☆花蘇芳(はなずおう)|紫荆

花蘇芳に関しては面白い表現を見つけました。「風の日や 煤ふりおとす 花蘇芳」滝井孝作という人の俳句です。花の散る様子を「煤ふりおとす」と表現したのですね。実にユニークな表現だと思います。

紫荆花有个比较有趣的表现方式,是滝井孝作的俳句「風の日や 煤ふりおとす 花蘇芳」(编者试译:起风之日啊 如被掸去的煤尘 是紫荆凋落)。他用“煤ふりおとす”来表现紫荆花落的样子,真可谓匠心独运啊!

☆ゆすらうめ|毛樱桃

ゆすらうめを題材にした句には万両に ゆすらの花の 白き散る」正岡子規の句ですが、「白く散る」という表現をしています。

正冈子规有俳句是以毛樱桃为题材的「万両に ゆすらの花の 白き散る」(编者试译:朱砂根之花 与毛樱桃花一齐 落下一片白)。其中用到了“白く散る”一词。

☆枳殻(からたち)|枸杞

「こぼれる」の表現をまた、見つけました。枳殻の花です。「家鴨等に 枳殻の花の こぼれけり」江戸時代末期の俳諧なのですが、「こぼれる」と表現していますね。

用来描述枸杞之花凋落的表现,有“こぼれる”(谢、凋)。江户末期的俳谐中有这样的表现:「家鴨等に 枳殻の花の こぼれけり」(编者试译:家鸭齐聚来 看闻枸杞子之花 已飘零一地),里面就是用的“こぼれる”来修饰。

山吹|棣棠花

山吹もまた古くから歌に詠まれてきた花です。「ほろほろと 山吹ちるか 滝の音」松尾芭蕉の句です。「ほろほろと散る」と表現しています。表現としては目新しいものはないのですが、正岡子規もまた次のように詠んでいます。「山吹や 小鮒入れたる 桶に散る」
もう一つ、時代は前後しますが、面白い表現を見つけました。「山吹や 井手を流るる 鉋屑」 与謝蕪村の句です。山吹の散るさまをかんなくずにたとえているのです。ああ、これもユニークな表現ですね。

棣棠花是古来就一直被和歌总传颂的花之一。其中松尾芭蕉的俳句:「ほろほろと 山吹ちるか 滝の音」(激湍漉漉,可是棣棠落花簌簌)。“ほろほろと散る”来表现棣棠花落之景,表现上没有让人耳目一新的地方,但是却不乏贴切。接着来看看正冈子规的:「山吹や 小鮒入れたる 桶に散る」(编者试译:棣棠花落 同小鲤鱼一起 落在桶中( ̄_ ̄|||) 真心不会了……)
接着差不多同时代的另外一位大师——与谢芜村有一句颇为有趣: 「山吹や 井手を流るる 鉋屑」(编者试译:棣棠花飘零 落入水上渠道中 似刨屑飞溅)这里是把棣棠花落比作刨屑飞散,也着实让人眼前一亮啊!

☆椿|山茶花

椿はやはり「おちる」なのでしょうね。「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」河東碧梧桐の超有名な句ですね。しかしながら、「散る」という表現がまったくないかというとそういうこともなく、次の例があります。「ちり椿 あまりもろさに 続て見る」芭蕉の門人、志太野坡の句です。散る椿を「ちり椿」と表したのですね。この表現も素敵です。

用来描述山茶花凋落的一般还是用“おちる”(凋落、凋零)。河东碧梧桐的名句 「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」(红茶花 白茶花 地上落花。)。但也不能说绝对不能用“散る”(落、谢)。比如说芭蕉的徒弟志太野坡的一句:「ちり椿 あまりもろさに 続て見る」(编者试译:落山茶花 太过娇艳 不忍移目 (┳_┳)... 再次无力),用“散る”来修饰山茶花,将山茶比作“ちり椿”(落山茶花),这样的表达也是很美的。

编者注:其中有关和歌和俳句的翻译,只是提供给大家提供一个对这些和歌和俳句内容最基本的了解,更多专业的用词和感情由于小编水平有限就无能顾及,大家有兴趣的同学可以试着翻译交流。其中河东碧梧桐的名句 「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」(红茶花 白茶花 地上落花)的翻译见沪江花花俳句赏析

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