■「てるてる坊主」のルーツは我が身を捧げた中国の少女

■“晴天娃娃”的祖先是将自己奉献出去的中国少女

「てるてる坊主」を日本に伝えたともされる中国。そのルーツを探ると「晴娘(チンニャン)」という名の娘にちなんだ伝説が元になったことが分かる。

在被视为将“晴天娃娃”传入日本的中国,寻找到了晴天娃娃的祖先,我们发现一则名为“晴娘”的传说便是起源。

「晴娘」は北京に住む、切り紙細工が得意な美しく利発な娘で、その評判は皇宮にも伝わり、お后たちから注文がくるほどの腕前だった。ある年の6月、北京を大雨が襲った。何日も続く豪雨に城内は水浸しに。人々はお香を焚いて天に祈りを捧げたがまったく効果はなかった。ある夜更け、「晴娘」は崩れかけたある家の屋根にあがると、天に向かって一刻も早く雨があがるように祈りを捧げた。すると、とてつもなく大きな声が空に響き渡った。

“晴娘”是一位居住在北京的、擅长剪纸,美丽、活泼的姑娘,她的名声已经传到皇宫,后宫娘娘们争相从她这里订货。有一年6月,北京遭遇了大雨侵袭,接连几天的暴雨将京城淹没。人们纷纷焚香向上天祈愿,却不见任何效果。某天深夜,“晴娘”登上已经被暴雨冲毁的房子的屋檐,面朝天空祈愿大雨早日停下来。于是,更大的声音在空中回响起来。

「晴娘よ、東海龍王がお前をご子息の嫁にと望んでおいでだ。もしも、従わねば北京を水底に沈めてしまうぞ」と。

“晴娘啊,东海龙王希望你做他儿子的妻子。如果你不服从的话,就将北京沉入海底。”

「晴娘」はすかさず空に向かって叫んだ。

“晴娘”立刻向天空喊道。

「この街を救うためならば、喜んでこの身を龍王に捧げます。ですから、どうか雨をこれ以上降らせないでください!」

“如果能拯救这个城市,我将很高兴能够奉献自己。所以,请不要再降雨了。”

その途端、一陣の突風が吹いてきたかと思うと、「晴娘」の姿は忽然と消えた。そして、それまでの長雨が嘘のように止み、空には星空が広がった――。

话音刚落,一阵风突然吹过,“晴娘”的身影已消失不见。接着,长时间持续的降雨像一场谎言般停了下来,星屑在广阔的天空闪耀。

それ以来、北京の人々は、「晴娘」のことを偲んで、6月に雨が続くと、「掛掃晴娘(グアサオチンニャン)と名付けた、人の形の切り紙(形代)を娘たちに作らせ、門口にかけるようになったのだ。

从此以后,北京的人们为了缅怀“晴娘”,每到6月雨下不停的时候,就会让自己家的姑娘们制作写有“扫晴娘”的人形剪纸,挂在家门口。

■ほんとうに吊るしたお坊さんの首!!

■真正被吊起来的是晴天娃娃的头!

それでは、日本の場合はどうか? 冒頭の童謡「てるてる坊主」(浅原鏡村作詞・中山晋平作曲1921年発表)も、歌い進んで3番になると、とんでもない残酷な歌詞が出てくる。それは晴れずに曇ったら首をチョン切るというものである。

那么,在日本又是怎样的情况呢?开端应该是童谣《晴天娃娃》(浅原镜村作词・中山晋平作曲1921年发表),歌词进行到第3段的时候,出现了不得了的残酷歌词。这便是:如果阴天、下雨的话,我就把你的脑袋剪掉哦!

経を唱えれば降り続く雨をあがらせることで評判だったお坊さんが、ある時、殿様の命令で祈願したが失敗し、その罰として首をはねられた――という民話が元になっているようだ。

咏唱童谣的话就能使连续降雨停掉,因此获得了较好评价的晴天娃娃,有时却也有没能实现大爷们的祈愿失败的情况,作为惩罚就是将其吊起来。听说,这段民间传说才是起源。

■日本史の裏に埋もれた恨みの歴史――

■埋葬在日本史中不为人知的憎恨史――

最後にとっておきの「恐いエピソード」を。「てるてる坊主」が大正時代に作られたオリジナルの童話ではなく、「てんてる坊主」と歌う伝承歌が元になっている――とする歴史伝奇ロマン小説がある。

最后再讲一个“恐怖的故事”。“晴天娃娃”并不是大正时代的原创童话,《晴天娃娃》这首传承歌是有根源的――某历史传奇浪漫小说。

著者は五木寛之氏。その中の一冊は『日ノ影村の一族』。文庫版の表紙では、そのものズバリ、夜の峠道をいくつもの「てるてる坊主」がくだってくるイラストがあしらわれている。実在する九州のある村に、「歴史」に背を向けて生き抜いてきた一族の歴史が語られていくのだが……。

作者是五木宽之。他作品中的一本书名为“日影村一组”。文库版的封面上直截了当的画了山路上有几个“晴天娃娃”的插图。实际上,它讲述了在九州的一个村落里,一族背向历史生存的故事….

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