日语文学作品赏析《人間惡の創造》
此頃延原氏本によつて、すつかり忘れてゐた老先輩にめぐり遇つた樣な喜びを與へられてゐる。これに同感を表しておいでの同年輩の方も、多いことゝ考へる。かういふ風に、舊相識の書の復習を樂しんでゐる私には、漠としたものだが、心を掠めるどいるに對する感謝の心がある。
話の口ならし、手品の手ならし見たやうに、
戰爭後
江戸川さんが、殆何も書かなくなつたのは、色々な理由の上に、更に、かう言ふ風潮に對するあきたらなさが、心を重くしつゞけてゐるのであらう。かつ/″\聞えて來る歐米の探偵物の傾向が、かう言ふ風を益助長した爲に、現實と探偵小説は非常に離れて來た。これは今の中に、何とかしてなければならない世界的の事實らしい。事實じようだんぢやないと言はずに居られないやうな殘虐や、詭計がみなぎつてゐる。實際かういふ小説の愛讀者は、木々さんの持説のやうに、推理が文學から逸出しても、問題にしない癖がついてゐる。だから何處までゆくか限度が知れない。若い時代の我々が、どいるに微かな感謝を抱いてをつたのは、間違ひではない。時々これがまあどいるかと思はれるやうな血の小説もあるが、同時に多く彼は甚屡、神の如き反省をしてゐる。
神だつて人を憎む。寧、神なるが故に憎むと言つてよい。人間の怒りや怨みが、必しも人間の過誤からばかり出てゐるとは限らない。而も度々、おそらく一生のうちに幾度か、正當な神の裁きが願ひ出たくなる。かう言ふ時に、ふつと原始的な感情が動くものではないか。多くの場合、法に照して、それは惡事だと斷ぜられる。併し本人はもとより彼等の周圍に、その處斷を
こと/″\しく言ふ程のことではないが、ほうむずの據り所になつたもでるがあるにしろ、此神の如き素人探偵の持つた特異性は、いつも固定してゐない。人間の生き身が常に變化してゐるやうに、ほうむずは、生きて移つてゐる。而も彼の特異性が世間にはたらきかけて、犯罪を吸ひ寄せ、罪惡を具象して來る。さうして恰も神自身のやうに、犯罪を創造して行く。彼の口は、皮肉で、不逞な物言ひをするに繋らず、犯蹟を創作する彼の心は、極めて美しい。ほうむずを罪惡の神のやうに言つた風に聞えれば、私の言ひ方が拙いので、世の中の罪が彼の氣稟に觸れると、自ら凝集して、固成しないではゐられなくなる。そして次々に犯罪を發見し、又それ自身眞に、その罪惡と別れてゆく。
彼が往々事の起る前兆の樣に行つてゐる化學實驗――それは、さう言ふ殆空虚な、靜まりきつた氣雰の中に、世間犯罪の凝集して來るのを待つてゐるものゝやうにしか思はれない。だから、ほうむずの物語は、どいるの行ふ鎭魂術であつたと言つてもよい。
どいるの創造した異質的な義人も、民情の違つた他國では、其點は認められてゐないやうだ。海を渡つて、あるせいぬ・るぱんに戰ひを挑みに來るへるろつく・しよるむすに到つては、唯二人の魔法使ひが術比べの場を
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