日语文学作品赏析《映画と生理》
この訓戒はこの学者の平生懐抱するような人生哲学からすればきわめて当然な訓戒として受け取られるのであるが、これとは少しちがった種類の哲学の持ち主であるところの他の学者に言わせると、それと反対に「映画でも見ないと頭がかたくなっていけないから時々見るほうがいい」とも言われうるからおもしろいのである。
それはとにかく、自分の関係している某研究所で時々各員の研究の結果を発表するための講演会が開かれる。その会の開催前になるとやはりどうしても平生よりは仕事が忙しくなって何かとよけいに頭を使う。そうしていよいよ当日の講演会に出て講演したり討議したり、たとえ半日でもとにかく平生とは少しちがった緊張興奮の状態を持続したあとでは、全く「頭がかたくなった」といったような奇妙な心的状態に陥ってそれが容易には平常に復しないで困ることがある。今まで注意を集注していた研究事項の内容がひとかたまりになって頭の中にへばりついたようなぐあいになってそれがなかなか消散しない。用がすんだら
ちょっと考えると、たださえ頭を使い過ぎて疲れている上に、さらにまた目を使い耳を使いよけいな精神的緊張を求めるのであるから、結果はきわめて有害でありそうにも思われるであろうが、事実は全くその反対で、一、二巻のフィルムを見ているうちに、今まで頭の中に固定観念のようにへばりついていた不思議なかたまりがいつのまにか朝日の前の霜柱のようにとけて流れて消えてしまう。休憩時間に廊下へ出て腰かけて
このような不思議な現象は自分の想像によると半ばは心理的であるが、また半ばは全く生理的のものではないかと思われる。と言うのは、たとえばこんな空想も起こし得られる。学問の研究に精神を集注しているときは大脳皮のある特定の部分に
これは全くの
これとは話が変わるが、若い人にはとにかくとしても、もはや人生の下り坂を歩いているような老人にとっては、映画の観覧による情緒の活動が適当な刺激となり、それが生理的に反応して内分泌ホルモンの分泌のバランスに若干の影響を及ぼし、場合によってはいわゆる起死回生の薬と類似した効果を生ずることも可能ではないかという、はなはだ突飛な空想も起こし得られる。
内分泌の病的異常が情緒の動きに異常な影響を及ぼす一方で、外的な精神的の刺激が内分泌の均衡に異常を生じうることも知られているようである。映画の場合でも、官能の窓から入り込む生理的刺激が一度心理的に翻訳された後にさらにそれが生理的に反応する例も少なくないようである。最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるような場合もあるであろう。
それとほぼ同じようなわけで、もはや青春の活気の源泉の枯渇しかけた老年者が、映画の銀幕の上に活動する花やかに若やいだキュテーラの島の歓楽の夢や、フォーヌの午後の甘美な幻を鑑賞することによって、若干生理的に若返るということも決して不可能ではないように思われる。ことに、年じゅう研究室の奥にくすぶって人間離れのした仕事ばかりしているような人間にはそうした効果が存外に著しいかもしれないと思われる。昔の人間でも
兵隊の尿の中から、回春の霊薬が析出されるそうであるが、映画で勇ましい軍隊の行進や戦闘の光景を見たり、またオリンピック選手やボクサーの活躍を、見たりしているといじけた年寄り気分がどこかへ吹っ飛んでしまってたとえ一時でも若返った気分になることはたしかである。それが単に主観的な気分だけではなくて、生理的客観的にも若返る証拠と思われるのは、そういう映画を見たあとで鏡に映った自分の顔をながめて見るとひどく若々しく見えることが多い。少なくも半日研究室で仕事に没頭したあとで鏡の中に現われる自分の顔に比べるとまるで別人かと思われるように顔の色もつやもよく、顔全体の表情が明るく若やいで見えるのである。これは自分でそう感じるだけでなく、人が見てもそう見えるそうであるから実際客観的生理的に若干の差違があることには間違いないと思われる。
しかし、自分の場合にそうであるとしても、すべての老人にそうであるかどうかそれはもちろんわからない。それで、多くの人の実例について確かめない以上、以上の所説はなんら科学的の価値をもたない空想に過ぎないのであるが、しかし「映画の生理的効果」という一つのテーマを示唆する暗示ぐらいにはなるかもしれないのである。
もしも自分の以上の空想が多少でもほんとうに近いとすると、若い青年男女に対する映画の生理的効果を研究するのは将来内務省か文部省かのどこかの局ないしは課で取り扱うべきだいじな仕事の一つになるかもしれないのである。
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