四角い小さな漢字の中に、二つの異なる世界が存在している。

在四四方方的小小的汉字里,存在着两个完全不同的世界。

一つはもともと中国で造られた中国製、もう一つは日本で改造された日本製である。この二つの世界は、「あなたの中に私がいて、私の中にあなたがいる」ような もので、コミュニケーションにはとても便利だ。しかし多くの場合、この両者は、うわべは親しそうに見えて実は心が通わず、似て非なるものなのである。

一个是原本就由中国造的中国字,另一个是由日本改造的和制汉字。这两个世界,是”你中有我,我中有你“的,因此交流是便利的。但是很多时候,两者在外观上虽相近实际上并不相同,是似是而非的。

日本語の中の多くの語彙は、見た目では中国語とまったく同じだが、実は意味が非常に違う。中国から来たある代表団が日本の工場を見学したとき、工場内に掲げ られている「油断一秒、怪我一生」というスローガンを見て、その文字面だけから「これは油が大切だと言っているのだな」と憶測した。中国語では「一秒でも 油が切れれば、生涯自分が悪いと思う」という意味になるからである。

日语中很多词汇,乍一看跟中文没什么两样,但是意思千差万别。来自中国的某个代表团去日本的工厂见习的时候,看见工厂内贴着”油断一秒,怪我一生“的标语,从字面意思猜测这是说”油非常重要“的意思。翻译成中文就是说”即使一秒也不能没有油,不然一辈子都会责怪自己。“

しかし実は日本語では、これは安全生産のスローガンなのだ。「油断」は「不注意」、「怪我」は「傷を負う」という意味だとわかって大笑いになった、という。

但是其实在日语中,这是一个安全生产的标语。“油断”是“疏忽”的意思,“怪我”是“受伤害”的意思,知道了这样的事情以后,之前的误解就成了笑话。

中国人と日本人がつきあうとき、この種の誤解は避けることができない。私の友人に「猪木さん」という人がいるが、彼はよく私に文句を言う。それは、彼の中国 の友人たちがいつも「猪」と「豚」を混同し、日本人はどうして「豚」という姓を好むのかと不思議がるからだ。おかげで彼は、泣くにも泣けず、笑うに笑えな い心境に陥るのだという。

中国人和日本人在交往的时候,无法避免这样的误解。我的朋友里有叫”猪木“的人,他经常跟我抱怨。他说他的中国朋友总是把”猪“和日语里的”豚“混为一谈,并为日本人为什么会喜欢”豚“这样的姓氏而困惑不已。于是他就陷入了一种哭笑不得的境地。

中国語では、「猪」と「豚」の二つの漢字が同じ意味で使われていることを彼は知らない。もっとも、古代漢語では少し違いがあり、「豚」は子ブタを意味していたのだが……。

猪木并不知道在中文里”猪“和”豚“两个字在使用时是同一个意思。虽然说在古汉语中有细微的差别,古汉语中的”豚“是小猪的意思。

日本語の中で使われる漢字の語彙には、中国人の想像を超えるものがほかにもたくさんある。たとえば、中国語での「無理やり」を意味する「勉強」は、日本語で は「学習」の意味で使われる。中国語で「夫」を意味する「丈夫」は、日本語では「頑丈」の意味だ。このように、表面の「毛皮」を傷つけることなく、中身の 「肉」をすっかり「すり替え」てしまう日本人の知恵と想像力に、感心せざるを得ない。

在日语中使用的汉字词汇跟中国人想象中完全不同的其他还有很多。例如,中文里表示日文的“無理やり”的“勉强”这个词语,在日语中使用的时候是“学习”的意思。中文里表示日文的“夫”的“丈夫”这个词语,在日语中是“坚固”的意思。这样一来,就不得不对日本人这种表面上完全不改变汉字的形式,却把其中的含义彻底调换掉的智慧和想象力感到佩服。

しかし、われわれ中国人は、これに驚く必要はない。率直に言えば、現在の中国で使われている中国語の語彙の多くは、20世紀初めに日本から導入されたものだ からだ。たとえば、「金融」「投資」「抽象」など、現代中国語の中の社会科学に関する語彙の60~70%は、日本語から来たものだという統計がある。

但是我们中国人没有必要如此惊讶。坦白地说,现在在中国使用的大部分中文词汇,都是20世纪初从日本导入的。比如“金融”、“投资”、“抽象”等等,据统计,现代中文中跟社会科学有关的词汇中60%~70%是从日语中习得的。

漢字文化圏に属する多くの国家や民族を見回して見ると、漢字をこのように創造的に「すり替え」、もう一つの漢字王国を樹立し、かつまた中国語へ「恩返し」しているのは、日本だけだ。

纵观归属于汉字文化圈的众多国家和民族,把汉字这般创造性地“替换”并创造出另一个汉字王国,对中国的文字进行“反哺”的,唯独日本而已。

日本のすごいところは、中国の漢字に対して、受動的にそのまま受け入れるのでもなく、愚かにも高慢にそれを拒否するのでもない、自発的にそれを手に入れ、徹 底的にそれを消化した後、自分の必要に応じて大胆な改造を行い、自分の言語にしてしまうところだ。だからこそ漢字は、日本にしっかりと根を下ろし、西洋文 化の猛烈な襲来に耐えることができたのである。

日本这个国家厉害的地方,是它在面对中国的汉字的时候,并不是被动地全盘接受,也不是愚蠢而又傲慢地拒绝,而是主动去掌握,把中国的汉字彻底掰开了捏碎了消化之后,根据自己的需要进行大胆的改造,变成自己的语言。所以汉字就在日本稳稳扎根,并经受住了西洋文化的猛烈侵袭。

客観的に見れば、この奇跡は、かなりの程度、日本が島国であるという特殊な地理的環境によっている。広大な太平洋が天然の要害となり、異民族の鉄騎兵の侵入 を阻止したばかりでなく、文化的に異民族に同化される運命から逃れることができた。大陸とも適当に離れているため、日本は必要に応じて、自分より先進的な 中国の文化を摂取し、ゆっくりとそれを咀嚼し、消化して改造することができた。異文化をどう受け入れるか、その主動権は完全に自らの手中にあったのであ る。

客观来说,这样的奇迹在某种程度上是源于日本这一特殊的岛国地理环境因素。辽阔的太平洋形成一道天然屏障,不仅仅阻挡了其他民族铁骑雄兵的入侵,在文化上也免于受其他民族同化的命运。由于跟大陆保持了适当的距离,日本得以根据自己的需要,吸收当时比自己先进的中国文化,细嚼慢咽,消化后并加以改造。如何接受外来文化,把主动权完全掌握在自己手中。

これと同時に、1200年前、日本は漢字を大規模に導入するとともに、「ひらがな」を発明した。ここで日本は自分の文字言語を持った。「ひらがな」は完全に漢字の草書体に啓発されて造られたものではあるが、大和民族の魂の深いところにある必要性から発したものでもある。

与此同时,1200年前,日本在大规模引入汉字之时,还发明了“平假名”。这样日本就有了自己的文字和语言。“平假名”既是受汉字中的草书体启发而被创造出的文字,又是根据日本这个民族灵魂深处存在的某种必要性而发明的文字。

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