日本の文化芸術は漢字の文化体系の影響を深く受けているだけでなく、中国の儒教と禅の思想が密接に結びついている。

日本的文化艺术深受汉文化体系影响,并与中国的“儒”和“禅”的思想紧密地结合在一起。

現存する資料から、日本はもともと話し言葉だけを持ち、固有の文字を持っていなかったことが分かる。3、4世紀になり、特に応神天皇の時代に、中国や朝鮮半島から日本に渡った「渡来人」が増えるのに従い、中国文化と漢字が日本に伝わった。「日本書記」には、応神天皇16年(285年)に、応神天皇の命を受け、百済の博士・王仁が「論語」と「千字文」の書を携えて日本に渡り、中国の典籍を皇太子に教授すると同時に、日本の皇室に漢字を広め、漢字と儒学の経典が正式に日本に伝わった。これにより、日本人は記録するための道具として漢字の使用を始めた。5世紀の中頃には、日本語の音を表す「仮名」を作り、これが日本独自の文字を創る始まりとなった。

从现存的史料可知,日本最初只有口头语言,没有书面文字,大约在3、4世纪,特别是应神天皇时代,随着从中国和朝鲜半岛移居到日本的“归化人”增多,中国文化和汉字开始传入日本。据《日本书纪》记载,应神十六年(285年),应应神天皇之邀,百济博士王仁携带《论语》、《千字文》到日本,教授太子学习中文典籍,同时在日本皇室推广汉字,汉字和儒学经典正式传入日本。于是,日本人开始习用汉字,把它作为记录的工具。5世纪中叶,日本人开始用汉字作为标记日本语音的音符,这是日本人创造自己本民族文字的起点。

聖徳太子から始まって、日本は度々人材を中国に送り留学させた。天智天皇は662年から672年の間に、唐を手本とした学制を設立し、中央に大学寮(律令制のもとで作られた式部省<現在の人事院に相当する>直轄下の官僚育成機関)を建設した。そこでは漢字の発音や書写、閲読を専門に教え、地方では国学を設立し、学生を募集した。これにより、漢字や中国文化を学ぶ層は貴族全体にまで拡大した。660年に百済が滅亡すると、多くの百済人が日本に流れた。これが奈良時代に唐文化が伝わる大きな要因となった。これにより、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代から江戸時代まで、日本の書風(書道における文字の書きぶり)は等しく中国歴代の書風に影響されてきた。特に日本の官史の登用試験に漢学が適用されたことで、書の良し悪しが、漢学・詩文の習熟度を示すようになった。これにより、書写教育はとりわけ重視され、中央から地方に至るまで官吏の書体は極めて規範的なものに変化していった。

从圣德太子始,日本屡派留学生前来中国学习,继而天智天皇于662—672年间仿唐建立学制,在中央设立大学寮,专门教授汉字的发音、书写和阅读,并在地方设国学,招收学生,教授儒教及汉文经典,使学习汉字和中国文化的范围扩大至整个贵族。660年百济灭亡之后,大批百济人迁至日本,对奈良时代唐文化的输入起了很大的作用。自此,奈良时代、平安时代、镰仓时代、室町时代、安土桃山时代到江户时代,日本的书风均受到中国历代书风的影响,尤其是日本官吏录用以汉学测试为准,而书写汉字水平的高低可以体现汉学诗文的程度,因此使得欲步入仕途的人们对书写教育尤为重视,并逐渐形成了日本从中央到地方官吏的文字书写极具规范性的特点。

明治維新の頃、西洋の科学文化を導入するに従い、伝統的あるいは正統的な書道教育は大きな打撃を受けた。ある書道家は仮名文字の書道に熱中し始め、また万年筆という新しい筆記用具の普及は書道教育の方向性を失わさせた。書写道具の変化は書道の存在意義を問うものであり、万年筆の普及は毛筆の伝統的な地位に取って代わった。

明治维新时期,随着西方科学文化的引进,传统的、正统的书道教育受到了冲击,有些书家开始热衷于假名书法,钢笔这一书写工具的运用也使书法教育走向迷茫,因为书写工具的转变出现了虚无主义的倾向:钢笔的实用,挤走了毛笔的传统地位。

1872年、日本は習字を教育の必須教科とし、書道教育を基礎教育として、独立した教育課程に組み込む学制(日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令)を発表した。これが、日本の現代における書道教育の始まりとなった。

1872年,日本发表了国定学制,把“习字”作为教育中的必要内容,把书法教育列为基础教育,设置独立的课程,开始了日本的现代书法教育。

日本の書道教育体系は整っており、高、中、低の3段階に分かれている。正規教育では、高レベルは教育大学(師範大学)4年制の書道課程、中レベルは中学での書道教育、低レベルは小学校の書道教育だ。このほかにも、非正規の書道教育機関は日本全国に行き渡っており、いたるところに全日本書道連盟やこれに似た各種書道会や書道教室が開かれ、生涯教育としての書道教育の環境が国民に提供されている。

日本书法教育体系完备,分高、中、低三个层次。在正规教育中,高层次包括教育大学(师范院校)本科四年制的书法课程培养,中等的为中学阶段的书法教育,低层次的为小学的书法教育。另外,非正规的书法教育也遍及全日本,全日本书道联盟和各种类型的书道会、书道教室遍地开花,为书法教育成为终身教育提供了条件。

また、日本は書道の基礎教育を重視している。小・中学校はいずれも必須教科として書道課程が行われ、専門に書道を教える教員もいる。日本の小学校の教育段階では、書道は基礎教育における副教科として扱われ、3年から開始し、毎学年30時限の課程を行う。中学では、中学1年時に毎年28時限の課程を、中学2年、3年時には毎学年11時限の課程を行う。高校では、毎学年6時限の課程を行う。小学校と中学の書道の課程は、国語の課程の中に含まれ、高校の書道は芸術の課程の中に含まれる。これは、中国教育部(教育省)「中・小学校の書道教育の推進に関する意見」と大方一致している。

此外,日本对基础书法教育很重视。中小学都有必修的书法课和专职的书法教师。在日本小学教育阶段,书法作为基础教育的次主要课程,从3年级开始,每学年要完成30课时的学习;初中1年级每学年要完成28课时的学习;初中2、3年级每学年要完成11课时的学习;高中每学年要完成6课时的学习。小学和中学的书法课程被安排在国语课程中;高中的书法课程被安排在艺术课程中。大体与我国教育部对于在中小学开设书法课程的意见相类。

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