丰田汽车的创始人,丰田佐吉小时候的故事.....沪江只让传3M,我已经降低了采样率,还是超过了3M,只好分成上下集了
佐吉はそう思いながら、はたおり機の動きをじっと観察しました。 (手を、上に、下に、左に、右に。・・・なんだ。布をおるのは意外と簡単だな。これを自動で出来れば、もっと簡単に、もっとたくさんの布がおれるかもしれないぞ)  手先が器用で、大工としてもなかなかの腕前だった佐吉は、その日からはたおり機を改良して、なんと自力で、足ぶみ式のはたおり機を作りあげたのです。 「どう、お母さん」  佐吉が作ったはたおり機を動かしたお母さんは、びっくりです。 「えー、これは前よりずっと楽だし、たくさん布がおれるわ。佐吉、ありがとう」 「えへへ。こんなのはまだまださ。もっともっと改良して、自動で布がおれるはたおり機をつくってやるよ。僕の夢はね、このはたおり機で、お母さんも、村のみんなも、そして日本の人たちみんなを、もっと楽にすることさ」  その言葉通り、佐吉は足ぶみ式のはたおり機を何十年もかけて改良していき、ついに六十才の時に、完全全自動の『豊田式自動はたおり機』を完成させたのです。  これは、日本が世界に誇る大発明です。  その後、佐吉は『豊田式自動はたおり機』の特許権を売った資金で息子に国産自動車の開発を始めさせました。   これが現在のトヨタ自動車株式会社の始まりなのです。