选自《精彩日文晨读II-触动心底的幸福》
ビーナスの腕 ミロのビーナスには腕がない。作られたときはちゃんと両腕があったに違いない。 それなのに、今では両腕のないあのビーナスが、そのままで美しく、かえって完璧な美しさのように認められている。むしろ両腕がついていたら、これだけ人々の印象に残らなかったかもしれない。 両腕が欠けていることに、何の奇異も感じられないところに芸術と現実との大きな違いがあるようだ。 もし生身の人間が、あの彫刻のように両腕がなかったら、「なんて痛ましい、恐ろしい」と直視するに耐えないことになるだろう。「なぜ腕を切り落としたのだろう。どんな事故で、あのように無残な姿になったのだろう」と、憐憫の的になるだろう。ところが、ビーナスの石像について「ああ、お気の毒に」と思う人はいない。ミロのビーナずの美しさは、むしろ両腕のないところにあるのだ、という人もいるのだから、妙なものだ。 やはり芸術と現実とはもともと全く別なものなのだろう。 極端なことを言えば、肖像画を見て「胸から下がない、痛ましい」とは誰も言わないだろう。彫刻も同じことで、頭像を見て、「頭から下がない」と怒る人はいない。 普段、少しも奇妙な感じがしないし、無気味にも思わないのだが、ふとそのことが気になりだすと、誠にこれは一大事のように思うことがある。 馬鹿なことを考えていると、一笑に付されるだろうが、これは一体何故なのだろうと、私は引っかかる。 芸術と現実は、別なもの、関係はないと簡単に片付けられているが、私はそこに何か私の知らない何かが存在するように思う。 ミロのビーナスを目に浮かべながら、私はそんな堂堂巡りをしている。
维纳斯的断臂 米洛的维纳斯没有手臂。当初雕作的时候,肯定是有的。 然而,现在却没有了。虽说如此,断臂维纳斯却因她残缺的“完美”而为世人所知。或许,如果她双手完好无缺的话,反而不能给人们留下如此深刻的印象。 虽说缺失了双臂,却没有给人一点异样的感觉。这大概就是艺术与现实的不同吧。 如果一个活人,像雕刻那样失去了双臂,那将是一件多么令人心酸的事情,一定没有人忍心直视。人们会不禁怜悯地想,“怎么会这样呢,是遇到了什么事故才变成这个样子的吗?” 然而,面对断臂维纳斯,却没有一个人会同情她的“遭遇”。 相反,还有人说,维纳斯之所以美丽,就在于她没有了双臂。这是多么奇妙的评论啊! 或许,艺术与现实本来就是两回事儿吧。 举个极端的例子,当看到肖像画的时候,绝对不会有人说:“这人怎么没有身子啊,太惨不忍睹了。” 雕刻也是一样,看到头像雕塑,有谁会因为头雕只有脑袋而悲愤不已呢。 平时也没有想过太多,只是觉得理所当然。但是突然间这么一想的话,倒真觉得其中有些大道理。 觉得这样的想法愚蠢可笑,便可一笑而过。但是,我却对此耿耿于怀。 如果简单的认为,艺术与现实本就是不一样的,没有任何关系的话,倒也不是说不过去。但是我总觉得,还有一些未我所不知的原因在里面。 米洛的断臂维纳斯浮现在眼前,我浮想联翩。