恋愛小説の名手だった森瑶子さんは恋文に一家言あった。自分のことよりも、徹底して相手のことを書くのがコツなのだそうだ。「好きだとか逢(あ)いたいとかは男の子に言わせる。そう仕向けるのが女の子のなのだ」。

恋爱小说的名家森瑶子女士对于情书自有其一家之言。据说,与其写自己的事,不如彻底地写对方的事,这是诀窍。“诸如喜欢啦,想见你啦等等这些话要让男孩子来说。能够让男生这样则女孩子的本事”。

1週間前に過ぎたけれど、そんな時代バレンタインデーには「女性の告白日」の色合いが濃かった。わが中高生時代、縁はないと分かっていても淡い期待をしたものだ。そして奇跡は起こらないと実感させられた。

就说1周之前刚刚过去的情人节吧,在当年那个时代“女性表白日”的色彩很浓重。在我中学、高中时代,明明知道没有缘分,却仍然怀着淡淡的期待。而且最终还是让我真实地感受到奇迹并不会发生。

東京で読んだ「ひととき」のに、小5の息子がこの日のためにチョコを手作りした話があった。男の子同士で交換する「友チョコ」なのだという。奇跡を待つだけだったわが昔とはずいぶん違う。投稿したお母さん(46)も「時代は変わった」と感じたそうだ。

在东京看到的“时段”栏目里刊登了一段故事:才小学5年级的儿子为了这一天亲手制作了巧克力。据说这是在男孩子之间相互交换的“友情巧克力”。这和当年等待奇迹发生的我们大不相同。听说投稿人孩子的母亲(46岁)也不无感慨地说:“时代变了”。



去年の今ごろの声欄には、高校生の娘が友チョコをどっさり持ち帰った話が載った。こちらのお母さん(51)は、「告白の日を『女の子のお楽しみの日』にされてしまった現実を、男の子諸君はどう思いますか?」

在去年这一段时间里,呼声栏目刊登了一则已经高中生的女儿带回家一大堆友情巧克力的故事。这位母亲(51岁)说:“对于将“表白日”变成‘女孩子期盼日’的现实,各位男孩子作何感想呢?”

男にせよ女にせよ、「らしさ」がぼやけつつある時代なのだろう。草食系なる男子の増加を案じる声もあるが、「らしさ」というのは魔物ともいえる。男にも女にも抑圧的な役割を強いる。くびきが薄らいでいくのは、悪いことではあるまい。

无论是男人还是女人,如今恐怕将是一个“特征”逐渐模糊不清的时代。尽管也存在着担心草食型男子增加的呼声,但是“特征”也可称之为魔力之物。无论对于男人还是对于女人它都强行地施加了压制性作用。这种束缚的不断淡化其实不见得是坏事。

〈ラブレター書かぬ息子をはがゆがり〉。今のぼやきのようだが、昭和の川柳家笹本英子が詠んだ。気をもむ母親は増えていようか。ならば女子が腕まくりで攻勢をかけるべし。天国の森さんに新たな恋文指南を書いてもらうとしよう。

< 儿子已成人,男大理当婚,不肯写情书,真是急煞人>,这首诗就好像是描写如今(父辈人)的不满似的,其实这是昭和时代的川柳作家笹本英子女士创作的川柳诗。莫不是因为耿耿于怀的母亲不断增加的缘故?如果是这样的话,那就让女子一方捋胳膊挽袖子主动进攻好了。真想请身在天国的森女士再写一篇新的情书指南。

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