高級デパートが立ち並ぶ東京・銀座の交差点に立ち、托鉢(たくはつ)修行を続けた僧侶が新型コロナウイルスに感染し、1月18日に帰らぬ人となった。かつてミュージシャンを夢みて渡米。仏門に入ってからは多くの人の悩みに耳を傾け、東日本大震災の被災地で祈りを重ねた。交差点には多くの花束とともに、「優しく美しい人」と故人を惜しむ張り紙が残されている。

一直站在高级百货林立的东京银座十字路口托钵修行的僧人因感染新冠肺炎于1月18日离世。他曾怀揣成为音乐人的梦想前往美国,皈依佛门后倾听了许多人的烦恼,多次前往东日本大地震灾区祈福。在银座的十字路口摆放了许多祭拜花束,还有写着“温柔美好的人”表达对故人缅怀的纸条。

*托鉢(たくはつ):托钵是一种修行的形式,舍弃不需要的衣、食、住来修练身心。因此托钵乞食。

亡くなったのは、2010年8月から街角に立ち続けた真言宗の僧侶、望月崇英さん(66)。生前、背筋を真っすぐに伸ばし、静かな声で「世界の平和、皆の健康と平等を祈る。」と語っていた。「真夏は汗で足袋がぐっしょりだった」と高校の同級生高田顕司さん(67)。冬はカイロで寒さをしのいだ。

离世的是从2010年8月开始一直站在银座街角祈福化缘的真言宗僧人望月崇英(66岁)。生前,他一直挺拔站直,轻声祈祷着“愿世界和平,众生健康平等”。他的高中同学高田显司(67岁)表示:“真夏时他的袜子都会被汗水浸透”,寒冬时节则靠暖宝宝御寒。

東京都出身。1970年代半ばにニューヨークに渡った。ドレッドヘアをなびかせバンド演奏をする傍ら、家具職人などで生計を立てた米国生活は約20年に及んだ。

望月崇英是东京人,1975年左右远渡纽约,梳着脏辫进行乐队活动,靠做家具工匠在美国生活了将近20年。

自然を愛し、サーフィンや登山、渓流釣りにのめり込んだ。俳優や環境保護活動家ら交友関係は広く、深い親交があった世界的な冒険家風間深志さん(70)は「人生を楽しむ冒険家だった」と振り返る。

因为热爱自然,他沉迷冲浪、登山、河钓。交友广泛,与演员和环境保护者有往来,与他关系甚密的世界级冒险家风间深志先生(70岁)说他是个“享受人生的冒险家”。

40代半ばで高野山で修行、仏教の道に。「自然界でいろいろ学んだが自分は変わらなかった」。師と仰ぐ命教寺(大阪府箕面市)の植田真光住職(56)には、出家の理由をこう話した。

45岁左右,他到高野山修行,遁入佛门。他师从命教寺(大阪府箕面市)植田真光主持(56岁),主持说望月崇英出家的原因是“虽然从大自然中学到了很多,但仍然不能改变自己”。

大震災では発生直後から何度も被災地に足を運んだ。多くの遺体が弔いもなく埋葬される状況に心を痛め、各地を車で回って白菊を手向け、犠牲者に鎮魂の祈りをささげた。受け止め切れないほどの悲しみや恐怖に包まれ、「もう耐えられない」と電話で涙ながらに植田住職に訴えたこともあった。

东日本大地震灾后,望月崇英多次前往灾区。他看到许多遗体没能好好举办葬礼便匆匆埋葬的状况,倍感心痛,因此开车前往各地,手持白菊,为亡者镇魂祈福。因为被无尽的悲伤和恐惧包围,他也曾打电话向植田主持哭诉“自己已经无法忍受了”。

岩手県大船渡市の医師岩渕正之さん(62)は「『慰霊、托鉢は死ぬまで続ける』と言っていた」と語る。

岩手县大船渡市的岩渕正之医生(62岁)回忆“(望月先生)曾说自己会‘为亡者吊祭、托钵修行一直到死去’”。

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