4.他人のこともよく見ている

4.自己也在观察别人

日本人は、他人の目を気にするだけでなく、他人のことも非常によく見ている国民だ。日本人が駅のホームで行列をつくるとき、まるで軍隊の整列かのようなきれいなラインをつくるが、これは一人一人が他人の動きに注目していないとできないことである。

日本人不仅在意他人的眼光,也无时无刻不在观察别人。日本人在车站排队的时候,队列就像军队一样整齐划一,这也是因为队列中每一个人都在关注着他人的一举一动。

社会でうまく立ち回るため、他人の動きや立ち振る舞いをよく観察する日本人は、自分が観察されていることも理解している。自分が他人のことをよく見ているから、相手にも見られていると感じ、これが欧米人に比べて日本人が見た目を気にしてしまう原因に結びついている。

为了在社会中很好的立足,总是在观察着他人的行动和举止的日本人,也很理解自己正在被观察着的事实。正因为自己也在看着别人,也就能更真切地感受到自己正在被关注着,这也是和欧美人比起来日本之所以更在意外表的原因。

「他人は他人、自分は自分」の欧米では、他人からどう思われているかを気にしない代わりに、他人の行動も気にしない人が多い。他人のすることは、自分には関係ない。事実、海外に住む日本人は自分だけでなく、周りの人の見た目も気にならなくなる。

在标榜“别人是别人,自己是自己”的欧美国家,自己不会在意别人怎么看,相对地,他们也不会关注别人的行为。他人于自己而言就是无所谓的。事实上,住在国外的日本人也是这样,不仅不关注别人,也不在意别人的看法。

5.“らしさ”概念の欠如

5.欠缺“满足现状”的概念

日本ではあまり貧富の差を感じることがない。一億総中流の日本では9割以上の国民が自らの生活程度を「中」であると感じている。このような社会では、ヨーロッパで見られる“階級”の概念がないため、身分相応に行動しようという意識がなくなってしまう。

日本是一个不怎么有贫富差距的国家。一亿总中产(1960年代在日本出现的一种国民意识。)在终身雇用制下,九成左右的国民都自认为中产阶级。在这样的社会当中,由于没有欧洲的“阶级”这一概念,也就没有那种在其位而谋其事的意识了。

食費を削って高級ブランドのバッグを買ったり、パートで働きながら息子のエリート私立学校の学費を稼いだり、ファミリーレストランで500円のランチを食べてくだらないクレームを出したり…。日本では、あまりにも「身分不相応」な行動をする人が多いように思う。何が自分の身の丈に合ったものか自体、自分でわかっていない人が多い。

缩食买名牌包包、做着兼职供儿子上精英学校、吃着家庭餐馆500日元的午饭纠结着无聊的抱怨.....。日本人就是这样一个经常做着“不合身份”的事情的人种。很多人根本就不知道自己的身份到底应该做什么事。

日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える一億総中流社会は、みんなが上を目指せと言われる社会でもある。お金持ちと自分は違うという意識はなく、国民全体で上を目指し、また流行を追う。

在这个日本国民大多数都认为自己是中产阶级的一亿总中产社会中,所有人都朝着更好的方向不断前进。他们没有“有钱人”和“自己”之间的区别意识,而是国民全体目标一直向上,追逐潮流。

テレビで見たおしゃれなセレブのファッションを、そのまま真似るOLがいるのはこのためだ。「自分らしくあろう」という概念がないのである。働く必要がないほどお金持ちなセレブを、月給20万円のOLが真似をするというのはとても息苦しい。

之所以存在模仿电视里看到的社会名流的女职员也是因为此——没有“做自己就好”的意识。想想这些完全没必要工作的名流,再想想模仿她们的月薪20万日元的女职员,真是太痛苦了。

階級の違いという概念がないから、自分の身分が理解できず、みんなが上を目指そうとする。そのなかでも、「私は成功している」ことを証明をしようとして、「見栄」が生まれる。見栄があるから、ブランド物で身を固め、見た目に気をつかう。見栄が、「見た目を気にする国民性」に拍車をかけるのだ。

由于没有阶级的概念,无法理解自己的身份,所有人都将眼光放得很高。在这之中,有想要证明“我是个成功的人”的想法作祟,由此萌生出“虚荣”。因为有了虚荣心,所以就想要名牌,所以就开始在意别人的眼光。可以说,虚荣心更推动了在意外表的国民性。

もし、日本人に階級が違うというという意識があれば、女性ファッション誌の見出しで「セレブの通勤服」のような矛盾したうたい文句を目にすることはないだろう。一億総中流意識は、「私はこれでいい」という自己肯定感を奪い、見栄と必要以上の自意識を生んでしまっているように思う。

假如日本人有阶段意识,也就不会有女性时尚杂志中“名流的通勤服装”这种矛盾的标题了。日本社会的一亿总中产意识剥夺了日本人“我只要这样就好了”的自我肯定能力,催生了他们的虚荣心和不必要的自我意识。

おわりに

最后

ここまで、日本人が見た目を気にしすぎる理由を挙げたが、見た目を気にすることは何も悪いことばかりではない。見た目を気にするというのは、「他と同調しよう」という協調性の表れでもあるし、他人への思いやりだということもできる。

写到现在,我列举了几个日本人之所以在意他人看法的几个原因,当然,在意他人看法并不是百害无一利。这种意识显示出“和他人协调配合”的协调性,也表现出为他人着想的品质。

ただ、見た目を“気にしすぎる”人はこんな日本社会の構造を知っておくといいかもしれない。過剰な心配や不安はいらない。誰だって環境次第で、外見を気にする人にも、気にしない人にもなれるのだから。

只不过,那些“非常在意”外表的人,对这样的日本社会构造有思想准备也未必是件坏事。其实那些过剩的担心和不安都是不需要的,无论是谁,只要环境不同,对于别人眼光的看法也会变化的。

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