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ローマは街全体が世界遺産だ。街を歩いていると右にも左にも石造りの古代遺跡が広がる。紀元前のものさえ珍しくはない。ヨーロッパの歴史の中でも群を抜いて古いこの町は散策する旅人を魅了する。ルビコン川を渡る時に「は投げられた」と兵士を鼓舞するカエサルシーザー。奴隷からの解放を願ってコロッセオで猛獣と戦うグラディエーター。古代ローマ時代のエピソードを思い浮かべながら遺跡を見上げると圧倒的な迫力で眼前に迫ってくる。

罗马满街都是世界遗产。漫步在街道上,古代的石建筑遗迹在左右两边伸延。甚至连公元前的古迹都毫不稀奇,步行于这条欧洲史上最为古老的街道上的旅人为之倾倒。凯撒渡过卢比孔河时鼓励士兵喊道:“骰子已经掷出了( Alea jacta est)”(意思是下定决心,西方将“渡过卢比孔河”比喻为下定决心)。角斗士在斗兽场与猛兽厮杀,盼望能摆脱奴隶之身。仰望着遗迹,脑中浮现出古罗马时代的故事,感到磅礴的气势直逼眼前。

(注:凯撒、庞贝原为盟友,后关系恶化,庞贝宣布时任高卢总督的凯撒为公敌,前49年1月10日,凯撒率军渡过卢比孔河,占领了罗马,后打败庞贝。)

64年にローマでは大火が発生した。日本では弥生時代。まだ記録された歴史はない頃のことだ。卑弥呼より200年も古い記録が残っていることに驚きを感じるが,古代ローマの歴史は詳細に分かっている。この大火によって都市の半分以上が焼失した。
 

公元64年,罗马发生了一场大火。日本此时还是没有文字记录历史的弥生时代,而古罗马的历史已被详细地分门别类,留存的记录比卑弥呼时代还要早200年,实让人惊叹。因(公元64年)这场大火,罗马城被烧毁了一半(16个区仅有四个区幸免)。

時の皇帝はネロ。暴君として名を知られる。この評価に関しては後に触れるが,少なくともこの頃の評価は悪くない。大火はパラティーノとチェリオの丘を焼き尽くし,当時建設中だったネロの宮殿は焼失した。すぐさまネロは被災者支援の指揮を執った。延焼を免れたパンテオン神殿などの公共施設を被災者に開放。大量に小麦を運び込み,パンや飲料水を被災者に配給した。

当时的皇帝是尼禄,他作为暴君为人熟知。关于暴君的评价后面会提到,至少此时人们对他的评价并不坏。帕拉蒂尼山和西里欧山尽毁于大火。当时正在建设的尼禄宫殿也被烧毁。尼禄立即担任起救灾的指挥。将幸免于蔓延火势的众神殿等公共设施对灾民开放,大量运送小麦,分发面包、饮用水给灾民。

尼禄

九日間燃え続けた火が鎮火するとネロはすぐさまローマの再建に取り掛かった。当時のローマは世界の首都といわれる百万都市である。人口の流入が絶えず,継ぎ足しに継ぎ足しを重ね,自然発生的に大きくなった。そのためローマ人の建設技術をもってしても計画的な街づくりができなかった。

持续九天的大火一熄灭,尼禄就马上着手罗马再建工作。当时的罗马是被誉为世界之都的百万人都市,人口不断涌入,人们接踵而至赶来,(人口流动)随机性很强,因此罗马人纵有高超的建筑技术,也难以按计划规划街道。

より美しいローマにしたい。再建に際してネロは道の幅や建物の高さ,材質まで事細かに規制した。街の再建には財力が必要だ。紀元前のアウグストゥス以来の通貨改革を行い,資金を捻出した。ネロのローマ再建計画は市民に受け入れられ,急速に開発が進んだ。

为建立更壮美的罗马城,尼禄在重建时从道路宽度、建筑的高度,甚至到材质都作了细致规定。要重建街道需要财力。自公元前奥古斯都(首任罗马皇帝屋大维所获“称号”,“奥古斯都”即元老院第一公民)以来实行通货改革,积累了资金。尼禄的重建计划得到市民的认可,大张旗鼓地开动起来。

この評判に気を良くしたという訳ではないだろうが,この時ネロは大きな過ちを犯した。再建を機にローマ都市部の大改造を行おうとしたのだ。『ドムスアウレア』(金宮)の建設である。パラティーノの丘からエスクィリーノの丘に至る50万平方メートルを使った壮大な計画である。

也许是尼禄洋洋得意于市民的好评,在这时便铸下了大错。他想趁着重建的契机在罗马大兴土木。其中就有金宫(Domus Aurea)的建设。这是个占地50万平方米、囊括从帕拉蒂尼山(“罗马七丘”中的一座,为罗马建城者罗慕路斯被母狼发现养育的地方)到埃斯奎利诺山(“罗马七丘”之一)的宏伟计划。

帕拉蒂尼山上的宫殿遗迹

チェリオの丘下の低地に人工湖や自然公園をつくり,それらを横目に1.5キロにも及ぶ列柱回廊が本館へと続く.回廊には37メートルものネロの黄金の巨像が立ち,眼下を見守る.

在西里欧山丘(“罗马七丘”之一)下的低地中打造人工湖和自然公园,在其斜方向围绕一个长达1500米的柱回廊,一直延伸到本馆。回廊中矗立着一座高达37米的尼禄黄金巨像俯视其下方。

ドムスアウレアは誰のためのものだったのか。ネロはローマ市民皆に快適な場所を提供するつもりで計画したのかもしれない。しかし,市民の思いは違った。ドムスアウレアをネロの私邸だと受け取ったのだ。

金宫是为谁而建?也许尼禄的目的是为市民们提供一个休憩场所。然而市民并不这样认为。他们认定金宫是尼禄的私宅。

金宫内的壁画

市民に反感の感情が芽生えた。その頃から放火を命令したのはネロではないかという噂がまことしやかに囁かれた。ネロはドムスアウレアを建設するためにローマを灰にしたのだと。この噂が広まるのに時間はかからなかった。

市民的反感油然而生,那时的纵火者正是尼禄本人的流言也煞有介事地在私下议论开来。不多久,尼禄为了建设金宫而放火烧罗马城的流言便传得沸沸扬扬。

市民の反感をどこかに転嫁しなければならない。ネロは焦った。放火犯の特定が最優先だ。しかし今更見つかる訳もない。スケープゴートが必要だ。キリスト教徒を放火犯と決め付けた。そして,ローマのキリスト教徒を次々に捕らえ拷問を加え死刑に処した。

尼禄焦急万分,必须把市民的反感转嫁他处,首先需要确定纵火犯,但如今又没有找到,于是就需要替罪羊顶替了。他宣称基督徒就是纵火犯。接着,开始接连逮捕基督教徒,严刑折磨后处死。

時は64年のことである。イエスキリストが死んだのが36年頃といわれているから,その弟子たちが各地で布教活動をしていた頃のことである。当時のキリスト教はユダヤ教から分教した新興宗教だとみなされていた。多神教徒の古代ギリシアやローマにおいて,唯一神であり皇帝崇拝を拒否するキリスト教は危険な存在であった。ネロはこれを機にキリスト教を迫害してしまおうと考えたのだろう。

时值公元64年,离耶稣基督去世已有36年左右,他的弟子们在各地传教。当时的基督教从犹太教中分裂了出去,被认为是一种新兴宗教。在信仰多神教的古代希腊和罗马,拒绝崇拜皇帝为唯一神的基督教是一种危险的存在,尼禄大概是想以此为契机迫害基督徒。

しかし,これも失敗であった。残忍な処刑はキリスト教徒への同情を生んだ。ネロ放火犯説は消えることはなかった。しかも,このキリスト教徒迫害が後に暴君の評価を生み出すことになる。

但是他的企图失败了。人们对被残酷刑死的基督教徒萌生出同情心。尼禄纵火说仍四处风传。而且在迫害了基督教徒后,逐渐产生了尼禄是暴君的评价。

暴君ネロはキリスト教徒が世界的に力を持ってから生まれた評価である。ネロは母を殺し,妻を殺し,師セネカを殺した。しかし,この時代の権力争いでは珍しいことではない。ネロに暴君という言葉は似つかわしくない。皆の前で歌ったり,竪琴をかき鳴らしたりと凡そ皇帝には似つかわしくない芸術的な一面を持つ皇帝であった。

暴君尼禄是在基督教徒取得了世界权力后才产生出来的评价。尼禄毒杀母亲,踢死妻子,谋害老师塞内加。不过,在这个时代也并不鲜见权力之争。尼禄不适合暴君的称号,他有着不同于一般皇帝的艺术家一面,在众人面前纵情放歌、弹奏竖琴。

尼禄与他的母亲

このネロの芸術的な一面が災いする。皇帝の資格なしとみなされ追放されるのだ。結果的にドムスアウレアは完成に至らなかった。ネロの構想はローマ人には受け入れられなかった。ネロは最期に「これで一人の芸術家が死ぬ」と呟いたという。

尼禄艺术的一面是对他而言是个灾祸。他被判定没有皇帝资格而遭到流放。最终金宫没有圆满建成。罗马人拒绝了尼禄的构想。据说尼禄临终喃喃念道:“如此,一位艺术家就离开了。”

 科洛西姆竞技场

後の皇帝によって建設中のドムスアウレアは取り壊され,闘技場や浴場へと姿を変えた。黄金のネロの像は太陽神の頭部にすげ替えられた。人工湖に建設された闘技場は後にコロッセオと呼ばれるようになる。その名はネロの巨像(コロッソ)に由来するという。コロッセオの横にドムスアウレアの面影は今もひっそりと残っている。

下一任皇帝摧毁了建设中的金宫,把它改造成竞技场和浴室。黄金尼禄像的头部被换成了太阳神的头像。曾建设成人工湖的竞技场后来被称为“科洛西姆(Colosseo)”,名字据说来源于尼禄的巨像(“Colosseo”原是巨像的意思)。金宫的遗迹至今仍静静地守在科洛西姆一旁。

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