1890年代の横浜 • 伊勢佐木町二丁目

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伊勢佐木町と賑町の間一帯は、劇場街として外国人には知られていた。1877年(明治10年)頃から、この通りには劇場、茶屋、料理屋が数多くあって、多くの人々が集まって来て明治時代(1868~1912)中期の横浜で最も賑やかな場所になっていた。この写真は、松ヶ枝町(現在の伊勢佐木町二丁目)にあった勇座の辺りの、1887年(明治20年)から1897年(明治30年)当時の様子を見せている。1899年(明治32年)の火事でこの辺りは消失して、全てが永久に姿を消してしまった。

伊势佐木町与赈町之间的一带是在外国人中也颇有名气的剧场街。1877年(明治10年)起,这大街上聚集了众多剧场、茶铺、料理店,人群来往熙攘,成为明治时代(1868年-1912年)中期横滨最热闹的地方。这张照片就展现了1887年到1897年、松枝町(现在的伊势佐木町二丁目)勇座附近的情景。1899年(明治32年),这里由于火灾烧毁,一切都永久地消失了踪影。

1910年代 • 子守をしている子供達

外国人が一様に驚いたのは、この写真のように子供達が自分達の幼い弟や妹を背負って遊んでいたこと。だから、日本の子供達が子守をしている写真や絵葉書は数え切れないほどある。確かにきつい仕事には違いないが、同時に恐らく子供達の間にが生まれ、将来親になるための準備にもなっていただろう。この頃は、日本の親達は自分達の子供をこのように背負うことはなかった。

就像这张照片所示,让外国人无不惊讶的是,孩子们背着自己幼小弟妹玩耍的景象,因此日本的孩子们照顾小孩儿的照片和明信片也数量众多。的确,看孩子并不轻松,但另一方面,这或许是为了让孩子们之间产生深厚的感情,同时为将来为人父母做准备。在当时,日本的父母并不会像这样背负自己的孩子。

1890年代の京都 • 祇園の茶屋

京都の歓楽街祇園を、八坂神社の石段から見た風景。通りの両側には数多くの茶屋が並んでいるが、ここでは客が料理、踊り、音曲などを楽しめた。左側の塔は、1869年(明治2年)にできた弥栄小学校の一部で、見張りと時刻を知らせるのに使われ、二時間おきに見張り塔の太鼓を鳴らした。通りには既に電柱が並んでいる。京都の配電会社である京都電灯会社が操業を始めたのは1889年(明治22年)7月だから、この写真はその後に撮影されている。弥栄小学校の隣、電柱の直ぐ前にはガス灯も見える。京都は急速に近代化している。

这张照片拍摄的是从八坂神社的石阶望下来的娱乐街祇园的风景。道路两侧排列着许多茶铺,客人在这里享受佳肴、舞蹈或小曲等娱乐。我们能看到位于左边的塔,它是1869年(明治2年)建成的弥荣小学的一部分,用于警戒和通知时间,每个两小时,这座监视塔就会鸣响太鼓报时。街道上已经伫立了电线杆,由于京都供电公司--京都电灯会社的开业是在1889年(明治22年)7月,所以这张照片也应该是在此之后拍摄的。在弥荣小学的旁边、电线杆的正前方能看到煤油灯。此时的京都正迅速步入近代化。

1890年代の東京 • 張り見世の中の娼婦達

東京吉吉原の遊廓で、窓の向こうに並んでいる娼婦達。それほど金のかからない娼家では、娼婦達は張り見世と呼ばれた木の格子の後ろに座っていた。海外からの圧力を受けて、娼婦を張り見世に並べることは1916年には禁止された。

照片展现的是吉原的游廓,娼妇们面向木窗并排而坐。在资金不太雄厚的娼家,娼妇们一般会坐在木格子窗的后面,这被称作“张见世”。由于受到海外的抨击,1916年,娼妇并排而坐的“张见世”被禁止了。

1890年代の東京 • 吉原の遊廓

東京の花柳街としてよく知られていた吉原にあった明治時代の遊廓の一つ。女達が窓の中に座っている。

图片上是明治时代的一座游廓,位于以烟花巷著称的吉原。女人们坐在窗格内。

1880年代 • 神主

祭服を着ている一人の神主の、誰が見ても豪華な写真。これは私のコレクションの中で、最も好きなものの一つ。神道は日本で生まれ、元来は極めて地方色の強い信仰の形だった。日本の国自体よりも古く、統一国家ができる前から存在していた。信仰の対象は「神」で、それは先祖、自然物(例えば富士山やある特定の木など)、それに豊饒や成長などの自然現象である場合が多かった。しかし神道を今日の姿にしているのは信仰以上のもので、「清め」と「穢れ」の間の緊張関係、自分達の暮らしや暮らしの場から穢れを払うことを強調していることだった。神道の祭祀は、穢れを払うために行なわれるものが多い。

这是一位身着盛装的神主,任谁看了都是一张豪华的照片。在笔者的收藏中,这是最为喜爱的一个。神道诞生于日本,原本是一种带有强烈地方色彩的信仰形式。它比日本这个国家本身更为古老,早在日本统一国家形成前就已经存在了。神道所信仰的对象就是“神”,在许多场合,它们是先祖、自然物(如富士山或特定的树木),或是丰饶、成长等自然现象。不过,让神道形成今天这个形态的,则是信仰以上的原因,也就是对“洗清”与“污秽”之间的紧张关系,以及从自己生活的地方祛除污秽的强调。许多神道的祭祀都是为祛除污秽而举行的。

1924年 • 家の玄関

着物姿婦人が二人玄関に立っている。この家の持ち主は裕福な家族のようだ。大きな石灯籠があって、玄関の前に広い空間があるので、玄関と門の間も広いようだ。玄関という言葉が最初に使われたのは17世紀で、有力な武士や将軍の住まいにあった門番小屋或いは家臣の部屋から突き出したポーチのようなものだった。それ以外の人々が玄関を作ることは禁じられていた。しかし、18世紀になると裕福な商人や、村の長老、医師や有力な神社の神官などはこの例外とされた。明治時代(1868~1912)になると、このような禁令の多くは廃止されて、玄関を作る家が増えた。

照片中,两位妇女站立在玄关前(正门口)。旁边还有一个巨大的石灯笼,玄关前也留有广阔的空间,玄关与门之间的空间也较宽,看上去,这家的主人应该是个富裕之家。“玄关”这个词的最初使用还是在17世纪,当时,在有势力的武士或将军的宅邸前有看门的小屋或家臣的房间,玄关就类似于从这些房间向外延伸的门廊。而除了武士以外的人则禁止设置玄关。不过到了18世纪,一些有钱的商人、村里的长老、医师或神社的神官等也得到了例外的许可。明治时代(1868年-1912年),这些禁令大多都被废止,拥有玄关的宅邸越来越多。

1910年代の東京 • 銀座

現在の地下鉄新橋駅からそう遠くない場所から、北東に見た銀座の眺め。1903年(明治36年)に初めて開通した市街電車が目の前に写っていて、更に後方にも何台か見える。塔のある建物の前の空いた場所は、新橋。この建物自体有名で、1899年(明治32年)にできた帝国博品館勧工場(現在の博品館)である。この建物の売り物は、現在のショッピングセンターに似て多彩な商店が入居していたこと。一般的に、日本の百貨店の起源だと考えられている。

这是站在地铁新桥车站附近的地方,从东北方眺望的银座一景。首次开通于1903年(明治36年)的市街电车也呈现于眼前,再往后方,还能看到好几辆。在一个建有塔的建筑物前,有一个空出来的地方,这里就是新桥。而这座建筑物本身也很有名,它就是修建于1899年(明治32年)的帝国博品馆劝工场(现在的博品馆)。这个建筑物的特色在于有各类商店的入驻,类似于今天的购物中心。一般认为,日本百货店即来源于此。

1920年代 • お茶を飲む

女性が二人と男性が一人、着物姿で畳の上の座布団に座っている。この部屋は襖で仕切られた広い部屋で、旅館の一室のようだ。男は見事な木製の火鉢で手を温めているが、これは湯の保温に使われたもの。前に座っている女性は、お茶の用意をしているようだ。

照片上,是两个女性和一个男性,他们身着和服坐在榻榻米上的褥垫上。这是一间被隔扇层层分开的大房间,看起来像是旅馆中的一个房间。男人把手放在一个漂亮的木制火盆上暖手,木制火盆用于热水的保温。前面坐着的女性正在准备沏茶。

1880年代 • 駕籠に乗った女性

 

淑やかな装いの女性が、2人の駕籠かきの担ぐ駕籠に乗っている。駕籠かきの髪型と服装は昔からのもので、杖を持っているが、この杖は「息杖」といい、歩きながら息入れする時に使った。駕籠かきは草鞋を履いている。

以上是一位穿着淑雅的女子,她乘坐在两个轿夫肩扛的竹轿里。轿夫的发型和服装都保留着古来的风格,他们手持竹杖,这称为“息杖”,是边走边休息时用的。轿夫们脚上踏着的是草鞋。

1920年代 • 髪をカールする女性

断髪のヘアスタイルの髪をウエーブしている若い日本女性。断髪は1915年にアメリカで有名なダンスホールのダンサーだったアイリーン・キャッスル(1893~1969)が始めた。当時の自由思想の若者達にとってはぴったりで、1920年代には大流行して賛否両論の論議を呼んだ。断髪は現代娘の特徴的な表現となり、日本でもモダンな考えを持った若い女性がこの新しいヘアスタイルを取り入れるのに時間はかからなかった。昔からの日本の髪型に比べると、解放的だっただけでなく手入れが大変容易だった。左の写真は、当時の日本女性に影響を与えたアメリカのヘアスタイルと化粧。

照片中是一位正在把短发烫成波浪形的年轻日本女星。短发始于1915年的美国,著名的舞厅舞女アイリーン・キャッスル首采此发型。短发迎合了当时一些拥有自由思想的年轻人,1920年代十分流行,引起赞许和批评的两极论争。短发成为现代女性的一大特色性表现,在日本,持有现代观念的年轻女性也很快接受了这种全新发型。和过去日本的发型相比,短发不仅减少了拘束,头发的处理也变得非常容易。上面的照片就是当时一位在美国时尚影响下的日本女性正在烫发。

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