かつて私が勤務していた上海の専門学校で用務員をしていたY君は、全く日本語が話せなかったのだが、ある日突然「先生、ご飯食べた?」と日本語で聞いてきた。驚いた私は「食べたよ」とだけ答えると、嬉しそうにうなずいた。その後、彼は毎朝同じことを聞き、私も同じように答え、これが二人の挨拶になった。

我以前工作过的上海专门学校里,做勤务员的小Y本来完全不懂日语,某日却突然用日语问我“老师,您吃饭了吗?”。我吃了一惊,只答了一句“吃了”,他就很开心似的点点头。之后,他每天早上都问同样的事情,我也同样作答,这就成了我们俩的问候。

なぜ「おはよう」や「こんにちは」ではないのか不思議に思っていたら、中国人スタッフから「吃飯了?(=ご飯食べた?)」は中国人の日常的な挨拶だと教えられた。理由については諸説あるようだが、中国人の食に対する特別な思いが背景にあるのだろう。

我觉得很不可思议,怎么不说“早上好”或“你好”呢?这时中国教职员告诉我“吃饭了?”是中国人日常性的问候用语。原因众说纷纭,大概是因为中国人对于吃有着特别的感情吧。

中国人の挨拶

中国人打招呼

中国人は親しい関係では、「おはよう」「こんにちは」といった挨拶はしないそうだ。家族や職場の仲間などには、形式的な挨拶は不要とのことだろうか?

据说在中国,关系亲密的人之间不会用“早上好”“你好”等来打招呼。那是不是家人和公司同事之间不需要形式上的问候了?

思い起こすと中国人スタッフや学生達も、私には挨拶をしていたが、互いにはしていなかった。たまに「ニーハオ」や「再見(=さよなら)」といった挨拶はしていたが、それは距離をおいた相手への表現だったようだ。

如此想来,中国教职员和学生们倒是在跟我打招呼,但他们相互之间却没有。偶尔倒是说说“你好”“再见”什么的,但这只在不太亲密的人之间才用。

Y君の「ご飯食べた?」は、親しみを込めた挨拶だったのだろう。「食べたよ」の後に「君は?」と付け加えるべきだったと反省している。

小Y的“吃饭了?”应该是比较亲密的问候吧。我也在反省,回答“吃过了”之后我应该反问“你呢?”

挨拶を大切にする日本人

重视问候的日本人

日本では、新入社員に最初に教えるのは挨拶である。これは挨拶が社会人としての基本であるという考え方によるものである。

在日本,给新员工上的“第一课”就是“打招呼”。这是由于日本人把寒暄视为做人之本。

確かに、職場での挨拶は「お疲れさまです」など決まった言葉を繰り返したり、だれにでも「お世話になっております」などと言ったり、形式的で表面的な面もある。しかし、本来挨拶とは「相手に心を開く」ことであり、コミュニケーションのスタートラインである。形式的で表面的になったとしても、繰り返し行うことで互いに本来の意味を無意識に感じ取り、人と人の潤滑油として作用するものであろう。

确实,职场上的问候不断重复“您辛苦了”等的招牌话,对任何人都说“承蒙关照”,这些走过场表面性的东西。可是,问候原本就是“向对方敞开心扉”,是交流的出发点。即使是走过场表面性的问候,在不断重复之中大家也会无意识间了解其本来的意义,使人与人之间的关系变为融洽。

薄れてきた挨拶の習慣

寒暄习惯逐渐被淡化

最近日本の職場では挨拶の習慣が薄れているという。挨拶など不要と考える人が増えたのか、不景気や人員削減で気持ちにゆとりが無くなったのか、理由は定かではないが寂しいことである。

近来日本的职场寒暄的习惯正变得越来越薄弱。不知是由于觉得没必要寒暄的人增加了呢,还是由于经济衰退和裁员使得大家没闲心打招呼,尽管原因不明,不过还真是可惜啊。

挨拶は強い組織づくりの源泉でもある。低迷の続く日本企業にとって、日本の良き習慣である挨拶を見直すことは、国際競争力の回復にもつながるのではないだろうか?

问候语也是巩固组织形式的根基。对于持续不景气的日本企业来说,重新审视问候语的优良习惯,不正关系到恢复国际竞争力吗?