それでは、独断と偏見の判定です。

下面是带有我个人武断及偏见的判定。

☆判定☆
25~30 活字中毒の入り口に立っています。この調子で頑張りましょう。
20~24 まずまずの読書量です。手薄な分野を補強しましょう。
13~19 一般人として平均的な読書量です。翻訳者としては読書量を増やしましょう。
~12 一般的見地からも読書量が足りません。生活を見直しましょう。

☆判定☆
25~30 你正面临铅字中毒。继续保持好好努力吧。
20~24 阅读量还算可以。好好弥补下不足吧。
13~19 对于普通人来说这是平均水平。若作为翻译的话还是增加下阅读量吧。
~12 站在普通人角度来看这个阅读量也是不够的。重新审视下你的生活吧。

以下、言いたい放題の解説です。

接下来我就有什么说什么了(注:以下内容为选摘)。

□1 実務翻訳者を目指すのであれば、新聞を読むのは準備体操みたいなものです。最低、日経新聞は読みましょう。敷居が高いなら夕刊から始めるとよいです。紙の新聞の良さはいろいろありますが、あえて挙げるなら、いろんなジャンルの記事が一度に読めること、意図していない記事が目に飛び込んでくること、限られた枠内に収めるため一言一句にこだわったタイトな文章が読めることでしょう。

□1 要想成为实务翻译,读报就相当于准备操。最起码也读读日经新闻吧。如果觉得门槛有点高,可以先从晚报读起。纸质报纸的优点有很多,非要举例的话,就是能一次阅读各种类型的新闻、会有意想不到的新闻映入眼帘、能读到浓缩在有限篇幅内的结构紧凑的文章吧。

□2 翻訳者は活字中毒くらいでちょうどいいのです。複数冊同時進行中だとなおよいでしょう。なおここで言う「活字」には、ケイタイで読む文字は含みません。

□2 译者到铅字中毒这样的状态是正好的。手头有几本书同时在读的话就更好了吧。另外这里指的“铅字”,并不包含在手机上阅读的文字。

□7~9 旬な書き手や話題はやっぱりフォローしたいところ。旬を意識しなくてもよいのは、自分が世間からフォローされるような大御所になったときくらいではないでしょうか。また、旬をフォローするのは「ベストセラーを読む」とは必ずしも一致しません。そうではなく、自分の状況や時代に対して問題意識を持ち、その答えを本に求めるようになれば、おのずと旬な話題をフォローすることになると思います。

□7~9 这是指想要关注当下流行的写手及话题。如果有天你成了受世人追捧的权威,等到那时候不关注可能也没什么关系了。另外,关注这些也并不一定等于“读畅销书籍”,而是对自身情况及时代保持问题意识,要想在书中寻找答案的话,就会自然而然地关注当下的话题了。

□10~11生活ペースが忙しく、娯楽も多い現在、重厚長大な本を読破することはますます難しくなっています。しかし、実務翻訳者を目指す以上はこうした経験もほしいところ(自戒をこめて言ってます)。

□10~11 在生活节奏忙碌、娱乐活动丰富的今天,把一本厚重沉实的书读完变得越来越难。但是,既然想成为实务译者,也就希望大家能有这方面的经历(说这话也是在自戒)。

現在50歳代以上の多くの書き手は、子供の頃に文学全集を読破したと回想する人が多いようです。昭和40年代生まれになるとこうした人はだいぶ少なくなり、昭和50年生まれ以降になると、幼少期に小説を乱読した経験のある人は相当少なくなるのではないでしょうか。この読書量の差は、翻訳者における世代間の言語能力の差として表れつつあるように感じます。特に昭和50年代以降生まれの人が翻訳者を志望するのであれば、同世代の平均的読書量よりもかなり多くないと、上の世代の翻訳者と互角に戦えない気がします。

如今很多五十岁以上的写手似乎都会回忆起小时候读完文学全集的经历。而在昭和40年代(1965年代)出生的人中,有这样经历的人明显减少了,到了昭和50年(1975年)后,曾在年幼时期滥读小说的人就越发少了吧。特别是昭和50年代以后出生的人,若是有志成为翻译,阅读量就得远远超过同年代平均水平,否则总觉得难以与老一辈的翻译们一较高下。

□12 翻訳者を目指すのであれば、やはり好きな翻訳家がいるべきです。柴田元幸様という巨星をはじめ、現在バリバリに活躍中の翻訳家は何人もいます。しかし、翻訳者を目指す人のなかには、好きな翻訳家がいない、そもそも翻訳書を読んでいない人が驚くほど多いものです。しかも出版翻訳志望で翻訳書を読んでいない、映像翻訳志望で洋画を観ていないというケースがかなりあるのです。厳しいようですが、そういう人は「翻訳という行為の何に魅力を感じるのか」と自問してみるべきだと思います。

□12 要想成为翻译,还是应该有喜欢的翻译家。以柴田元幸这样的大师为首,现在积极活跃在一线的翻译家还有好多。但是,在以翻译为目标的人群中,称没有喜欢的翻译家、甚至连译作都没有去读的人数量之多让人惊讶。更有甚者,想成为出版翻译却没有去读译作,想成为影像翻译却没有去看外国影片,这样的例子不在少数。虽然听起来有些苛刻了,但我觉得这些人应该问问自己“翻译到底哪里吸引你了”。

□13~14 好きな翻訳家がいる一方で、「自分にはこの訳はいまいち合わない」と思えるような出会いもあってよいと思います。老婆心ながら、近年の10代から20代の人には「失敗作はつかみたくない」という姿勢がかなり見られるのが気になります。食べ物の一定割合が老廃物として排出されるように(変なたとえですみません)、読む本の一定割合は失敗作、自分に合わない本でいいのです。そうでないと栄養はとれないし、きっと老廃物を出すのも体を作る大事な過程なのです。(でもジャンクフードのとりすぎはいけません。)

□13~14 既然有喜欢的翻译家,那么能邂逅“不合自己口味的翻译”也未尝不是件好事。我也是苦口婆心,近年来总能见到十几二十几岁的年轻人“不想碰失败的作品”这样的姿态,这让人不太释然。正如食物有一定的比例会作为废泄物排出去一样(比喻很奇怪请见谅),读的书中有一部分是失败作品、不合自己口味的作品也没什么不好的。若非如此便吸收不到营养,排出废泄物也必定是强身健体的一个重要过程。(只是不可摄入过多垃圾食品。)

□15 世間的なベストセラーとは別に、「マイベスト3」も挙げられるようになりましょう。
ベスト3を挙げるには、年間でその100倍……が無理なら30倍は読む必要があります。

□15 希望大家能做到不拘泥于普遍意义上的畅销书,列出自己心目中的BEST 3。要想实现这个目标,一年需要达到100倍……做不到的话起码30倍的阅读量。

読書量については、21歳の時にちょっと顔を出した文芸翻訳スクールで、「君の訳は女子大生の訳みたいだ(おままごとの域を出ていないという意味、とはいえ当時私は実際に大学生でしたが…)1日1冊の読書を3年続けてからまた来なさい」と言われたことがあります。つまり1000冊読めということです。半年くらいは頑張ったあとペースダウンしましたが、今思うとあのアドバイスは実に的確でした。

说到阅读量,我在21岁时曾参加过文艺翻译学校,当时有人这么跟我说:“你的翻译就跟女大学生的翻译似的(意思是还停留在过家家的阶段,不过我当时确实是大学生),每天读一本书坚持三年后再过来。”也就是说得去读1000本书。虽然坚持半年后放慢了速度,但如今想起来那个建议说得实在是对。

□22~23 これは、清く正しく美しい日本語を使いましょうと言っているわけではありません。翻訳はちょっとした助詞の使い方、ちょっとした言い回しの差で意味合いが大きく変わってくるので、そうした細かい差にいつもアンテナを張っていましょうということです。漫然と日本語を使ってはいけません。

□22~23 这并不是在呼吁大家一起来用优美清雅的日语。而是在翻译时稍微变下助词的用法或者措辞,意思都会发生很大的变化,因此要对这些细微的差别保持敏感,而不是稀里糊涂地用着日语。

□24~25 自分の日本語表現を客観的に分析することは、翻訳者になるための非常に重要な条件です。日本の学校では、作文にしても「思ったことをそのまま書きましょう」と言うだけで、日本語を客観的に教えることがほとんどないため、日本語に関して意識的になることは難しいものです。だからこそ、他人に文章を直された経験が大事になってきます。

□24~25 要想成为一个译者,客观分析自己的日语表达非常重要。在日本的学校里,即便是写作文,老师也只会说“想到什么写什么”,很少从客观角度去教授日语,因此一般人很难对日语保持敏感。正因为如此,曾接受他人对自己文章的指正这样的经历就变得非常重要。

□26 著者に感想を書き送りたいと思うほど熱中した本があるのは、すばらしいことです。
□28 実務翻訳者たるもの、このくらいの野望は持っていたいです。

□26 会对某本书热衷到想要向作者寄送感想是件很了不起的事情。
□28 既然想成为实务译者,就应该有这样的野心。

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