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1冊で5年間の用に立つ日記帳を使ってきた。横罫(よこけい)で1ページを5段に分け、昨年の今月今夜、一昨年の今月今夜に何をしていたかが一覧できる作りである。きょうの欄を埋めると、1冊が終わる

我的这本日记帐一共用了5年。以横格的方式将1页分成5段,作成了一览就知道去年的今天,前年的今天在干什么的格式。将今天的这一栏也填上后,这册日记帐就用完了。

1日分が数センチ幅だから、その日の「編集手帳」で何を取り上げた、誰それに会った、どこで食事をした…と、多くは走り書きのメモである。酩酊(めいてい)して筆をとった日は読み返して判読不能の文字が少なくない

由于一天的日记只有数厘米的篇幅,所以许多都是匆忙书写的便条:比如那天的‘编集手帐’上摘取了些什么,与谁见面了,在哪里吃饭了……之类的。酩酊大醉后写的日记中有不少是重读却无法辨认的文字。

石川啄木に「Yといふ符牒(ふちょう)/古日記の処処にあり――/Yとはあの人の事なりしかな」という歌があったが、おのが日記を眺めて首をひねるのは誰にもあることらしい

石川啄木写过这样一首和歌“以前的日记中/处处都有Y这个符号——/Y就是指那个人吧”,一边看着自己的日记一边百思不得其解的经历好象是谁都有的吧。

どんな恥ずかしいことがあったのか、「ギャー」という意味不明の一語だけの日もある。悔いの種をまき散らし、片っ端から忘れていく。つくづく馬鹿(ばか)だなあと、日記をひらいての感慨はいつも変わらない

也许发生了难以启齿的事情,也有一些日记只写着“吱---”这一意思不明的词儿。播撒懊悔的种子,然后依次将之遗忘。真是傻瓜啊——每次打开日记,总生如此感慨。

読者のお宅でも机の上には、きょうで役目を終える日記帳の隣に真新しい1冊が並んでいるかも知れない。あすからのために10年使える日記帳を買った。それが終わる2017年の暮れ、日本はどういう国になっているだろう

读者家里的桌子上,今天终于要结束使命的日记帐旁也许也摆放了一本全新的吧。我买了一本打算从明天开始使用10年的日记帐,那本结束的话是要2017年的年底了,那时候日本将成为怎样一个国家呢?

10年とは言わないまでも、来年1年が皆さんにとって、また小欄にとっても、読み返して「ギャー」のない歳月であることを祈っています。「ヤッター!」の五つ、六つをちりばめて

不要说10年了,我希望明年对于大家以及本栏来说,是之后重新阅读也不会有感慨“吱---”这一词语的岁月。希望能写上5个,6个‘太好了’。