時雨紅葉

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天皇、内大臣藤原朝臣に詔して、春山の万花の艶と秋山の千葉の彩とを競い憐れびしめたまふ時に、額田王が歌をもちて判る歌

冬ごもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山も茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山われは

天皇诏内大臣藤原朝臣,令其比春山万花争艳、秋山千叶竞彩孰更优时,额田王以歌判之。

寒冬过去,暖春归来,一直噤声的鸟儿重新鸣唱,一直未开的花儿重新绽放,然而山林繁茂,进山采花而不得,草木幽深,虽折枝却难细观,且观秋山之叶,拈来红叶赞叹,扔弃绿叶长叹,为此心生遗憾,秋山最牵人怀,诚为我所爱。

现代文:冬が過ぎて春になると いままで鳴かなかった鳥も来て鳴きます 咲かなかった花も咲きます でも山は茂りあっていて入って手にも取れないですよね 草も深く手折って見ることも出来ないですよね 一方 秋の山は木の葉を見るに付け 黄葉を手に取っては賞賛しまだ青いまま落ちてしまった葉を手に取って また地面に置いては歎いてしまいます そんな一喜一憂する 心ときめく秋山こそ 私は好きです

夕陽煌く栖鳳池と紅枝垂桜

「冬こもり」は「春」にかかる枕詞。「黄葉」は紅葉のこと。「万葉集」ではこう書くことが多い。「偲ふ」は賞美する。思い慕う、懐かしむ意味で、奈良時代は「しのぶ」と濁らない。平安以降、「忍ぶ」と混同されるようになる。

“冬こもり”是接“春”的枕词(和歌中在特定词语前起修饰、调整语调作用的词)。“黄叶”指的是红叶,这种书写在《万叶集》中很常见。“偲ふ”即称赞。这个词是思慕、眷念的意思,奈良时代为“しのぶ”,不发浊音。平安时代以后便逐渐与“忍ぶ”混用了。

霧に紅葉

詩宴の場における即興の歌であろう。天智天皇六年(667)、都近江の大津の宮に遷された。このころは漢文学が盛んで、詩宴が開かれては多くの漢詩が作られた。そのなかでの額田王の和歌は新鮮なものであっただろう。

这是首在诗会上即兴而作的和歌,天智天皇六年(667),都城被迁至近江大津宫。这时盛行的是汉文学,诗会上大多作的是汉诗。在这种背景下,额田王的和歌还是新鲜的东西。

春秋の趣をあれこれ取り沙汰するのは、貴族文化ののおおもとである。その嚆矢という意味でこの歌は重要である。

谈论春秋的各种情趣是贵族雅文化的基础。就首开风气之先的意义上说,这首和歌意义重大。

额田王:万叶初期的代表歌人,曾经嫁给大海人皇子(天武天皇),后改嫁给大海人之兄天智天皇(中大兄皇子)。

夕照の白川

「古今集」以下、勅撰集の四季の部では、春秋の歌が夏冬に比べ圧倒的に多い。「万葉集」の時代、春の花は桜に限らないが、次の「古今集」の時代になると、春は花、花といえば桜ということになる。秋は紅葉で、春はさお姫、秋は滝田姫という女神が司った。

继《古今和歌集》之后、敕撰集的四季部中,春歌、秋歌远远超过夏歌与冬歌。《万叶集》的时代,春天的花并非只限于樱花,而到了接下来的《古今和歌集》的时代,春以花为最,而花便是樱花。秋天则以红叶为美,春与秋由佐保姬、龙田姬两位女神司掌。

紅葉と富士山

歌の題として好まれただけではなく、「枕草子」の冒頭「春は」「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」はそれぞれの季節の良さを述べているが、春秋については和歌の伝統をふまえたもので、当時の王朝人に共通の美意識だつた。「源氏物語」でも、光源氏は六条院という大邸宅を四季の趣に造営、それぞれの季節にふさわしい女性を住まわせたが、春のは紫の上、秋の邸は秋好中宮という比類なき女性を住まわせている。

春与秋,不仅作为和歌题目备受喜爱,其他文学亦然。《枕草子》开头叙述道,“春以破晓为最”、“夏以夜晚为最”、“秋以傍晚为最”、“冬以清晨为最”,虽然提及每个季节的优美之处,而对于春与秋的评价遵照的还是和歌的传统,可见这是当时王朝人的共同审美意识。《源氏物语》也如此,光源氏将自己的大宅院六条院按照四季情趣营建,让符合各个季节情调的女性居住其中,而居住于春邸与秋邸的是紫姬、秋好皇后这两位绝色倾城的女性。

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浄土苑の散り紅葉