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紀貫之の筆になる古今和歌集の序文(仮名序)に、よく知られたくだりがある。「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ…」るのが歌であると

在紀貫之所写的古今和歌集的序文中有一段非常有名。那一段是"无需用力,即可动天地、感鬼神..."者,和歌也.

世に名歌の誉れ高い歌は数あれども、天地を動かし、鬼神の涙を誘う歌となれば、そうたくさんはなかろう。仮名序の一節を目にするたびに思い出す窪田空穂(うつぼ)の一首がある

虽然社会上有名的和歌中受赞誉的不少,但若是说到能够惊动天地,诱哄鬼神哭泣的和歌的话,就没有那么多了吧。每次看到序文的这一段我就想起窪田空穂的一首和歌。

「親といへば我ひとりなり茂二郎 生きをるわれを悲しませ居よ」。シベリアに抑留され、飢えと病気で死亡した二男に呼びかけた歌である。悲しむ以外に、親としてお前に愛情を注ぐすべはない。いつまでも悲しませてくれ、と

"说是你的父亲/我的孤身一人的茂二郎啊/让活着的我悲伤不已吧",这是呼唤他被扣留在西伯利亚,因为饥饿与疾病而去世的二儿子的和歌。除了悲伤,作为父亲,我无以对你倾注爱情。就让我永记悲伤吧。

空穂は1877年(明治10年)、長野県に生まれた。国文学の教授として早稲田大学の教壇に立ち、1967年(昭和42年)に89歳で亡くなる。今年は生誕130年、没後40年の節目にあたり、生地では記念の催しも開かれている

空穂1877年(明治10年)出生于長野県。作为国文学的教授站在早稲田大学的讲台上,1967年(昭和42年)以89岁高龄去世。今年正值他诞辰130周年,去世40年,在他的出生地举办了纪念活动。

関東大震災の後、空穂は瓦礫(がれき)の荒れ野となった東京の街をさまよい歩いた。「梁(はり)の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後(のち)も聞く親」。これも鬼神が涙する歌に違いない

关东大地震之后,空穂在成为废墟荒野的东京街头徘徊。“之后父母也会听到从断梁下的火中传来的女儿的哭救声”。这肯定也是鬼神哭号的和歌。

地震や火事に限るまい。病気であれ、交通事故であれ、子に先立たれた親の耳から、助けを求める声が消えることはないだろう。悲しむ人の傍らに、いつもそっと立っている歌人である。

这不只限于地震以及火灾。无论是疾病也好,交通事故也罢,在孩子比父母先辞世的家长的耳中,求助的声音是永远都不会消失的吧。他是一位在悲伤的人身边,一直悄悄站立着的和歌作者。