ヤタガラスは東征を始めた神武天皇を道案内するよう高天原から遣わされるカラスなのですが、身体的特徴としては足が三本あると言われているものの、なんかウィキペディアの記事によると三つ足があるとはっきり書いた資料はなくむしろそれこそが後世の俗説ではないかと書かれてます。

八咫乌鸦是受高天原派遣,来为神武天皇东征指引道路的乌鸦,就其身体特征,人们传说有三足,可维基百科的词条上却说并无史料明确记载其有三足,所谓三足正是出自后世附会。

このヤタガラスが現代日本にどのように影響を与えているかですが、まずは何と言っても全日本サッカー協会のシンボルマークに採用されていることでしょう。全日本関係のグッズなんかにはよくこのマークが使われておりますが、古来の日本の神性を持った動物としては格好の材料で採用を決定したサッカー協会の人は先見の明があると思います。

八咫乌鸦对现代日本有何影响呢?首先要说的就是被采纳做为全日本足球协会的标志。全日本足协的相关商品很多都有该标志,让人不由得佩服决定采用这一具有古代日本神性的动物作为标志的足协成员的先见之明。

こうしたサッカー方面の影響はもとより、現代日本人とカラスの関係性を考えてみるにつけてもなかなか面白い材料ではないかと私は見ています。というのもこれは私の留学先の中国人教師が日本に来た時のエピソードですが、なんでも朝早くに宿舎を出て散歩していたらカラスがたくさんいて非常に気味が悪かったそうです。そりゃ確かにカラスがたくさんいれば気味が悪いと思う日本人は他にもいそうですが、これは断言してもいいですが日本以外の国の人からするとカラスは気味が悪いってもんじゃなくて見るも不愉快な鳥として見られています。私の感覚だと、日本人にとってはドブネズミを見るような感覚で見ているんじゃないかと思います

先不说在足球方面的影响,我认为即使仅从思考现代日本人跟乌鸦的关系这点来看也相当有趣。来说说我留学地的中国老师到访日本时的插曲,据说他大清早出了宿舍散步,看到很多乌鸦,觉得非常恶心。倒也是,估计有些日本人看到乌鸦群集也会觉得不舒服,不过几乎可以断言的是,这对日本以外的外国人来说乌鸦可就不单单是看到不舒服那么简单,而是光看到就让人不愉快的鸟。从我的感觉来说,他们大致就相当于日本人看到沟鼠的感受

それに対して我らが日本人ですが、確かにカラスは気味が悪いとか某都知事のように目の敵にされることがあるものの、別に空を飛んでるところを見ても外国人みたく極端に気分を悪くすることはないかと思います。それどころか、「カーラースー、なぜ鳴くのー?」などといった童謡にもよく歌われ、人によっては私みたいに親近感を持っている人もいるんじゃないかと思います。一般的には狡猾でずる賢く書かれるものの、中には親子連れで書かれたりしてどこか郷愁的なイメージが日本人の中にはあるんじゃないかとみています。

对于我们日本人来说,确实也有觉得乌鸦恶心的人,比如某都知事就扬言说乌鸦不入眼,尽管如此,也还不至于达到像外国人那样看到乌鸦在天上飞就觉得极度恶心的程度。非但如此,乌鸦还甚至在“乌—鸦—,你为什么叫?”等童谣里被歌唱,估计也有像我这样对乌鸦有亲近感的人吧。通常歌词会把乌鸦描绘得既狡猾又有点小聪明,其中也不乏描写乌鸦母子的段子,也许日本人内心深处都带有些许乡愁感觉吧。

元々、鳥自体が日本人にとって他の動物とは一線を画した扱いが神話時代からされております。神社の鳥居もその名の通りに神の使いである鳥が休む場所として設置されたのが始まりとしており、ヤタガラスが現代にまで伝えられているのもそうした流れなのかもしれません。

原本从神话时代开始,对日本人来说鸟类就受到跟其他动物不同的礼遇。神社的鸟居也名副其实,是为给神的使者——鸟休憩所用才开始建造的,八咫乌鸦能跨越时空流传到现在估计也脱不开这典故吧。

なんだか話が尻切れトンボ気味ですが、最後にカラスに関するエピソードを二つ紹介します。

觉得故事说得有头无尾的,最后再来介绍两则跟乌鸦有关的趣事。

カラスの死骸が街中でほとんど見られないことについて昔に矢追純一氏が、「カラスは死んだ瞬間にこの世から消滅する」と一時期主張していました。なんか妙なところで説得力あって変に納得しそうになりましたが、なんとなくこのカラスがなぜ電線に止まって感電しないのかという話に通じるものがある気がします。

关于街上几乎看不到乌鸦尸体的情况,以前矢追纯一曾主张称“乌鸦死掉的瞬间就从世上消失了”。总感觉这有着很微妙的说服力,让人几乎就要昏头昏脑地赞同了,不过我总感觉这跟乌鸦停在电线上却不会触电有异曲同工之妙。

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