上期小总结:

1.柔らかくする白い錠剤を入れとくね
我认为「柔らかくする」这句话并不是形容药片的,这里应该是一个省略句,其实亚也在上一段开始就写了她股关节的活动情况太好,所以个人认为这里全文应该是「股関節を柔らかくする白い錠剤を入れとくね」

2.またここでもダメと言われはしないか。
希望大家认真看句子,这里的句尾并不是否定句,而是しないか,一种表达轻微感叹的句子,“是不是...呢?”“...了吧!”。前面的またここでも加强语气,「ダメと言われ」应该是被(岡养的人)说不行,表示妈妈的一种担心,和后面一句“可以生存范围越来越小”也前后吻合。 整句意思应该是:这里也快被告知不行了吧!

3.今日で一週間、毎日白い錠剤を飲んだ。
「今日で一週間」猛的一看这句话很容易让人翻译成“从今天开始一周要怎样”但是仔细看后面的「飲んだ」,这里是过去式,所以这句话的意思应该是“到今天为止一周内”

(前情提要:虽然吃药有点效果可是亚也迈步还是费力,面部肌肉也开始僵硬,发音也有了障碍……)

秋の行事

〈文化祭〉
母と妹が見に来てくれた。
I先生が舞台で踊るのを見て涙が出たと母が言う。
「どうして?」
「一生懸命やってたもん。普通の学校だったら生徒だけでやるでしょ。先生が生徒といっしょに真剣に踊っている姿に感動しちゃって、自然に涙がでてきたんよ。そして、猿の役で出てきたリットル氏病のような歩き方をする子がいたでしょう。あの子はああいう歩き方しかできんのに適役だったのか、みんな笑ったでしょ、お母さんはまたなけちゃった」
わたしの泣き虫は、母ゆずりだと思った。
「だけどねえお母さん、四月ごろは、Sちゃんが転んでも笑っているのを見て、うわー超人的だァ、わたしもあんなに強くなれるかなあ、と思ったけど、亜也だってこのごろは転んでも笑えるようになったよ。きっと歩き方を笑ったんじゃあなくて、猿の衣裳を見て笑ったと思うよ」と答えた。

〈体育祭〉
養護学校に、体育大会があるとは思わなかった。
歩けんのにどうやって進行するのだろう(歩ける人のいることや車椅子の存在を忘れていた)と思っていたから......
助け合い、協力し合って、たりないところを補って完成させる、といった充実感があった。重症者の創作ダンスは自分達で考えて作ったものだ。
枯葉が散るところで、ドジなわたしはグループを間違えたうえ、葉を落としてしまった。でも、わたしは懸命に蝶々のように舞っていた(心の中では......)。
現実には、重症者ばかりだもん、きれいにやること自体無理だと思ったが、図書館で ビデオを見た時びっくりした。
きれいにできているではないか!やればできるんだ。
踊りながら仰ぎ見た空のさわやかな青さが、印象に残っている。

阅读笔记: 

ぎょうじ【行事】
仪式;活动

リットル氏病
脳性小児麻痺の別称。受胎から生後4週以内の新生児までの間に生じた、脳の非進行性病変に基づく、永続的な、しかし変化しうる運動および姿勢の異常である。その症状は満2歳までに発現する。進行性疾患や一過性運動障害、または将来正常化するであろうと思われる運動発達遅延は除外する。

どじ
失败;[まちがい]差错;[へまをする]搞糟

秋天的活动

文化节
妈妈和妹妹来看我了。
妈妈说她看到I老师在舞台跳舞不由得流下了眼泪。
我问她“为什么要哭呢?”
妈妈回答说“因为老师太拼命了。一般的学校都是只有学生来表演。老师和学生一起认真跳舞的样子太让人感动了,所以就自然地流下了眼泪。而且还有扮演猴子像小儿麻痹那样走路的孩子吧,他只能这么走路所以这个角色很适合他吗?大家都在笑,这次妈妈却又哭了。”
我认为我这么爱哭都是遗传自妈妈。
我回答到:”但是呢妈妈,四月时,我看到S子摔倒后还在那笑,就在想:哇,她真是超人,我要是像他这么强就好了,现在我也可以做到摔倒以后笑了哦。我想他们肯定不是笑那个孩子的走路方式,而是身穿的猴子衣裳。”

运动会
真没想到养护学校里还会开运动会。
连路都走不了要怎样进性比赛呢?(我忘了有能走路的人和还有轮椅可以用了)
互相帮助,协力合作来弥补不足来完成比赛会让人有一种充实感觉。重症者的舞蹈是我们自己创作的。
在枯叶凋谢的地方,愚蠢的我不但将小组搞错了,还将叶子弄了下来。但是我仍然努力的在像蝴蝶那样跳舞。(在心中)
现实中还是有很多重症者的,我认为我自己是很难出色的完成比赛的,但是当我去图书馆看录象时却吓了一跳。
不是也可以跳得很好吗?只要去做就是可以做到的。
跳舞时仰望看到的蓝蓝透明的天空,给我留下了很深刻的印象。

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