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幽玄

ことばの意味には表れなくても、あるいは目には定かに見えなくても、それ故にこそその奥に人間が感じることが可能な美の世界、これが幽玄です。これは、余情を重んじ省略をよしとする日本人の心情の根底に流れている情緒のひとつです。このような情緒は、用いることばの種類や数が限られた中ですべてを表現しなければならなかった短詩形の成立過程にも関係があります。つまり余情を大事にする幽玄の美は、少しのことばで多くのことを考えることが可能なところに成立する美です。従ってすべてを言わずとも相手に通じる、同質の文化を共有する共同体の中でこそ可能となった美の世界であるともいえるでしょう。

幽玄

有一种境界,既不可言传,也无法用双眼准确把握,然而正因如此,在其深处才有一个人可能感受到的绝美境界的存在,这就是“幽玄”。它是流动于日本人内心深处的审美意识之一,讲究余韵,并以精约为美。这种审美观还与日本俳句的形成不无关系,即便是在词语种类、数量都被限制在最小程度的情况下,俳句也能涵盖世间的森罗万象。换句话说,幽玄的美是一种重在余韵的美,只有在用有限的语言表达无限的内容成为可能时,它才会成立。因此可以说,这种美的境界只可能在一个分享同质文化的共同体中存在,在这个共同体中,即便沉默无言,对方也能探知你的心意。

わび・さび

わびもさびも、日本の伝統的な芸術、なかでも茶道や俳句などが目指す究極の美的境地を意味しています。両方ともある種の寂寥感が根底にあり、簡略をよしとし、華美を嫌うという点が共通しています。わびは、静かに澄んで落ち着いた様子を表すもので、主に茶道を大成した千利休が追求した境地です。さびは枯れて渋みがあることを意味し、芭蕉の俳句の理想的境地とされました。彼らは、利害やわずらわしい人間関係から自由となって、自然と一体となった美を追求したのです。

空寂与闲寂

“わび”和“さび”指的是茶道和俳句等日本传统艺术所追求的究极美的境界。两者在以下这些方面都是一致的:以寂寥的情趣为根本,追求朴素简单的美,排斥华美的修饰。“わび”主要是集茶道大成者千利休所追求的境界,表现的是一个静寂、澄明、安详的世界。“さび”则意味着枯淡、古雅,被视为芭蕉俳句的理想境界。他们超然于世,不在乎利害得失与繁琐的人际,追求与自然融合为一体的美。

無常

無常とは仏教の最も大事な世界観の1つで、すべて生あるものは必ず死に、変化しないものはない、という生々流転の認識です。日本では古くから文学の主要なテーマとなり、中世の『平家物語』『方丈記』『徒然草』や江戸時代(1603~1867)の芭蕉の『奥の細道』など、日本の有名な作品の基調をなしています。

无常

无常是佛教最重要的世界观之一。这种思想认为,万物流转不居,一切众生都必然走向死亡,没有永恒不变的事物。在日本,“无常”自古就是文学的主题,成为日本诸多传世文学的根本理念,比如中世的《平家物语》、《方丈记》《徒然草》以及江户时代(1603年-1867年)芭蕉的《奥州小道》等等。

『平家物語』では「……盛者必衰のことわりを表す。おごれるものは久しからず……」と強大な勢力を誇った最初の武士集団、平家が滅亡した物語を語り、『方丈記』では「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず……」と、エッセイの冒頭を無常観から始めています。

《平家物语》讲述了拥有强大势力的首个武士集团——“平家”由盛到衰的过程,它的开篇就写道:“(祇园精舍之钟声、娑罗双树之花色)诉说盛者必衰之理。骄奢者终难长久……”。而随笔《方丈记》也从宣扬无常观开始,“河川流逝不曾归,今日水亦非昔日水”。

間とは時間的休止、あるいは空間的な空白を意味しますが、単なる空白ではありません。伝統的な日本の芸術、特に能、歌舞伎などの演劇、踊り、音楽あるいは絵画などを実践したり批評したりする際のキーワードともなり得る概念です。この間はリズムと呼吸とに大きく関連し、もともと音楽の概念であったものが他の芸術分野に転用されたものです。演劇では余韻を残すために台詞や動作の間におく不動の姿勢となり、音楽では演奏者の解釈次第によって間の取り方が違います。絵画では、何も描かない余白の部分が全体に与える効果が重要です。このように、何もない無が全体の動きや表現に大きな影響を与えるのです。

留白

“间(留白)”指的是时间的休止,也或是空间上的空白,然而这并非是单纯意义上的空白。在传统的日本艺术中,特别是在实践或鉴赏能剧、歌舞剧等戏剧以及舞蹈、音乐、绘画等艺术时,“间(留白)”的概念甚至成为了关键。“间(留白)”和节奏、呼吸息息相关。原本是音乐上的概念,后来扩大到了其他艺术领域。在戏剧中,“间(留白)”表现为演员为留下余韵在台词或动作之间采取的静止姿势,在音乐中,则随着演奏者的不同阐释,对“间(留白)”的也会有不同的理解。而在绘画中,留出大片空白的“余白”部分带给整体的效果也倍受重视。综上所述,空无一物的“无”对全体的动作和表达产生了巨大影响。

恩とは、人から受けた恩恵に対して、社会的、心理的な義務を負うことをいいます。武家社会で主君が従者に土地を与えたことに語源があります。日本の社会は、封建社会を脱してからまだ120年ぐらいの歴史しかありません。基本的には今でも縦社会といえます。そのため、目上の者は目下の者の面倒を公私にわたり見ることが多く、その代わり、目下の者は目上の者に恩を感じて敬意を払い、忠誠を尽くす、という傾向があります。人から受けた恩を忘れることは、倫理上許されません。ただし、他の伝統的日本の心情と考えられるものと同じく、徐々にそのような傾向は薄れつつあることもまた事実です。

对别人施予的恩惠,自己会承担一定社会和心理上的义务,这就是“恩”的观念。它的语源要追溯到武家社会,主君赐予家臣领地,即“封地恩偿”。而日本的社会脱离封建社会也不过才120多年的历史。直到现在,日本社会结构基本上仍属“纵向社会”。因此社会中常常出现这种现象:上司会在工作和个人生活上给予下属关怀,另一方面,下属感受到上司的恩情后,也会对上司充满敬意,竭尽忠诚。在社会常识看来,受恩忘记报恩是难以容许的。不过,和其它那些日本传统观念一样,日本人对“恩”的观念正在逐渐淡化也是一个事实。

根回し

何かを決める際に、混乱を避けて皆の合意をあらかじめ取り付けておくための技術を根回しといいます。このことばの本来の意味は、木を移動させる際に根をあらかじめ切りつめておき、移植を容易にすることでした。

根回(事前沟通)

日本人在将要作出某种决策时,为了避免争论的混乱,往往会事前沟通,使众人意见达成一致。这种方法就叫做“根回”。原本意思指的是搬运树木时先将根部切短,好让搬运进行得更容易。

異なる意見を持った者同士がいきなり会議に集まれば、なかなか意見の一致をみることはできません。しかし根回しをし、あらかじめ意見を調整しておけば、会議で無駄な時間を浪費することなく結論へと至ることができるのです。しかしこれが政治の場で行われるときには、国民には見えないところで政策が決定される恐れがあり、民主主義的ではないという批判もあります。

若是持不同意见的人突然坐在一起开会,就很难讨论出一致的意见。然而如果事先进行疏通,调整了各方意见,就能很快得出一致的结论,无需在会议上白白浪费时间。不过,这种方法在用于政治决策时,难免会被批评为非民主主义,因为政策很可能在国民不知情的情况下就被决定出来。

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