Q:「認識する」と「知る」の違いについてなのですが、 例えば、英単語でborrowもuseもともに「使う」というであることを-知っている。borrowもuseもともに「使う」という訳であることはもちろん、その使い分けについて-認識できるというような感じなのでしょうか?

关于「認識する」和「知る」的不同,比如说:“英単語でborrowもuseもともに「使う」という訳であることを-知っている。borrowもuseもともに「使う」という訳であることはもちろん、その使い分けについて-認識できる”这样的说法对吗?

A:認識「哲」となっているので哲学用語でしょう。人間が物ごとを知る働きおよび其の内容、知識とほぼ同じ意味。知識が主として知り得た成果を指すのに対して認識は知る作用および成果の両者を指すことが多い。「知る、知識」と言うと学問上理解しているが、認識と言うとそれが具体的な行動につながるニュアンスがあります。ある状況を認識するというと、具体的にどう対応するか対策とか手を打つということにつながるとおもいます。政府の政策はこの危機的な状況に対する認識が足りない。

“認識「哲」”是哲学用语。与“人类知道每种事物的作用以及内容、知识”的意思相同。知识主要指获知的成果,而认识多指知道的作用以及成果两方面。说到“知る、知識”是理解学问方面的,认识有与其具体的行动相关联这样的语气。感觉应该是与认识到某种情况后具体如何对应、对策、措施相关联。政府的政策对这种危机的状况认识不足。

A:厳密な論理構成で、強いて区別する事は困難かと存じます。 強いて何とか区別するなら、知るというは知性や知性基盤としての基本観念や媒体がなくても成立するかと存じます。つまり感覚の上での認知も知ることでしょう。認識はそういう経験の内容を一定の基本観念で組織構成することともいえましょう。或いは整理して知識とするということかも知れません。認識論という哲学分野もあり、心理学でもありましょう。無論、認知の科学もあります。言葉概念としてはネットにあまたの論述がありましょう。

严密的理论构成来讲是很难区别。一定要区别的话,“知る”是“即使没有知性或者知性基盘的基本观念、媒体也能成立”。就是说,在连感觉上的认识都知道。而“認識”可以说是“那种经验的内容是按照一定的基本观念组织构成的”。或者可能是整理过后的知识。也有认识论这样的哲学领域,心理学也有。当然也有认识的科学。作为语言概念在网络上有很过论述。

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