12月9日に皇后雅子さまが還暦を迎える。心身の不調を抱えて、長い間、苦しい闘いを続けてこられたが、12月8日発売の「文藝春秋」2024年1月号では、平成の時代から雅子さまのご様子を見続けてきた宮内庁幹部がその実情を本誌取材班に語っている。

12月9日,日本雅子皇后迎来还历之年。常年来,雅子皇后身心疲累,一直与苦痛作斗争。在12月8日发售的《文艺春秋》2024年1月号中,一位自平成时代起,见证了雅子皇后一路走来的样子的某宫内厅干部向杂志采访组袒露了实情。

皇室という場所は個人の人権が一切守られていない

皇室这个地方完全无法保护个人人权

雅子さまは2003年に帯状疱疹を発症され、2004年には「適応障害」という病名を発表。公務をお休みになることも多く、長い療養生活を送られてきた。

2003年,当时还是太子妃的雅子患上带状疱疹,2004年宣布患上“适应障碍症”。之后她不常出席公务,过着漫长的疗养生活。

だが、天皇陛下が即位されてから5年が経った今、お出ましの機会が増えており、ご体調はかなり回復されているという。今年6月には約21年ぶりの国際親善としてインドネシア訪問を果たされ、その後も「全国豊かな海づくり大会」や「特別国民体育大会」「国民文化祭」などへのご参加のために全国各地を精力的に回られている。

不过,自天皇陛下即位已经过去5年,如今雅子皇后外出机会增多,身体也恢复得不错。今年6月还友好访问了印度尼西亚,这是雅子皇后时隔约21年的国际友好交流活动,之后还走访全国各地,出席了“全国丰饶海祭大会”、“特别国民体育大会”、“国民文化祭”等活动。

ここまでの長い道のりを振り返り、宮内庁幹部はこう明かした。

回顾一路走来的漫长道路,这位宫内厅干部说:

「個人の人権が一切守られていないのが、今の皇室という場所です。選挙権や戸籍も無く、職業選択の自由や信教の自由も持たず、財産権も制限されている。どこへ行くにも側衛官が付き、何をするにも両陛下や警察庁長官、そして総理大臣に逐一報告されてしまう。皇族方は、監視下での生活を余儀なくされています。赤坂御用地や御所など、高い塀に囲まれた空間で、幽閉されているのと同じです。

“如今的皇室,是一个完全无法保护个人人权的地方。没有选举权,没有户籍,也没有选择职业的自由和宗教信仰的自由,连财产权都被限制了。无论走到哪儿都有侧卫官跟着,无论做什么都要向两位陛下、警察厅长官以及首相一一报告。每位皇族都不得不在这样的监视下生活。生活在赤坂御用地和御所等被高墙围住的空间里,就如同被幽禁。”

現在、17人の方がいらっしゃる皇族の中で、精神面で鬱的な状況に陥っていない方は、一人もいません。皆さま、それを押し隠して公務や儀式に臨まれている」

“现在,17位皇族当中,完全没有精神方面抑郁情绪的,可以说一个都没有。大家都是强压着这种情绪在出席公务参加仪式的”。

雅子さまが現在に至るまで抱く問題意識

雅子皇后至今依旧抱有的质疑意识

煌びやかな生活を送っているかのように見える皇室には、実は「人権侵害」が蔓延っているという。そして、皇族の中で人権侵害を一身に受け続けてきたのが、雅子さまだという。

看起来生活华丽高贵的皇室中,实际上四处蔓延着“人权侵害”。而皇族之中,一直遭受着这样的人权侵害的,就是雅子皇后。

「1993年に雅子さまは今の天皇と結婚されて皇室に入られたが、当時は、今以上に人権擁護など考えられない組織でした。体調が悪くても『公務に出るのが当たり前』と言われて、無理を押してご臨席され、なかなかお世継ぎが出来なかった時期には、『早く。国民が待っているから』と批判される。これらは人権侵害以外の何ものでもありません。

“1993年,雅子与当今天皇结婚成为皇族,当时的皇室比现在更不注重人权保护。即便雅子身体不适,依旧被要求‘出席公务是职责所在’,强行让雅子出席,在雅子迟迟未能诞下子嗣时,又遭到各方‘快点,国民都在等着’的批判。这不是人权侵害是什么?”

雅子さまはハーバード大学、東大、外交官という華々しい世界を歩まれてきましたが、突然、皇室に入られた。そこで人権が侵害されている状況を目の当たりにするわけで、雅子さまは、『一体、どうなっているの?』と強い疑問を抱かれたのです。

“雅子皇后在哈佛大学、东京大学求学,又当过外交官,见识过丰富多彩的世界,突然嫁入了皇室。在皇室里看到了各种侵害人权的事情,她也非常怀疑:‘到底是怎么了’?”。

そんな皇室の環境に馴染めなかったからこそ、『適応障害』と診断されることになった。雅子さまは現在に至るまで、一貫して『皇族は人権が守られない立場でよいのか』という問題意識を抱いていらっしゃる。ご結婚されてから、ずっと戦い続けてこられたのです」(同前)

“由于不适应这样的皇室环境,所以才被诊断为患上‘适应障碍症’。直到现在,雅子皇后一直抱有‘皇族人权得不到保护真的好吗’的质疑。结婚后,她一直在为此作斗争”。(同上)

適応障害を発症後、主治医のもとで療養生活に入られることに

患上适应障碍症后,在主治医的指导下开始疗养生活

「お世継ぎ」を生むことへのプレッシャーに苛まれ、疲弊された雅子さまは、2003年12月には「帯状疱疹」を発症され、宮内庁病院に入院。その後、雅子さまは「適応障害」と診断され、主治医で精神科医の大野裕氏のもとで療養生活に入られることになる。

承受必须诞下“子嗣”的巨大压力,雅子疲累不堪。2003年12月,她患上“带状疱疹”,到宫内厅医院入院治疗。之后,雅子被诊断患上“适应障碍症”,在主治医精神科医生大野裕的指导下开始疗养生活。

公務の際には「体調を考慮したうえで参加を検討」という留保が付くようになり、欠席される機会も増えた。毎年のお誕生日に発表される雅子さまのご感想の文書にも、〈お医者様のご指導の下で快復に努める〉という文言が、頻繁に記載されるようになった。

在公务活动上,保留了“在对身体情况进行评估后商讨能否出席”的要求,雅子也经常不再出席活动。每年雅子生日的感想文书中,“努力在各位医生的指导下尽快恢复健康”的话语也频繁出现。

2005年からは、雅子さまの誕生日文書と同時に「東宮職医師団見解」という文書も公表されてきた。医師たちが専門の立場から、雅子さまのご病状を説明するものだ。

自2005年起,“东宫职医师团见解”文书也会和雅子生日感想文书一同公布。从医师们的专业角度来对雅子的病情进行说明。

文章の最後に書かれた、雅子さまの“内なる叫び”

雅子皇后写在文章最后的“内心的呐喊”

「雅子さまは、どうしても行事を欠席せざるを得ないほど、体調が深刻な時が多々ありました。ですが、せっかく招いてもらっている身で、自ら断るわけにはいかない。また、政府が主催する行事に、なかば強制的に参加させられる場面もある。皇族方はまるで操り人形のように振舞わなければならず、『人権が無視されている』と感じるような耐え難い状況です。それでも雅子さまは、自分の意思で拒否するわけには到底いきません。そんなことをすれば『税金泥棒!』と批判が殺到するでしょう。ですが医師たちの判断であれば、いわばお墨付きを得る形で、何とか欠席できるわけです。

“雅子皇后的身体状况经常严重到难以出席仪式活动。但好不容易邀请的贵宾,又不能自己再拒绝。另外,有些政府主办的活动也会强制要求皇室参加。皇族就像提线木偶一样,一言一行都被操控,处于一种‘人权遭到无视’的痛苦境遇。但即便如此,雅子皇后还是不能按照自己的想法拒绝出席。因为这样做的话就会被国民疯狂批判‘税金小偷!‘。但如果是医生给出的意见,可以说能的受到国民的认可,这样她才好拒绝活动安心养病”。

『東宮職医師団見解』の文書作成にも、実はすべて雅子さまご自身が関わっています。文章の最後に必ず書かれている『温かい目で見守っていただきたく』という文言は、雅子さまの“内なる叫び”なのです。

“其实雅子皇后自己也参与了‘东宫职医师团见解’文书的起草。文章最后一定会加的这句‘请大家温暖守护我’,也是雅子皇后‘内心的呐喊’。”

大野医師や東宮職医師団とのこうした緊密な体制は、雅子さまが皇室内で生き延びていくために必要なものだったと言えます」(同前)

“雅子皇后与大野医师以及东宫职医师团的这种紧密关联的体制,是她在皇室中继续生存下去所必不可少的”。(同上)

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