では、なぜ不倫を題材としたドラマが作られ続けているのだろうか。

那么,为什么日剧一直制作推出以不伦为题材的作品呢?

劇中の不倫の描かれ方で共通しているのは、人に知られてはならない秘めた恋だからこそドラマチックな物語として描かれていることだ。恋愛ドラマは恋人同士の間に障害があるほど、盛り上がる。逆に言うと障害がないドラマは基本的に盛り上がらないのだが、自由恋愛が当たり前の時代において、障害を作るのは難しい。そんな中、未だ万人にとってタブーとされているのが不倫である。

这些电视剧中描绘不伦的方式有着共通之处,那就是因为不伦是不能为人所知的秘密恋爱,所以可以作为戏剧性的故事来描绘。就像恋爱剧中恋人之间存在着障碍那般,不伦剧也非常精彩。反过来说,没有障碍的电视剧基本上无法出彩,而在“自由恋爱是理所当然”的时代下,(在电视剧中)创造障碍则更加困难。在这样的情况下,对于众人而言算得上是禁忌的就是“不伦”。

これもまた大石静が書いたドラマなのだが、美容整形を題材にした『クレオパトラな女たち』(日本テレビ系)という作品は、美容整形を中心とした様々なタブーを打ち破っていく豪快な作品だったのだが、最後の最後で主人公が不倫をすることになった時に、とたんに古い倫理観が全面に打ち出された古風な物語に様変わりしてしまったのが妙に印象的だった。あのドラマを見た時、どれだけ経済的に自立した強気で自由な女性を描いていても、不倫の重たさは、むしろ昔より強まっているのではないかと感じた。

说到这里,就要提及大石静执笔剧本的日剧、以美容整形为题材的《埃及艳后般的女人们》(日本电视台系)这一作品。该作品是以整容为中心、不断打破了各种禁忌的有力作品,但最后的最后却让主人公走上不伦之路,正是当人们的传统伦理观被全面刷新时,作品又转变为旧式故事,这很不可思议地给人留下了深刻印象。看那部作品时,你会发现就算是被描绘成经济上自立、坚强且自由的女性,面对不伦的沉重感反而似乎有种比以前更加强有力的感觉。

また、ほとんどが女性向けの作品だというのも、大きな特徴だろう。商品として見た不倫モノの利点は、不倫=エロティックという名目で効率良く濡れ場を出せるということだ。近作の大きな特徴としては、性的な欲望を向けられるのが若い男性俳優だと言うこともあるだろう。

此外,几乎所有面向女性的作品,可以说都有这样一个巨大的特征:从商品的角度来看,不伦剧的好处是可以将不伦等同于“情色”,以此为名目推出功效很好的情爱场面。而近年来这类作品巨大特征,可以说就是让年轻男性演员呈现出性欲望吧。

つまり、エロティックなイケメンドラマとして需要されているのだが、これは、冷静に考えればある程度当然のことだろう。

也就是说,“情色系的帅哥电视剧”这类作品正被渴求着。冷静想想,从某种程度来说这也是种必然吧。

男性向けのエロティックなコンテンツは女性アイドルのグラビアから熟女向けのアダルトビデオまで、あらゆる性的な欲望は、少し手を伸ばせば簡単に手に入る仕組みになっている。それに比べると女性向けエロティック作品の市場は、ここ10年ぐらいで大きく広がったものの、まだまだ数としては少なく、だからこそ、そういった欲望は物語の形を借りて描かれる。

面向男性的情色系作品,从女性偶像的写真集到熟女系AV作品应有尽有,在这些作品中,所有的性欲望只要稍有需求就能很简单地弄出作品去欣赏。与此相比,面向女性的情色作品市场尽管近10年有了极大拓展,但相较而言(作品)数量还是很少,正因如此,这种欲望便借以故事的形式被描绘出来。

かつて、AKB48の人気アイドルで、今は女優として活躍する前田敦子が主演を務めた『毒島ゆり子のせきらら日記』にしても、男性ファンの欲望に応えるというよりは性的な場面では男性に対して強者であろうとして複数の男性と恋愛をしていたヒロインが、妻子持ちの男に引っかかってしまう滑稽だが哀しい姿が描かれており、女性視聴者の共感を呼ぼうとする作りとなっていた。

过去作为AKB48人气偶像、现在以女演员身份而活跃的前田敦子,其主演的《毒岛百合子的赤裸裸日记》比起满足男性粉丝的欲望,更偏向于描绘身为强者而与多位男性展开恋爱的女主角,最终被已经娶妻的男子所吸引而产生滑稽却又悲哀的模样,由此将该剧创作为引起女性观众共鸣的作品。

精彩下一页:“不伦绯闻”在综合电视节目中的描绘方式>>