关于《百人一首》:汇集了日本王朝文化七百年的100首名歌,是最广为流传的和歌集,在江户时代,还被制成了カルタ(纸牌),开始在民间流传。一直受到大家的欢迎一直受到大家的欢迎,代代传诵,家喻户晓。

  
わたの原 八十島かけて こぎいでぬと 人にはつげよ あまのつり舟

【读音】わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりふね

【阅读提示】这首诗是在诗人因罪流放到隠岐島时所作的诗。

【声优朗读】
田中理惠版本:

若本規夫版本:

八葉朗詠百人一首:

【解释】日文:「篁は小さな舟に乗せられて、海原はるかに多くの島じまを、めざしてこぎだして行ったよ。」と、わたしの親しい都の人たちに知らせておくれ。そこでつりをしているつり舟の漁夫よ。

中文:请告诉我那些与我亲近的、在京都的人吧“参議篁乘着小舟,向着大海里众多的岛屿划船而去了。”在这里钓鱼的渔舟上的渔夫。

【词语解释】
◇わたの原:海洋、大海。「わた」是海洋的古称。「原」表示地方之在、其雄伟。

◇八十島かけて:「八十」比喻数量之多。島々をいくつも辿って遥かな目 这句诗的意思是:沿着如此多的岛屿向着遥远的目的地出发了。

◇人にはつげよ:请帮我告诉在京都的人吧。这句话是向着渔舟说的。

◇あまのつり舟:渔夫。靠海捕捉鱼虾、采捞海带或晒盐的人。

【语法解释】こぎいでぬと中的ぬ是完了助动词,表示对一件即成事实进行最终的结果认定,接在活用语的连用形上。

【作者简介】参議 篁(さんぎ たかむら・802~852)小野 篁のこと。平安初期の漢詩人、歌人。参議、従三位。838年に遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣の舟が破損していたので、篁が乗る舟と取り替えたため、仮病を使って乗船せず、遣唐を批判する詩文を書いたため、咎められて隠岐の島へ流罪となったが、のちに許されて都へ戻り、のちに参議まで進んだ。冥界の閻魔大王のもとで罪人を裁く冥官であったという伝説がある。

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