日语文学作品赏析《「文壇波動調」欄記事 (その三)》
×
此の欄で自分のことばかりいつては叱られるかも知れないが――
去年は丸半年を病床で過した。今迄は、病気で寝てゐるといふことが何もしなくてもいいことでありしたがつて自分の空想癖を満足させるのに最も都合のよいことであつたのだが、今度は、どういふものだか絶えず脅迫観念におそはれて云はば、病気を――少くとも病気で寝てゐる間を――利用することが全く出来なかつた。その上神経が恐ろしく疲れてゐる。頭がからつぽだといふのはかういふ時をいふのだらう。何もいふことがない、それはくだらないことしかいへないよりも更にもどかしい。
×
年末年始の日記を書けと云はれたが、これも書く気がしない。かうして口授筆記をさせながら自分の云つてゐることが果して自分の考へてゐることかどうかをさへ疑ひたくなる位だ。といふのはつまり何か云ふために考へることの馬鹿々々しさを今更ながら痛感したわけだ。
×
先日ラヂオで拙作「紙風船」を放送した。僕は今寝てゐる離れから、蒲団に寝たまゝ戸板の上にのせられて、ラヂオを引いてある母屋に、わざわざ聞きに出掛けた。ラヂオで脚本の朗読を聴くのはこれがはじめてだつた。
×
ラヂオ劇の専門的考察は別として、演出者があの戯曲をあゝいふふうに解釈してゐるといふ一点だけで、僕は大いに教えられるところがあつた。あゝいふ読み方しかされない位なら、ああいふものを書くんではないとさへ思つた。(以上岸田)
声明:本文内容均来自青空文库,仅供学习使用。"沪江网"高度重视知识产权保护。当如发现本网站发布的信息包含有侵犯其著作权的内容时,请联系我们,我们将依法采取措施移除相关内容或屏蔽相关链接。
- 相关热点:
- 日文邮件