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第三话:地獄の底からゆっくりと

第三话:慢慢走出地狱深处
(接第二话:《小酒吧老板娘》

前回は、夢が破れ、家庭も仕事もうまくいかない状況を地獄だと書いたが、誰かと比べて不幸だったわけでもない。自己破産はしてない。親友の借金の保証人になって、結果裏切られたわけでもない。親や子を殺されたこともない。ただ、自分の物差しで計ってみて、そこが地獄だと勝手に思っただけだ。地獄…。僕の心が、すべてを失い、地獄の底に落ちてしまったと判断したその瞬間、5年間フリーズしていた頭をゆっくりと動かし始めた…。

上回写道,梦想破灭、家庭和工作都无法顺利进行的状况仿佛地狱,但其实也并不是因为和谁比而产生的不幸感。没有申请破产。也没有做朋友欠款的保证人却被背叛。也没有遇到父母、孩子被杀掉的惨案。只是用自己心中的天平衡量之后,擅自把那状况称作了地狱而已。地狱……当我的心判断出自己失去一切,坠入地狱深处的那一瞬间,冰冻了五年的大脑又开始一点点活动了起来……

どうでもいい人生。一喜一憂の損得勘定をやめ、思い切り損して生きてやろうと心に決めた。これまでの価値観をひっくり返したのは、過去の自分を殴りつけてやりたかったからだ。そして、ママさんからの減給宣告を受けた翌日、さっそく北京郊外の民間大学へ足を運んでみた。

反正是变成怎样都无所谓的人生。干脆放弃了因得失而一喜一忧,决心大胆地去失去一些东西,迎接生活的挑战。之前的价值观就这样地被颠覆,是因为现在的自己很想狠狠地揍一顿过去的自己。然后,在老板娘发出减薪宣告的第二天,立刻试着去了北京郊外的民间大学。

自分で言うのもなんだが、どうやら中国では面接が得意のようだ。笑いの絶えない雰囲気の中、勧められた福建省の高級茶をすすりながらどうでもよい世間話に花を咲かせた。ある程度時間になると、「会議があるから失礼するわ。あっ、明日から来てちょうだいね」と言われ、今日も交渉成立。それからは、次から次へどこへ行ってもすぐ新しい仕事が舞い込んできた。

这样说仿佛是在炫耀,但是从事实看来我比较擅长在中国面试。在笑声不断的气氛中,啜饮着被推荐的福建省的高级茶,畅快地闲谈。过了很久,被说“我还有会先走了,啊,请明天就来吧。”这一天的交涉也成功了。接下来,一个接一个的无论去哪里都会有工作主动上门。

北京郊外で授業をする日は、朝4時40分に起きた。驚く人がいるかもしれないが、それでもギリギリだった。5時20分に家を出発し、6時までにスクールバスに乗らなければならない。そこから2時間近くは上下左右に大揺れする座席に腰掛け、おもむろにファイルを取り出す。それは、全教え子528名の顔写真と名前のついた「オイドラーのリスト」だ。

在北京郊外上课的日子,每天早上4点40分起床。或许有人会觉得吃惊,但是即使那样都很赶。5点20分从家里出发,必须在6点之前坐上校车。接下来近两小时坐在上下左右剧烈摇晃的座椅上,慢慢地取出文件夹。那是付有我全部的528名学生的一寸照和名字的“笈川花名册”。

大学受験時に英単語を覚えたのと同じ要領で、ひとつひとつ名前を手で隠し、顔を見て名前を当てる。行きも帰りもそれを繰り返す。恥ずかしいことに、僕は良質の脳みそを持っていない。覚えが悪く、往復4時間の名前当てゲームを半年続けてようやくマスターした。

和准备大学考试时背单词一样的方法,用手挡住一个个名字,看着照片说名字。去的时候和回来的时候都在反复做这项工作。令我感到不好意思的是,我没有那么好的大脑。记忆力不够好,往返四个小时的猜名字游戏持续了半年才全部记住。

「趙さんこんにちは。林さん、郭さん、王文さん、こんにちは!」

“赵桑你好。林桑、郭桑、王文桑,你们好!”

廊下ですれ違いざまに学生たちに声をかけると、みな悲鳴をあげて驚いた。驚くその姿があまりにもおかしくて、行きと帰りのバスの中でやる名前当てゲームがやめられなくなった。郊外にある民間大学での授業は午前中のみ。授業の最後に、「午後2時から無償で授業をしますから、希望者は教室に来てください!」と言ってから食堂へ向かった。

在走廊里向擦肩而过的学生打招呼时,大家都惊讶地尖叫。那惊讶的样子太好玩了,以至于我往返校车上进行的猜名字游戏无法停止下来。在郊外的那个民间大学只有早上的课。课结束之后,说了“下午两点开始免费授课,想上课的人就到教室里来吧!”之后才向食堂走去。

当時の中国の習慣はけっこう興味深く、どの学校にも非常勤教師用の休憩室があった。昼食を終えたばかりの教師はみな休憩室に設置してある簡易ベッドに横たわり、高いびきをかいて寝ていた。僕は相変わらず眠れない日々を送っていたから、いびきの大合唱をBGMにしながら、マイブームだった孔子の論語をかばんから取り出し、パラパラとめくっていた。

当时中国的习惯非常有趣,每个学校都有外聘教师的休息室。刚吃完饭的同僚们往往都会躺在休息室里的简易床上,大声地打着呼噜睡觉。我还是像之前一样过着终日难以入眠的生活,因此会以呼噜的合唱为背景音乐,从包中取出当时我最感兴趣的孔子的论语,吧嗒吧嗒地翻起书来。

午後2時。5分ほど早く教室につくと、そこにはすでに40人教室だというのに100人近くの学生が集まっていた。全部の椅子に2人ずつ座り、後ろに立っている学生たちが真剣な表情で教科書を音読していた。無償授業が始まる前から、教室は熱気に包まれていた。

下午2点,提前5分钟左右到了教室以后,在那个原本40人容量的教室里早已聚集了近一百人。所有的椅子上都各坐着两个人,后面站着的学生已开始认真地朗读教科书。免费课程开始之前,教室里已然被一股热气包围着。

授業といっても、なんてことはない。ただ、大声で何度も何度も同じセンテンスを繰り返すだけ。そうしているうちに、周恩来総理のスピーチだって、あっというまに覚えることができてしまう。叫び続けること2時間半、迎えのバスがクラクションを鳴らした。

说是上课,其实也没有什么。只是大声地一次次反复读同一个句子而已。但是那样做了之后,很快连周恩来总理的演讲,都瞬间就背下来了。那样狂叫2个半小时之后,校车的汽笛声响起了。

急いで帰ろうとすると、学生たちが列をなして質問に来る。質問と言っても、「趣味はなんですか?」とか「どんなテレビ番組を見ますか?」とか「どのアイドルが好きですか」とかいう愛らしいものばかりだった。誰もが笑顔。みな、日本語を話すのが楽しくて楽しくて仕方がないようだった。

要急着离开时,学生们却排成了长队来提问。说是提问,也都是些类似“您的兴趣爱好是什么啊”“平时看什么电视节目啊”“喜欢哪个明星啊”的可爱的问题。大家脸上都洋溢着笑容。所有人,看上去都在享受着说日语的快乐。

急いで教師用バスに乗り込むと、学生たちが追いかけてきてバスを取り囲んだ。「日本の雷鋒さーん、帰らないでー!」と日本語で叫ぶ子がいれば、笑顔でいつまでも手を振っている子もいた。民間大学に来て以来、自分ではどうでもいいと思ったこの人生を、大切に思ってくれている子たちがこんなにもたくさんいることを知った。

忙着坐进教师用的校车之后,学生们又追过来包围了校车。有用日语叫着:“日本的雷锋老师,不要走啊——!”的孩子,也有一直微笑着挥手的孩子。来到民间大学之后,明白了自己原以为毫无意义的这个人生,却能被这么多孩子重视。

いつか、日本語航海士になって中国全土の民間大学へ行きたい。そして、自信をなくした若者たちを全員笑顔にしたい。地獄の底からゆっくり半年間かけて、そう思えるようになっていった。

希望有一天,能成为日语航海士,航向全中国的民间大学。然后,使失去信心的年轻人的脸上再次绽放笑容。在离开地狱深处的路上,花了半年时间,终于有了这样的想法。

本篇为笈川幸司老师所著日语自传,授权转载,未完待续!

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