実際に顔を合わせたことのない友達、というのもいまでは不思議ではありませんが、一昔前なら「それは友達なのか?」とツッコミが入ること間違いありません。SNSのおかげで「友達」の基準が変わったように感じている人も多いのではないでしょうか。いったい「友達の基準」とは何なのか?友達申請をしていると、そこはかとなく感じてしまうこの疑問を今回は取り上げたいと思います。

没有实际见过面的朋友,这在现在并非不可思议的事情,不过就在10多年前,肯定马上会有人反问“那算朋友吗?”社区网站的出现,也许让很多人感到“朋友”的标准有所变化。到底“朋友的标准”是什么呢?要求加好友的时候,老是会不由得想到这个问题,我们这次就这个问题来进行探讨。

いつでも自分の話を聞いてくれるのが友達?

永远会听自己倾诉的就是朋友?

「普通におしゃべりできたら、それは友達?」との質問を寄せたkimu_elleさんに、回答からいろんな「友達の基準」が垣間見えます。

从网友对于kimu_elle“能正常聊天的是朋友吗?”一问的回答中,我们可以窥见各种“朋友的标准”。

「知り合い:立ち話程度、友達:一緒にお茶を飲んだり食事をしたりする間柄、親友:泊りがけで旅行に行ける」(id_konekoさん)

“熟人:浅谈的程度,朋友:能一起喝茶吃饭的关系,密友:出门在外时能留宿的关系”( id_koneko)

「常時連絡が取れる人からが友達だと思っています」(kenkenpapaさん)

“我认为时常保持联系的就是朋友”(kenkenpapa)

「自分の相談や悩みを聞いてもらえる人。また相手の相談などにものってあげられる関係の人。さらに自分との約束は、何が何でも守ってくれる人。仲がよくても自分の内面的なことを言えない(言わない)のは友達であって友達ではない」(suraimu99さん)

“会听取自己倾诉和烦恼的人,以及自己也会去倾听对方心里话的关系。还有跟自己的约定死都会遵守的人。即使关系再好,但是不能(不会)跟你谈心的人是朋友但不是真正的朋友”(suraimu99)

こちらからのリクエストに応えてくれる、というのが、「友達」と思う1つのポイントとなるようです。もう1つの基準を提示してくれている回答がこちら。

看来,能回应自己的要求是“朋友”的条件之一。而昭示出另一个条件的回复如下。

「ちょっと冷たい言い方をしてしまうと、けっこうしゃべったり遊んだりする仲だけど、携帯のメモリとかアドレス帳が消えてしまって連絡付かなくなったらそれはそれでしょうがないと(無意識的に)思ってしまっている相手は友達でなく(笑)、メモリが消えたときのために手帳にメモしてあるとか、関係が途切れないように努力している(関係が途切れたくない)相手は友達です。それをお互いに感じているなら、親友なんじゃないでしょうかね」(jokerswild_2006さん)

“说得难听点,平时聊天玩耍打得火热,可一旦手机电话本和邮箱地址丢失,就没法再联系上,并且(无意识的)认为那是没办法的事情,这种人不是朋友(笑),为了避免电话本记录丢失而将手机号记到记事本上,为避免关系断掉而付出努力(因为不想关系中断),这样的人才是朋友。如果相互都有这样一种意识,那不就是好朋友吗?”(jokerswild_2006)

普段のやりとりそのものではなく、関係が途切れないようにしたいと思える相手が友達、というご意見。お互いにそう思っているなら親友、というのはわかりやすい基準です。

朋友并非只靠平时的来往,能让人觉得不想关系断绝的人才是朋友。相互间都能这样想就是好朋友,这个标准不难理解。

一个字也可以读懂朋友>>>