2023年1月11日ごろから、イェール大学アシスタント・プロフェッサーの成田悠輔氏が高齢化社会の解決のため「高齢者は集団自決すれば良い」という発言をしていたことが動画等で拡散され、SNS等で議論になっている。

2023年1月11日前后,耶鲁大学助理教授成田悠辅一条视频在网上迅速扩散并引发热议。视频中他认为解决高龄化社会问题的方式是“老年人集体自杀就好了”。

彼は米国の学界でもほとんど知られていないが、彼の極端な立場は、経済発展が長老政治社会によって妨げられていると信じている欲求不満の若者の間で、日本のソーシャルメディアで何十万人ものフォロワーを獲得するのに役立ちました。

成田在美国学界几乎不为人知,但他极端的立场帮助他在日本社交媒体中获得了数十万的关注者,一群生活受挫的年轻人认为日本经济发展受到长老政治社会的阻碍。

有日本网友就此事表达了自己的看法:

关于耶鲁大学成田悠辅在NYT上的报道很有意思。结论而言,作为学者,还是先专心于研究比较好

日本媒体究竟是为了什么而存在的?
耶鲁大学教授?东大帅哥毕业生?光是看人头衔了,完全不管他的胡言乱语。
纽约时报的这篇报道原本应该发到日本媒体上吧。

比起成田悠辅本人说了什么,我对写这篇文章的纽约时报日本记者产生了没有道理的厌恶感,太恶心了。

集体自杀这种说法是针对在社会上层一直不退休的老人说的吧,是希望他们快点退休把位置让给年轻人。

要是不用这么激进的词谁还能看到啊,从这种含义上来说就应该用“集体自杀”这种表达。

毕竟日本很小,人口增长太多的话税金根本不够。虽然我不会说自杀,但安乐死的确不错。要是取消了养老金制度还正好呢。

没用的老人集体自杀
没必要是隐喻,直接就这么做吧。

成田针对社会问题提出的老年人集体自杀言论,我不觉得哪里有问题。

「メタファー」では済まされない

不能用“隐喻”了事

「集団自決」という言葉を使ってはいるが、とりあえず多くの場合、成田氏は「世代交代」の文脈で、この言葉を過激な「メタファー」として用いている。一方、社会福祉カットの文脈でも彼はこの言葉を用いることもあり、その境界は未分化だ。何年にもわたって高齢者の「集団自決」や「切腹」や「姥捨山」について執拗に語り続けているところをみると、成田氏はこの「持論」を単なるレトリックとしてではなく、ある程度は本気で提唱しているのではないかと思えてくる。『みんなの介護』インタビュー記事では、成田氏は当該発言を「言ってはいけない」としたうえで、「言ってはいけないとされていることはだいたい正しい」と述べている。

虽然成田的确用了“集体自杀”的字眼,但大多数场合都是在说明“世代交替”时,把该字眼当做过激的“隐喻”表达。另一方面,他在削减社会福利的解释中也使用了这个词,而这方面的内涵界限尚未明确。多年来,他在老年人问题上一直不断地使用“集体自杀”、“切腹”、“姥捨山”等说法,可以看出成田把这一“论点”不仅仅单看做一个“表达手法”,某种程度上似乎真的想要宣扬这种解决方法。在日本养老设施行业平台网站“大家介护”的采访中,成田承认这些发言“不该说”,但又继续补充“很多不该说的话其实都是正确的”。

本人やこの発言を聞いた周囲がどこまで高齢者の「集団自決」を本気で考えているかはともかくとして、この発言を「メタファー」として安易に捉えるべきではないだろう。組織や社会の新陳代謝の問題はそれで考えればよいが、一方でエイジズムと呼ばれるような年齢差別は解消するべきだ、というのが世界の流れで、主に雇用に関する差別をなくすよう、各国で立法化がなされている。「集団自決」発言はそれに逆行するだけでなく、特定の年齢層への憎悪表現ということもできるだろう。

不管成田本人或者听过这些言论的老年人有没有真的考虑过“集体自杀”,但我们是绝不能简单地将这种言论当做“隐喻”。虽然组织和社会的新陈代谢问题可以这样考虑,但另一方面,“年龄歧视”也是需要消除的,而这也是世界潮流,各国都在积极立法,消除与就业有关的歧视。这时,“集体自杀”不仅是反其道而行之,更反映了对这一特定年龄层人群的厌恶。

少子高齢化などを要因とする日本社会の衰退化傾向が顕著になる中で、足手まとい・お荷物となりうる存在を切り捨てたいという欲求を持つ人が増えつつある。そうした状況下でこのような憎悪表現をメディアで行うことは、それを口に出して良いのだという免罪符を人々に与えることになってしまうのだ。

由于少子化、老龄化等原因,日本社会的衰退化倾向明显,这时,越来越多的人希望舍弃成为累赘、负担的老年人。在这一社会现状下,成田在公共媒体中发表这种憎恶言论,就相当于给了人们一个免罪符——只要有人说出来就好。

スタジオの「笑い」の恐ろしさ

录音棚里“笑声”的恐怖之处

このように考えたとき、成田氏の発言も問題なのだが、より深刻なのは、その発言がその場にいる番組の他の出演者に受け入れられてしまっていることだといえる。主に拡散されている『ABEMA Prime』の動画では、成田氏が高齢者の「集団自決」論を唱えたのち、スタジオは爆笑の渦につつまれている。この発言自体が面白いというよりは、出演者はこれが成田氏の持論であることを知っていて、「いつもの発言」が出たことに起因する笑いだったようにも思えるが、冷静に考えて、これはジョークとして捉えられるだろうか?ブラックユーモアが強いバラエティであれば文脈によってはありうるかもしれない。だが、『ABEMA Prime』は仮にも報道番組をうたっているのだ。そのような番組が、果たして高齢者の「集団自決」論を冗談にしてよいのだろうか。

如上文考虑来说,成田的言论是有问题的,但更严重的是,这些言论已经被节目的其他演出者接受了。网络上主要被疯传的是“ABEMA Prime”的视频。视频中,当成田提出老年人“集体自杀”的论调时,在场的演出者纷纷发出爆笑。与其说他们笑是因为这一言论本身很有趣,倒不如说是演出者知道这是成田的一贯主张,而在这时候说出了这一“普通的言论”而引发的笑声。然而,冷静一想,这是不是也说明这些演出者已经把这一言论当做一个“笑话”了呢?如果是一个主做黑色幽默的综艺节目,那这样的言论可能不少见。然而,“ABEMA Prime”一直宣扬自己是一个报道节目。而这样的节目真的可以把老年人“集体自杀”这种论点当做一个笑话吗?

2016年、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊氏が人工透析患者は全額自己負担として払えないものは「そのまま殺せ!」とブログに書いて炎上したとき、長谷川氏はある番組に出演して、「人工透析患者を殺せと書いたら炎上したんですよ」と発言した。やはりスタジオは爆笑の渦に包まれていた。

2016年,前富士电视台主播长谷川丰发博客认为无法全额负担人工透析费用的患者就应该:“杀了他!”,引发网友热议。之后长谷川在某节目中吐槽“我之前说过杀死人工透析患者结果就被网暴了”。当时录音棚也是一阵爆笑。

今回、そのときと同じような薄ら寒さを覚えた。日本のメディアは、憎悪扇動の効果について、過小評価しているのではないか?もっとも、長谷川氏はその後全番組を降板することになったが、成田氏についてはその兆候はみられない。

而这次的“集体自杀”事件也让人感受到了彼时的背后一凉。日本媒体是否低估了煽动仇恨的效果?那时的长谷川不久之后就被踢出节目组,但成田至今却没有这种趋势。

2月9日,成田悠辅发布了一条推文,疑似宣布引退:

日经电视台东京大学和 Abema Prime的油管频道粉丝数量都超过 100万了。趁着这个好机会,我要离开这两个节目了。这一年多感谢照顾。我们22世纪再见。

「世代間格差」論の問題

“世代差距”论的问题

年金保険料の負担や福祉の手厚さの充実度、金融資産の有無に関して、現役世代に比べて高齢者が優遇されているとする世代間格差の議論は、若者向け政策を取り扱う論者によってよく主張され、ネットメディアでは既成事実となりつつある。

为年轻人制定政策的论者经常提出“世代差距”论,在网络媒体上也逐渐成为既成事实。“世代差距”论认为,老年人在年金、保险费用的负担以及福利的优厚程度、金融资产的有无方面比年轻一代要优越的多。

しかし、たとえば子育てや教育といった予算を充実させるべきだとしても、高齢者福祉を削る必要はない。よほどの富裕層でもない限り、高齢者福祉を削って自分の親を自己責任で面倒みるほうが現役世代にとっては負担が大きいだろう。また、なるほど金融資産の多くを保有しているのは高齢者だが、これは退職金の影響もあるし、積み立てられた資産は年齢が上がるほど大きくなるのは当然ということもある。そして、生活保護受給者が多いのもまた高齢者世代なのだ。

但是,即便要充实育儿或教育费用预算,也没有必要削减老年人的福祉。如果不是特别富裕的阶层,那么对于在职一代的年轻人而言,削减老年人福利,自己负责照顾自己的父母,那么负担将会很大。此外,虽然老年人的确有很多金融资产,但这与退休金有关,而且个人积累的资产当然会随着年龄的增长而增长。而且要知道,低保户中最多的也是老年人。

芸人で実業家のたかまつなな氏は、成田悠輔氏の「集団自決」発言を批判している。しかしたかまつなな氏自身も、高齢者の発言力が強すぎる「シルバー民主主義」が問題だという持論を持っており、昨年6月、年齢が上がれば上がるほど選挙での一票の価値が下がる「余命投票制度」の仕組みを導入すべきだと提言し、参政権の平等を無視しているとして批判を受けている。「世代間格差」の議論とは、結局のところこうした人権を無視するような極端な帰結にしか至りようがないということではないのか。

艺人&企业家たかまつなな公开批判了成田悠辅“集体自杀”的言论。但他本人也认为,老年人言论权过大的“银色民主主义”是一大问题。去年6月,他提出引入“剩余寿命投票制度”,认为选举投票的价值应该随着年龄的增长而下降,被批判为无视参政权平等的行为。而所谓的“世代差距理论”,最终可能只能走向无视人权这种极端的结局。

社会に余裕がなくなっていく状況下で、エスニシティにせよ、セクシュアリティにせよ、年齢にせよ、特定の属性をスケープゴートにするような言説は、すぐに憎悪表現に至るようなエスカレートをたどる。最悪の場合、表現に留まらず、実際の排斥へと至るかもしれない。

在整体社会经济情况吃紧的情况下,无论是民族性、性取向、还是年龄差距,那些以特定属性为替罪羊的言论,很快就会升级成为仇恨言论。而最坏的情况可能不仅仅停留在表达上,而是成为真实社会当中的排挤行为。

厄介なのは、そうした排斥が、恵まれない者たちの救済という顔で登場してくることだ。ナチスは苦しい生活を強いられているドイツ人の味方を標榜し、ユダヤ人を排斥した。世代間格差論者も、若者の味方を標榜しており、ネットテレビやYouTubeなどの新興メディアに頻繁に登場している。

问题是,这种排挤行为往往以救助不幸者的形式出现。纳粹就标榜自己站在艰难生活的德国人一边,以此排斥犹太人。而“世代差距”论者则标榜自己是年轻人的同伴,进而在网络节目、YouTube等新兴媒体中屡屡发表相关言论。

しかし世代間格差論は結局、あからさまな憎悪扇動表現に対して誰も注意しないような恐るべき言説空間をつくりあげることになった。発信側が扇動を制御できないのならば、視聴者の側がコントロールするしかない。その意味でも、このタイミングで成田氏の過去発言の「炎上」が起こったことはよかったのかもしれない。

然而,“世代差距”论最终却创造了一个令人脊背发凉的言论空间,让所有人都无法意识到这其中显而易见的煽动憎恶心理的表达。若发表言论的人不停止自己的煽动行为,那么就只能由观众来控制。从这个意义上说,成田过去的发言能在这时候“火”起来,或许也是件好事。

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