日语文学作品赏析《マクシム・ゴーリキイについて》
火事で祖父の家がまるやけになり、すっかり零落してから、ゴーリキイは愛するおばあさんと自分のためにパンを稼がなければなりませんでした。七つか八つのゴーリキイは、ニージュニの町の貧乏な男の子たちと一緒に、町はずれのゴミステ場へ行って、そこで空カンだのこわれた金具だのをひろって、売って其日其日を過しました。
ゴーリキイが処女作「マカール・チュードラ」を発表して、作家として見事な出発をしたのは二十四歳の年でした。当時、帝政ロシアの文壇にはトルストイ、ツルゲネフ、アンドレーエフ、チェホフなどという世界の文学の花形が居ました。しかし、ゴーリキイの出現はロシアの文学にとってのみならず、当時の世界文学にとって一つの新しいおどろきとよろこびでした。何故なら、トルストイを見てもわかるようにこれまで作家と云えば上流の子弟で、十分教育もうけた人ばかりでした。が、ゴーリキイは小学校を卒業していないばかりか、大学は勿論中学も出ていません。一カペイキの借本をよんで育った、逞しい正直な鋭い精神をもった、謂わば浮浪人の若者です。そのゴーリキイは、これまでの世界文学の知らなかった現実生活の一面を、つよい、生活力のあふれる筆致で描きはじめました。靴やの小僧、製図見習、聖画工場の見習。ヴォルガ通いの汽船の皿洗い小僧。ゴーリキイは二十四歳になる迄に、更にパン焼職人であり、カスピ海の漁業労働者であり、踏切番であり、弁護士の書記でありました。これらの生活の間でゴーリキイの見聞きしたものはどういうものだったでしょう。旧い野蛮なツァーのロシアで、民衆は才能も生活力もはけ口を封じられていて、わけの分らない残忍さ、ひどい破廉恥と乱行。さもなければ生きながら腐ってゆくような倦怠、怠惰、憂鬱とけちくささが、ゴーリキイの人生をとりまいていました。その中から、ゴーリキイがあのように立派に、人間らしくぬけ出て立つことが出来たのは、どういうわけでしたろうか。それは、少年の頃から、ゴーリキイが、「人間をつくるのは環境に対する抵抗力だ」ということを感じていたからでした。ペシコフというのが自分の本名なのに、最大の苦痛――マクシム・ゴーリキイとペン・ネームをつけたゴーリキイの若い心は、いつも、「何とかほかに生きかたはないものか」という疑問に苦しめられていました。「人生全体がこんなものなのだろうか。私にも、これよりほかの生きかたはないのだろうか。」もがきながら人間らしい生活を求めたゴーリキイの少年時代、青年時代の姿は「人々の中」「主人」「三人」「私の大学」などという作品のうちに、感動させる真実をもって描かれています。
社会は矛盾にみち、苦しさは少くありません。その中で
一九二三年、レーニンのすすめでイタリーに住んだゴーリキイが一九二八年の初夏、久しぶりでロシアに帰って来ました。私が会ったのは、このときのゴーリキイです。六十歳のゴーリキイは、見上げるばかり大きくて、年とったアザラシのような髭をつけ、柔かい灰色の背広をきていました。このとき会ったゴーリキイほど、人間らしくて無限の経験にとみ、しかも方便とうそが微塵もない作家というものは、決してざらにあるものではないと感じました。大家らしい偉さによってではなく、その生粋の人間らしさで老いた巨人のようにたのもしい感じを与えるのがゴーリキイでした。そのゴーリキイが、ソヴェト人民の建設をさまたげようと企んだトロツキー一派の反革命派のために毒殺されたのは一九三三年でした。ゴーリキイはそのとき六十五歳でした。
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