前篇回顾:解读日本文化的10个关键词(上)

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義理/1

日本的な情念・倫理の概念は、英語に正確に翻訳することは大変困難です。義理も英語に同じ概念はありません。封建社会の中で形成された義理の概念は、主従、親子、夫婦、兄弟、朋友、(時には敵や取引先)という人間関係の中で最も重視される規範であり、しいていえばこれらの関係の中で恩を受けた相手を思いやりいたわり、時には自己を犠牲にしてまで相手の幸せを実現する決意のことです。

日本式的情念及伦理概念很难用英语准确地翻译出来。在英语中,并没有和“义理”相同的概念。这种义理的概念形成于封建社会时期,在主从、亲子、夫妇、兄弟、朋友、(有时是敌人或顾客)的这些人际关系中是最受重视的规范,勉强给一个解释的话,“义理”是一种决意:对于上述人际关系中有恩于己的人,要时时关照慰问,有时候为了使这个人的幸福,甚至能牺牲自己。

具体的な社会的慣習となって現れる義理は、例えば便り(年賀状など)、贈答(歳暮、中元など)などですが、主体的に行動する場合は、相手が窮地に陥っているときに自己の不利益を顧みず助力することを意味します。

义理成为了一个具体的社会习惯,比如书信往来(贺年片等等)、礼品赠答(年末、中元节等)等等。个人一旦将“义理”付诸行动,就意味着在对方陷入窘境时全力相助,不顾对自己有何不利。

義理/2

この義理が企業社会などで発揮されるときは、もともと封建的な人間関係に基づいた倫理であるため、企業の原理である合理性に反してまで、上司や取引先に尽くすこともありうるのです。これは欧米の経済活動の原理には反するため、日本の経済活動を批判する理由ともなるのです。

义理原本是基于封建性人际关系的伦理道德,因此它在企业社会中发挥作用时就会出现这种现象,个人可能会为上司或客户尽心尽力,甚至到了违背企业原则,与合理主义背道而驰的地步。这有违于欧美的经济活动原理,因此也成为了批评日本经济活动的一个理由。

しかし合理性が単に自己の利益のみを追求しがちであるのに対し、義理のような人間関係重視の行原理は、ビジネス社会の中に相互扶助の概念を導入するという効果もあります。ただし、日本では反近代・反合理主義の民族主義者の中にはやくざも多いため、義理が暴力によって表現されるという場合もあり、これは批判されるべきです。

然而合理主义往往一心追求个人的利益,义理则与此相反,它是一种重视人际关系的道义,具有把互助观念引入商业社会的效果。不过在日本,反近代、反合理主义的民族主义者中存在许多黑道分子,因此义理有时会通过暴力得到实现,这却是应该批评的。

人情

人情とは、ふつうには親子や恋人同士や友人知人などの間に通いあう愛、同情、憐れみ、友情などの人間的な感情をいいますが、日本社会ではもう少し特殊な意味を持っています。人情は義理と対比されることが多く、義理が人に受けた恩義に報いるという人間関係の規範であるのに対し、人情は他人に対する感情の自然な発露です。

人情

人情一般指亲人、恋人或挚友之间相互怀有的爱情、同情、怜悯、友情等与生俱来的感情,不过在日本社会中它还具有一些特殊的含义。人情大多时候都被用于和“义理”作对比,义理是知恩图报的人际关系规范,而人情则是对他人的感情的自然流露。

「人情に厚い」といえば優しく思いやりがある人を指しますが、同時に義理を欠いては社会の成員として一人前とは見なされません。結局、義理と人情は、伝統的に日本の庶民社会の人間関係を律する2大要素でした。もちろん現代社会にも脈々として受け継がれています。

说到“人情味十足”,指的就是和善体贴的人,而与此同时,作为一个社会成员,这样的人或许会给人不成熟的感觉。结果是,义理与人情共同成为规范日本庶民社会人际关系的两大要素,当然,在现代社会也是一脉相承的。

恥の意識は日本人の精神の中核をなすといわれています。これは社会人類学者ルース・ベネディクトが、西洋の「罪の文化」に対して日本を「恥の文化」と規定したことから広がった認識です。西洋では罪という絶対的な倫理基準が人々の行動原理をなしていますが、日本では内的な原理ではなく、外的な恥という感情が行動を律しているというわけです。

“耻”的意识被视为构成日本人精神的核心。这种观点来自社会人类学家本里迪克特,在与西方的“罪感文化”比较时,他把日本的文化定义为“耻感文化”。在西方,“原罪”是绝对的伦理道德基准,成为人们行动的规范,而在日本,行动基于外在的耻辱感,并非出自内在性的规范。

このような単純化にはさまざまな批判があります。西洋人にも日本人と同じ意味での恥の意識はあるし、日本人にも内的な道徳律がある、というわけです。しかし日本人が恥を重視するのは確かです。特に封建時代の武士にとっては、人前で恥をかくことは死に価したのです。

不过,这种观点略显单纯,对此批评也不少,因为西方人也有和日本人相同的耻辱意识,日本人也具有内在的道德。但日本人尤其重视外在的耻辱,这倒也是事实。特别是封建时代的武士,对他们来说,蒙受耻辱就需以死来挽回名誉。

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