凄風冷雨のこの一日が来てから、教員等は政府に未払月給を請求したので、新華門前の泥々の中で軍隊に打たれ、頭を破り、血だらけになった後で、たしかに何程かの月給が渡った。方玄綽は手を一つ動かさずにお金を受取った。古い借金を少し片づけたがまだなかなか大ものが残っていた。それは官俸の方がすこぶる停滞していたからで、こうなるといくら清廉潔白の官吏でも、月給を催促しないではいられない。ましてや教員を兼ねた方玄綽は、自然教育会に同情を表することになった。だから衆が罷業の継続を主張すると、彼はまだ一度もその場に臨んだことはないが、しんから悦服して公共の決議を守った。

待到凄风冷雨这一天,教员们因为向政府去索欠薪,在新华门前烂泥里被国军打得头破血出之后,倒居然也发了一点薪水。方玄绰不费举手之劳的领了钱,酌还些旧债,却还缺一大笔款,这是因为官俸也颇有些拖欠了。当是时,便是廉吏清官们也渐以为薪之不可不索,而况兼做教员的方玄绰,自然更表同情于学界起来,所以大家主张继续罢课的时候,他虽然仍未到场,事后却尤其心悦诚服的确守了公共的决议。

それはそうと政府は遂に金を払った。学校もまた開校した。ところがその二三日前に、學生聯盟は政府に一文を上程し、「教員が授業しなかったら未払月給を渡す必要はない」と言った。これは少しも効力がなかったが、方玄綽は前の「授業すればお金をやる」という政府の言葉を思い出し、「大差無し」の一つの影が眼の前に浮び出し、どうしても消滅しない。そこで彼は講堂の上で公表した。
  
然而政府竟又付钱,学校也就开课了。但在前几天,却有学生总会上一个呈文给政府,说“教员倘若不上课,便要付欠薪。”这虽然并无效,而方玄绰却忽而记起前回政府所说的“上了课才给钱”的话来,“差不多”这一个影子在他眼前又一幌,而且并不消灭,于是他便在讲堂上公表了。

右の通りこの「大差なし」を煎じ詰めると、そこに一種の私心的不平が伴うていることがわかり、決して自分が官僚を兼ねていることを弁解したものではない。ただいつもこういう場合に彼は常に喜んで、中国将来の運命というような問題を持出し、慎みを忘れて自分が立派な憂国の志士であるように振舞う。人々は常に「自ら知るの明」なきを苦しむものである。
  
准此,可见如果将“差不多说”锻炼罗织起来,自然也可以判作一种挟带私心的不平,但总不能说是专为自己做官的辩解。只是每到这些时,他又常常喜欢拉上中国将来的命运之类的问题,一不小心,便连自己也以为是一个忧国的志士;人们是每苦于没有“自知之明”的。

しかし「大差無し」の事実はまたまた発生した。政府はまず人の頭痛の種を蒔く教員を放ったらかしたが、あとではあっても無くてもいいような役人どもを放ったらかした。未払いまた未払い、さきに教員を軽蔑していた役人どもは、そのうち幾人かは月給支払要求大会の驍将となった。二三の新聞には彼等を卑み笑う文字がはなはだ多く現われたが、方玄綽はこれを少しも不思議とは思わない。何となれば彼の「大差無し」説に依って、新聞記者はまだ潤筆料の支払いが停止しないから、こういう呑気な記事を書くので、万一政府もしくは後援者が補助金を断つに至ったら、彼らの大半は大会に赴くだろうと認識したからである。
 
但是“差不多”的事实又发生了,政府当初虽只不理那些招人头痛的教员,后来竟不理到无关痛痒的官吏,欠而又欠,终于逼得先前鄙薄教员要钱的好官,也很有几员化为索薪大会里的骁将了。惟有几种日报上却很发了些鄙薄讥笑他们的文字。方玄绰也毫不为奇,毫不介意,因为他根据了他的“差不多说”,知道这是新闻记者还未缺少润笔的缘故,万一政府或是阔人停了津贴,他们多半也要开大会的。

彼は既に教員の月給支払請求に同情したので、自然同僚の月給支払請求にも賛成した。しかし彼は衆と一緒に金の催促にはゆかない。やはりいつものようにお役所の中に坐り込んでいる。彼は一人偉がっているのじゃないかと疑う人もあったが、それは一種の誤解に過ぎない。彼自身の説に拠ると、生れてこの方、人は彼に向って借金の催促をするが、彼は人に向って貸金の催促をしたことがない。だからこの点においては「長ずる処にあらず」。その上彼は手に経済の権を握る人物が大嫌いだ。この種の人物はいったん権勢を失って、大乗起信論を捧げ、仏教の原理を講ずる時にはもちろんはなはだ「藹然親しむべき」ものがある。けれど未だ宝座の上にある時には結局一つの閻魔面で、他人は皆奴隷のように見え、自分ひとりがこの見すぼらしい奴の生殺の剣を握っていると思っている。そういうわけで彼はこの種の人物を見るのもいやだし、また見たいとも思っていない。この気癖が時に依ると、自分ながらも一人離れて偉く見えるが、同時に実は本領がないのじゃないかと疑うことがある。
 
他既已表同情于教员的索薪,自然也赞成同寮的索俸,然而他仍安坐在衙门中,照例的并不一同去讨债。至于有人疑心他孤高,那可也不过是一种误解罢了。他自己说,他是自从出世以来,只有人向他来要债,他从没有向人去讨过债,所以这一端是“非其所长”。而且他是不敢见手握经经济之权的人物,这种人待到失了权势之后,捧着一本《大乘起信论》讲佛学的时候,固然也很是“蔼然可亲”的了,但还在宝座上时,却总是一副阎王脸,将别人都当奴才看,自以为手操着你们这些穷小子们的生杀之权。他因此不敢见,也不愿见他们。这种脾气,虽然有时连自己也觉得是孤高,但往往同时也疑心这其实是没本领。

誰も彼も左を求め右を求め、一節期一節期を愚図々々に押し通して来たが、方玄綽などは以前に比べるととてもあがきが取りにくくなって来た。だから追い使いのボーイや出入の商人にはいうまでもなく、彼の奥さん、方太太ですらも彼に対してだんだん敬意を欠くようになって来た。彼女は近頃調子を合せず、いつも一人極めの意見を持出し、押しの強い仕打ちがあるのを見てもよくわかる。五月四日の午前に迫って彼は役所から帰って来ると、彼女は一攫みの勘定書を彼の鼻先に突きつけた。これは今までにないことである。

大家左索右索,总自一节一节的挨过去了,但比起先前来,方玄绰究竟是万分的拮据,所以使用的小厮和交易的店家不消说,便是方太太对于他也渐渐的缺了敬意,只要看伊近来不很附和,而且常常提出独创的意见,有些唐突的举动,也就可以了然了。到了阴历五月初四的午前,他一回来,伊便将一叠账单塞在他的鼻子跟前,这也是往常所没有的。

「すっかり〆め上げると百八十円。この払いが出来ますか」彼女は彼に目も呉れずに言った。
  
“一总总得一百八十块钱才够开消……发了么?”伊并不对着他看的说。

「フン、乃公)はあすから官吏はやめだ。金の引換券は受取ったが、給料支払要求大会の代表者は金を握り締め、初めは同じ行動を取らない者にはやらないと言ったが、あとでは、また、彼等の跡へ跟いて行ってじかに受取れと言った。彼等はきょうお金を握ると急に閻魔面になった。乃公は実際見るのもいやだ。金は要らない、役人もやめだ。これほどひどい屈辱はない」
 
“哼,我明天不做官了。钱的支票是领来的了,可是索薪大会的代表不发放,先说是没有同去的人都不发,后来又说是要到他们跟前去亲领。他们今天单捏着支票,就变了阎王脸了,我实在怕看见……我钱也不要了,官也不做了,这样无限量的卑屈……”

方太太はこの稀れに見るの公憤を見ていささか愕然としたが、すぐにまた落ちついて、「わたしはやはり御自分で取りに被入る方がいいと思います。これじゃしようがありませんからね」と、彼女は彼の顔色を窺った。

方太太见了这少见的义愤,倒有些愕然了,但也就沉静下来。“我想,还不如去亲领罢,这算什么呢。”伊看着他的脸说。

「乃公は行かない。これは官俸だよ。賞与ではないぞ。定例に依って会計課から送って来るのが当りまえだ」

“我不去!这是官俸,不是赏钱,照例应该由会计科送来的。”

「だけど、送って来なかったらどうしましょうね。おお昨日いうのを忘れましたが、子供の月謝をたびたび催促されて、もしこの上払わないと学校で……」
  
“可是不送来又怎么好呢……哦,昨夜忘记说了,孩子们说那学费,学校里已经催过好几次了,说是倘若再不缴……”

「馬鹿言え、大きな大人を教育してさえ金が取れんのに、子供に少しばかり本を読ませて金が要るのか」

“胡说!做老子的办事教书都不给钱,儿子去念几句书倒要钱?”

彼はもう理窟も何も放ったらかしで彼女を校長がわりにして鬱憤を晴らすつもりでいるらしいから手がつけられない。で、彼女はなんにも言わない。

伊觉得他已经不很顾忌道理,似乎就要将自己当作校长来出气,犯不上,便不再言语了。

二人は黙々として昼飯を食った。彼は一しきり考え込んでさも悩ましげに出て行った。

两个默默的吃了午饭。他想了一会,又懊恼的出去了。

旧例に依れば近年は節期や大晦日の一日前にはいつも彼は夜中の十二時頃、ようやく家に到著して歩きながら懐中を探り大声出して、「おい、取って来たよ」と、ごちゃ交ぜにした中国交通銀行の紙幣を彼女に渡し、顔の上にはいささか得意の色があった。ところが五月四日のきょうというきょうは先例を破って彼は七時前に帰って来た。方太太は大層心配して、彼は辞職したかもしれないと、そっと顔色を覗いて見たが、別段悲観した様子も見えない。

照旧例,近年是每逢节根或年关的前一天,他一定须在夜里的十二点钟才回家,一面走,一面掏着怀中,一面大声的叫道,“喂,领来了!”于是递给伊一叠簇新的中交票,脸上很有些得意的形色。谁知道初四这一天却破了例,他不到七点钟便回家来。方太太很惊疑,以为他竟已辞了职了,但暗暗地察看他脸上,却也并不见有什么格外倒运的神情。

「どうしてこんなに早かったの」彼女は彼の顔色を見定めて言った。
 
“怎么了?……这样早?……”伊看定了他说。

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