松飾りを外した家と、まだ飾っている家が混在する通りを歩きながら考えた。平成の時代も、来年は20年になる。昭和という時代が一歩遠のいてゆく気がした。

在街上闲庭信步,临街人家门上的门松有的已撤下有的则依旧挂在上面。到明年“平成时代”就整整20年了。昭和时代似乎渐渐离我们远去了。


昨年末から昭和を象徴するような人たちの訃報(ふほう)が相次いだ。財界のご意見番と言われた諸井虔さんに続き、年明けには、昭和の国民的食品となった即席ラーメンを発明した安藤百福さんが亡くなった。

去年年末开始相继传来了昭和时代代表人物的讣告。从有财政界“魏征”之称的诸井虔先生的去世,到年后发明昭和时代大众食品——方便面的安藤百福的辞世。

★ご意見番:直言不讳的人。


大阪の闇市のラーメン屋台の前で、人々が行列して辛抱強く待っている。安藤さんの脳裏に焼き付いた終戦直後の風景が、後に食の風景を変えるような発明につながったという。昭和の時代が、安藤さんを通してもたらした発明とも言えるだろう。

大阪黑市的拉面摊前人们为吃上一碗热腾腾的拉面辛苦的排了很长的队。这便是战争刚结束时百姓生活的一个真实缩影,它深深地印在了安藤的脑子里,他立志要改变这种状况让百姓随时都能方便的吃上拉面。可以说正是昭和这个时代造就了安藤,成就了他的发明。

〈降る雪や明治は遠くなりにけり〉。この中村草田男の句は昭和6年、1931年1月の句会に出されたという。師の高浜虚子は句会では選び採らなかった。しかし、帰りのエレベーターでたまたま同乗した草田男を見て「あの句は矢張り採って置こう」と言い、虚子選に追加された(宮脇白夜『新編・草田男俳句365日』本阿弥書店)。

“雪花和明治(时代)都离我们远去了”。1931年1月(昭和6年)的诗会上,中村草田男发表了这句诗。身为老师的高滨虚子女士,当时却没有选这句。但是,就在回去的路上碰巧俩人同乘一趟电梯,高滨女士看着草田男说“那句还是要的为好”就这样这句被追加进了虚子选。(宫肋白夜《新编、草田男俳句365日》本阿弥书店)

★にけり:助动词“ぬ”和过去助动词“けり”,相当于“てしまった。”“たことだ。”

句は大雪の日、かつて学んだ東京の小学校の前で生まれた。降りしきる雪の中に居ると、時と場所の意識が空白となり、現在がそのままで明治時代であるかのような錯覚と、明治時代が永久に消えてしまったとの思いが同時に強まったという。

俳句是在下大雪的日子,东京一所小学前创作出来的。躺在厚厚的雪中,脑子里对于时间和空间都一片空白。有种错觉似乎这就是明治时代,可同时又感到明治时代已永久的消失了。

今日、防衛庁が防衛省になる。長く「庁」だったことには、軍が暴走した昭和の一時代への深い反省が込められていたはずだ。年ごとに昭和が遠くなっても、その反省だけは、遠いものにしたくない。

今天,防卫厅将升格为防卫省。长久以来“厅”的称谓,应该是加入对昭和时代军国主义一种深刻得反省吧。昭和时代的历史虽离我们远去了,却不希望对那个时代的反省也同样远去。