沪江日语阅读提示:双击或划选日语单词,查看详细解释,并可收录进生词本以供记忆学习。

商人の財布は楽だった。かりに200両の資本金があれば、年2割でまわすと、年40両の収入となる。現代風に換算すると年収400万円だ。年間に数百両の給金を貰う大店の番頭なども多かった。年に200両貰う大番頭は、現代にすると年収2000万円となり、一部上場企業の部長クラスほどか。

商人的钱包总是鼓鼓的。假设有200两的资本,每年拿出两成来投资,年收入就能达到40两。按照现代的算法也就是年收入400万日元。不少大店铺的掌柜每年收入都能有几百两。如果是在现代,年收入200两的大掌柜能拿200万日元的年薪,相当于上市公司部长的水平。

士農工商というが、現実として階級社会はなかったともいえるだろう。腕のいい職人もかなり豊かだったとされる。大部分の武士は小禄であり、内職に精を出してる。そうはいっても武士という精神性で、尊敬を失うことは少なかった。

通常说“士农工商”,而放到现实中,这样的阶级社会可以说并不存在。有一门精当手艺的师傅也能过得非常宽裕。而大部分武士却领取薄禄,只得从事副业贴补家用。这样一来,作为精神领袖的武士也就失掉威信了。

さて、扶持米を貰っても、米を売って現金化する必要がある。この作業を代行したのが、札差(ふださし)だ。武士の代理人として米を受け取り、米商人への売却も代行する。さらに将来の禄米を担保に、金を貸した。米を代理して扱う手数料はたいしたことなく、特殊な金融業者として莫大な利益を上げている。

话说回来,尽管领取了抚持米,也还需要出售大米换成现金。在其中担当中介的就叫“扎差”。他们作为武士的代理人接受米粮,同时也代理出售给大米商人,甚至会对武士发放贷款,担保就是将来发放的禄米。“扎差”代销大米无需花费较多手续费,因此作为特殊的金融从业者,他们获利甚丰。

隅田川沿いの浅草橋付近に、幕府巨大米蔵があり、札指しの店は、その蔵の前に立ち並び、これを「蔵宿:(くらやど)」といい、賑わっていた。札差の札は、禄米を米倉から受け取る手形のこと、これに受取人の名前を記し割竹にはさみ、蔵役所のわらづとに差したから、札差といった。武士はすべてを現金化するわけにもいかず、一部を換金、暮らしは楽なものではない。物価が高騰すると、暮らしはいっそう苦しくなる。また、新田開発、技術向上などで、米の生産量があがり、米の価格はおおむね一定、余計に苦しくなった。

在隅田川沿岸的浅草桥附近,有幕府的巨大米仓。“扎差”的店铺就林立于这座仓库前,生意很是兴旺,它们被称为“藏宿”。“扎差”的“扎”指的就是从米仓领取禄米时的粮票,上面记载了领取人的名字,夹在竹片里插进仓库衙门的蒲包,因此就叫做“扎差”。武士不会把所有禄米兑换成现金,而只换取一部分,可支配的现金不多,生活也就比较拮据。一旦物价高涨,生活就更加艰难。另外由于新田开发、技术进步等原因,大米产量增长,然而米价总体却保持稳定,这样一来日子就更加不好过了。

仕方なく一年後、二年後に支給される禄米を担保に札差から金を借りる。年利25%ほどだったが、毎年のことで返済が大変だった。やがて札差は、暴利をむさぼり始める。享保9年(1724)幕府は取締りを始めたが、行過ぎた米本位制が変わらぬため同じ事で、武士の借金は膨らむばかりだった。藩も同じで、津軽藩は、冷害の最中に米を返済しなければならず、食料がゼロとなり、大飢餓を引き起こしている。飢饉の原因はほとんどが行政の失敗と、流通問題と考えられている。

无赖之中,这些武士只得拿一年、两年后获取的禄米作担保,向扎差借钱。而高达25%的年利息让他们每年为偿债疲于奔命。不久扎差开始牟取暴利。享保9年(1724年),幕府开始进行整顿,但由于对过度的米本位制本身不做改革,结果还是无济于事,武士的债务不断膨胀起来。藩也有同样的苦恼,比如津轻藩,遇上了冻害却不得不用大米偿债,致使粮食储备空空如也,引发大范围饥荒。一般来说,饥荒的原因往往是行政的失策以及流通上的问题。

声明:本双语文章的中文翻译系沪江英语原创内容,转载请注明出处。中文翻译仅代表译者个人观点,仅供参考。如有不妥之处,欢迎指正。