想像させるものであったので,これまでの生活の中では経験したこともないような不思議な感覚が新たに付け加えられることになった。
その知識は同年代の友だちがだれひとりとして知らない大人の世界の情報であったので,友だちに説明しようとしても理解してもらえず大きな謎(なぞ)が心に残ることになった。
その知識は宇宙という非日常の世界がどのようなものであるかを考えさせるものであったので,それまでに日常生活の中で身につけてきたものの見方が根底から揺り動かされることになった。
その知識は無限に広がる別の世界がどこにあるかということを知らせる情報であったので,驚いてすぐに友だちに話してはみたものの十分に説明ができず自らの幼さを思い知らされることになった。



傍線部「そもそもどうして私は,当時のこの年齢にはふさわしいと思えない「宇宙」についての話題などを,それも,ことさら理屈っぽいしかたで友だちに提供しようとしたのだろうか」とあるが,「ことさら理屈っぽいしかたで友だちに提供しようとした」理由の説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

親から与えられた知識は絶対的な真理にも等しいものであったが,自分では感覚的に理解できないもどかしさを友だちと分かち合い,その知識によってもたらされた不安を取り去りたかったから。
変なことを言うやつだと友だちにからかわれながらも,自分が手に入れた真理をどこまでも主張することで,たとえ友だちから理解されなくても大人の仲間入りをした喜びを失いたくなかったから。
無神論者に向かって神の存在を主張するときのように,納得してもらえないとわかっていても,友だちに新しい世界像を伝えて,同じ世界を友だちと共有する喜びを味わいたかったから。
これまでの知識では処理しきれない不気味なものについて友だちに何度も繰り返し説明を試みることによって,少しずつ不気味さを取り払い,ごく当たり前のこととして納得したかったから。
自分が提供した話題を単なる知識として受け取るのではなくて,友だちにはどんな時でも真実を探究する態度を忘れず,自分自身の問題として真剣に考えてほしいと願っていたから。



傍線部「このことは,この年齢くらいの子どもにとってある普遍的な意味を提供してはいないだろうか?」とあるが,ここで筆者はどのような問題を考えようとしているのか。その説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

幼児期から児童期への移行においては,想像力をはたらかせて精神的に背伸びをするということが必要であり,その時期に大人に保護されることは自立への意欲を損なうのではないかということ。
幼児期から児童期への移行においては,自分のなじんできた身体感覚が一度は否定される必要があり,そうした時期に友だちと対決することが成長するための条件になるのではないかということ。
幼児期から児童期への移行は,幼児期において無意識のうちにかかえこんだ存在の不安を,友だちとの協力関係によって乗り越えようとする努力のなかで成し遂げられるのではないかということ。
幼児期における認識は,立つことに始まる成長のなかで形成された身体感覚に基づいているが,大人から与えられる知識によってさらに安定した児童期へと移行していくのではないかということ。
幼児期における認識は,大人とのコミュニケーションのなかで培われた身体感覚によって支えられているが,その感覚のありようが変革されることで児童期へと移行していくのではないかということ。



破線部「友だち」(第六段落)について,この段落に登場する「友だち」は,本文における筆者の考え方によれば,どのような子ども像を表しているといえるか。最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

「友だち」は,一面的な見方しかできない大人びた頑固な考え方を嫌い,常に柔軟で自由な想像の世界に遊びたがっている子ども像を表している。
「友だち」は,日常生活のなかで身につけてきた感覚を唯一のよりどころとしながら,安定した世界に身を置いている子ども像を表している。
「友だち」は,自分たちの認識のあり方をあらためて吟味することもなく,自己中心的な態度をひたすら守ろうとしている子ども像を表している。
「友だち」は,最先端の科学的な知識を取り入れようとすることよりも,これまでの仲間同士のつながりを大切にしようとしている子ども像を表している。
「友だち」は,親から言われたことをそのまま受け売りする安易な態度に反発し,自分たちの世界を守り抜こうとしている子ども像を表している。



本文において,筆者は,どのように論旨を展開しているか。その説明として最も適当なものを,次の~のうちから一つ選べ。解答番号は。

筆者は,新しい知の体系への入門として簡単な思い出話をまず提示し,次に幼いころの内面の世界を克明に論じることで,新しい知の体系そのものの複雑さをきめ細かくとらえようとしている。
筆者は,具体的な思い出話によって文学的な世界を提示し,その後でそれとは対照的な知の世界に論及することで,移行期における想像力と認識の問題をそれぞれの側面から深くとらえようとしている。
筆者は,幼いときに経験した出来事を具体的に描き,そのときの自分の気持ちを自問自答しながら分析することで,新しい知の体系へと進んでいく移行期のようすを論理的にとらえようとしている。
筆者は,幼いころの思い出を語りながら,一方でコミュニケーションに関する議論を具体的に展開することで,感性的な知のあり方と理性的な知のあり方の違いを客観的にとらえようとしている。
筆者は,幼いときの時代背景を説明したうえで身近な友だちとの思い出を語り,その後で自分自身の内面を省みることで,時代状況に規定された知のあり方を分析的にとらえようとしている。

 

  問1 問2 問3
正解 5 4 3
配点 2 2 2
  問4 問5 問6
正解 1 2 4
配点 2 2 8
  問7 問8 問9
正解 1 5 2
配点 8 8 8
  問10 - -
正解 3 - -
配点 8 - -