(本文发表于09年9月)

台湾のブロガー、amytsai氏はこのほど、上海の市街地でよく見られる「パジャマ姿で出歩く人々」への規制が始まったとの報道に、「上海らしい風景がなくなるのでは」、と自身の街の風景への思い入れを記した。以下は本文の要約。

有报道说最近上海市区常见的穿睡衣出门的人将受到管控,对此台湾博主amytsai写下了自己对街头风景的深思:上海独特的风景线岂不是要消失?以下是本文的大概内容。

上海市ではこのほど、来年の万博開催を控え、街中をパジャマで歩くことを「不文明(行儀が悪い)」こととして、人々にやめるよう呼びかけ始めたという。理屈的には、パジャマは就寝時、寝室で着用するものだし、同市が万博開催の機会を利用して、行儀の悪く見える習慣を改め、「世界基準」にあわせたいとする姿勢はとても正常だと思う。

上海市明年就要迎来世博会的召开,最近把穿睡衣在街上行走定为“不文明(举止不端庄)”行为,呼吁市民停止这么做。道理上讲,睡衣是睡觉时在卧室穿的,上海想利用世博会改掉不文明的习惯,这种跟世界接轨的姿态也很正常。

しかし、この報道を耳にし、何となく残念に感じた。なぜなら、「パジャマに革靴を履く上海人」など、びっくりするじゃないか。振り返って見たいくらいだ。街の風景として興味深いものなのになぜやめる?高層ビルの立ち並ぶ都市に、他とは違う風景があってもいいじゃないか。

不过听到这则新闻,总还是有点遗憾。因为,看到“穿睡衣皮鞋的上海人”不会觉得讶异么?会忍不住回头看。这么有趣的街景为什么要禁止呢?高楼大厦林立的都市,有道与众不同的风景不好吗?

上海はいまや、高層ビルが雨後の筍のごとく林立し、ショーウインドウに世界のブランド品が目白押しになるなど、洗練された都市としての成長を遂げた。しかし、そのたびに上海の都市としての「表情」はかえってぼんやりしてくる。行儀の悪い「パジャマ姿」が街から消えたら、上海での興味深いものなど、ほかに何が残るだろう?

现在高层建筑如雨后春笋般林立,橱窗里世界名牌琳琅满目,上海已经成长为成熟的都市。然而,上海的城市“表情”反而越来越模糊。举止不端的“睡衣族”都要从街上消失的话,上海让人津津乐道的特点还剩下什么?

数年前、北京に行った時も思った。昔ながらの街並み「胡同(フートン)」はどこへ行った? 北京っ子はどこへ行った? 画一的な高層ビルに、他地方のなまりが混じった中国語。私には、古びた商店で威勢よく北京語をあやつる人や、北京ダックをつるす棚なんかが突然、ものすごいスピードで懐かしく思い出された。人力車に乗り、什刹海付近の胡同まで足を伸ばして行ってみても、そこには昔の面影はなく、がらんとした建物があるだけだった。

前几年去北京时也有过这种想法。曾经的“胡同(フートン)”哪去了?北京人哪儿去了?看着清一色的高楼大厦,听着别省口音的普通话,我突然很怀念那些破旧的小商店里有劲头地操着北京话的人,和挂着北京烤鸭的架子。坐人力车去了什刹海附近的胡同,那儿也没有了昔日的光景,只剩空落落的建筑。

たとえ行儀の悪いことであったとしも、過度に洗練度合いを追求することは、元々あった文化を損なうことにもなる。これは中国の都市の発展における危機だ。人の迷惑になっていないのなら、行儀が悪いのも、都市の一魅力として受け入れられてもいいはずだ。「行儀がいい」、「文化的」なことは、人間らしさから来るべきもの。そうでなければ、ただの虚栄に終わってしまうだろう。

即使是不端的行为,过度地追求文明也会损害其固有的文化。这是中国城市发展的危机。只要不给别人造成困扰,即便行为不端,也应该作为城市的一种魅力接受。举止端庄、文化性应该来自人性,否则,也仅只流于浮夸的虚荣。

上海市内では確かに、パジャマ姿の人をよく見かける。しかし、「パジャマで外出」は、日本人でいう、部屋着やジャージで「ちょっと近所にお買い物」、といった感覚に近い。さすがに、市街地までパジャマ姿で出かける「つわもの」は少ないという。

上海市内确实常见穿睡衣的人。但日本人所理解的“穿睡衣外出”感觉是穿着居家服及运动套衫“去附近买点东西”,穿着睡衣去市区的“强人”很少。