ジロオドウウの戯曲は、その取材と云ひ、構想と云ひ、殊にその文体の一種独特な調子と云ひ、まさに現代フランス劇壇に齎らされた文字通りの新風である。
 それはなによりも現代を呼吸する生活人の思想であり、感覚である。十九世紀的な分析の残骸を捨て去つて、直截簡明に原則を捉へる機敏な頭脳を先づ感じさせる。彼のレアリズムこそは「大戦後」のそれであり、民族の伝統と、国際理念との交錯するなかに、最も困難な文学的立場をおいて、身軽に、しかも堂々と、現実・プラス・フアンテジイの世界を展開してみせる憎々しいほどの才人である。
 今こゝに訳された「ジイクフリード」一篇は、彼の作としては一番われわれに親み易い内容をもつてゐるといふ点で、訳者の選択眼に誤りはないと私は信ずると共に、その訳筆もまた、原作を知るほどのものからみれば、却つて苦心の跡が眼立たないのを不思議に感じるほどである。訳者木下熊男君は、巴里に滞在中、この作品の上演を六度も観て、翻訳の下ごしらへはとつくにできでゐたのださうである。さもあらうと思ふ。
 さて、かういふ作品の日本での上演となると、まつたく私は途方に暮れる。現代の国際人の型は、わが俳優陣に最も欠けたものゝひとつだからである。

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