疑問

「○○じゃね?」

×「バカじゃね?」

♦「バカだよね」

柄や頭が悪そうで薄っぺらい印象を与えます。テレビなどではこうした言葉遣いがよく使われていますが、テレビが使っているからカッコイイ!と思う人は、21世紀という時代から少々遅れているでしょう。

“○○じゃね?”会给人低俗或者笨的轻薄印象。虽然电视上常这么用,如果觉得“电视上在用就很酷!”的人多少有点从21世纪落伍了吧。

また「○○じゃね?」は、「○○じゃないですか?」の簡易版です。

「じゃないですか?」もよく使われる言葉遣いですが、敬語にしたからと言って印象が変わらないわけないじゃないですか。と、言うように、一見疑問系を装いながら、実は自分の意見への同意を強要する言い回しなのだと思います。

“○○じゃね?”是“○○じゃないですか?”的缩略形式。

“○○じゃないですか?”也是常用表达,可能有人觉得你换成敬语也不是说感觉就变了,可这乍看是疑问,实际上却是强行要求对方同意自己意见的委婉说法。

つまり「○○じゃね?」と疑問系のように自分の意見を言うからこそ、相手から「ちがうよ」と言われても「そうだよ」と言われても、「だよね!」と返すことができるのです。とても便利な表現であるといえます。

也就是说,“○○じゃね?”看似疑问其实在表达自己意见,不管对方说“不对”还是“就是”,都能用“对吧!”来回答。可说是相当方便的表达。

ただ自分の意見をころころ変えることが出来る便利さゆえに、薄っぺらい印象を与えるのでしょう。

不过正因为这种能随时转变意见的便捷性,会给人轻薄的印象。

そのため正しくは、「○○だと思います」「○○だよね」とはっきり言いましょう。

因此,正确说法是明说:“我认为……”“是……吧。”

リアクション

「マジで!?」

“真的假的!?”

×「マジで!?」「マジかよ」「マジっすか」

♦「本当に!?」「うそ!?」「本当ですか」

つい、うっかり口に出してしまいやすい言葉なのではないでしょうか。

“マジで!?”“マジかよ”“マジっすか”这些说法常一溜口就说出来吧。

また「マジっすか」を敬語だと勘違いして使う方もいますが、残念ながら敬語ではありません。気をつけましょう。

还有人误把“マジっすか”当敬语用的,很遗憾它不是敬语。请多注意。

「ですよね」

×「ですよね」

“就是说”

♦「はい」「わかりました」

“是”“我明白了”

意見やアドバイスに対して、意外と「ですよね」と返す方は多いと思います。本人自覚はないようなので、つい普段の相槌に使ってしまうのかもしれません。

针对意见和建议,让人意外的是很多人会回答“就是说”。本人可能没意识到,就当做普通的回应来用。

特に先輩や上司からのアドバイスに対して、「ですよね」と言うと一見ただの同意ですが、「自分はあなたの言っていることを分かってました」という意味の印象を与えてしまいます。

尤其是对于前辈或上司的建议,如果回答“就是说”,乍看是单纯的同意,给人的感觉是在说“我了解你说的话”。

そうするとアドバイスをした方からすると、「分かってたなら、言われる前にやろうよ」というように思わせてしまいます。

这样从给建议的一方来说就会想“既然知道,那干嘛不我说之前就做”。

「はい」「わかりました」「ありがとうございます」「なるほど」「勉強になります」の5つのワードを使いまわせば、アドバイスをしてくれた方に悪い印象をもたれずに済むでしょう。余談ですが、「参考になります」だと「私の意見って参考程度なんだ」と思わせてしまうので、あまり使わないようにしましょう。

如果用好“是”“我知道了”“谢谢”“原来如此”“长知识了”这五个词,就不会给提建议的人留下坏印象。多说一句,像是“我参考一下”这种,会让对方觉得“我的意见仅限参考程度吗?”最好别这么用。

「なんか」

×「なんか、道分かんないけど、なんか多分、右」

“那个,我不知道路,大概是右边吧。”

♦「はっきりと分からないけど、右だと思います」

“我不太清楚,可能是右边”

話し始め、語句と語句の間などでつい発してしまっている人いませんか。

有人在说话开头或者句与句之间,习惯加上“なんか(那个)”的吧。

「なんか」が口癖になっている方は多く、特に何も考えずに言っている人が大半でしょう。歌で言うところの「YEAH」「Wow-Wow」「Oh」というような、場つなぎの音でしかないのかもしれません。

“なんか(那个)”成口头禅的人很多,其中多数都没经大脑张口就来。就像歌词里的“YEAH”“Wow-Wow”“Oh”这些,只是当时应景的音符。

しかし相手からすると「なんか」は、自信がない、幼い印象を与えてしまう表現です。 意識して言わないように心がけましょう。

但是从听话者的来看,使用“なんか”会给人没自信、幼稚的印象。请有意识的注意别用吧。

形容詞

x「ヤバい」

x「ウケる」

x「キモい」

x「うざい」

x「だるい」

x「くどい」

ひとつにまとめてしまいましたが、使うべきではない言葉と言えるでしょう。

“惨了”“不错嘛”“好恶心”“真麻烦”“好累”“没劲”。把这些词归在一起,可以说都是不该使用的词汇。

筆者の意見ですが、いつまでも若いと思ってこれらの言葉を使っている人が、一番みっともないと思います。

笔者个人意见,那些觉得自己还年轻而一直使用这些词语的人才是最不像话的。

文法

「○○的」

x「わたし的(自分的、僕的)には良いと思います」

“从我的角度来讲觉得很好”

♦「私は良いと思います」「私個人の考えとしましては、良いと思います。」

“我觉得很好”“我个人觉得很好”

使い手にとっては意味をぼかしてあいまいにしておくことができるので、とても楽な表現です。

从使用者来说“○○的”可以让意思模糊不清,是个好用的表达。

しかし、「○○的」には、「そのものではないが、それに似た性質を持つ」という意味があります。つまり「わたし的には~」とは、厳密に言えば「私そのものではないけど、それに似た性質を持つものから言えば~」と言うことになります。

但是“○○的”这个词有着“不是这个东西本身,而带有类似性质”的意思,就是说“わたし的には”严密说来就是“虽然不是我本身,但是从具有类似性质的角度来说”。

もうわけが分からないですね。聞き手には意味がよく伝わらないことがあるわけです。

已经不知所云了吧。这就是意思没能传达给听话者的情况。

「わたしは」とはっきり言わずに、「わたし的(自分的、僕的)には」という言い方をする背景には、「わたし」という存在をあいまいにしておきたいという気持があるのかもしれません。しかし聞き手には、無責任で自己中心っぽい印象を与えてしまうのです。

不明说“わたし”,而说“わたし的(自分的、僕的)には”可能是出于想把“我”这个存在感削弱的心情。但是这会给听话人你没有责任心并且自我中心的印象。

正しくは「わたしは」というように、ただ「的」をとって話せば良いと思います。

正确表达是“わたしは”,把“的”去掉直接说就好。

ら抜き、い抜き言葉

x「食べれる」(ら抜き言葉)、「見てる」(い抜き言葉)

×「食べられる」、「見ている」

嫌な顔をされる若者言葉の代表格です。

这是惹人厌的代表性的年轻人用语。

話しているとき、または文面上でも、ら抜き言葉やい抜き言葉を使うと、必ずひんしゅくを買います。気をつけましょう。

说话时,或者字面上,省略“ら”“い”的表达无疑会降低品味,大家请注意。

「は○○です」

×「何の部活でした?」→「は水泳部です」

×「何の部活でした?」→「部活は水泳部です」

主語を抜いて、助詞の「は」だけつける表現を使う方は意外と多いです。しかも大半が自覚をしていません。大学受験や就活の面接対策時に指摘されて、主語を抜いて話していたと気付く方もいるのではないでしょうか。

省略主语,直接用助词“は”表达的的用法意外的多。而且大多数人都是无意识的。有人在大学入学考试或求职面试的时候被指出,才发现自己说话时会省略主语的。

必ず主語を意識しながら話すようにしましょう。

务必要有意识的注意主语来说话。

おわりに

いかがだったでしょうか。

使い慣れた表現はなかなか直りません。普段から意識して、正しくて深いな思いをさせない表現が使えるように準備しておきましょう。

怎么样?

平日里用惯的表达方式很难纠正。平时就要有意识的做好准备,使用正确而又不让人多心的表达。

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