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『どんなご趣味をおもちですか?』と聞かれたら、あなたはどう答えるのだろうか。読書、映画、ゴルフあたりが会話としては自然かもしれないが、どうも面白みに欠ける。そこで筆者からの提案。ためしに『趣味は虫聴き(むしきき)です』なんていうのはどうだろう。これはかなり意表をついた答え方であり、あなたは風流人として一目置かれることウケアイである。

“平时有什么样的兴趣呢?”,当被这样问起时,您如何作答呢?一般对话中,回答读书、电影、高尔夫等等是很自然的,然而却少了些新意。于是笔者就出个主意。不妨尝试说说“我的兴趣是听虫鸣”。这无疑是个出人意外的回答,保证您会被视为风流雅士,让人另眼相待。

「虫聴き」というのは、早い話が郊外へ出かけて行って秋の虫の音を聴いて楽しむというものである。松虫、鈴虫、クツワムシなど、お馴染みの虫の音を聴くために、江戸の人々は好んで出かけた。庶民も武士も秋の夕暮れ時に出かけては耳をそばだてた。

“听虫鸣”也就走到郊外,倾听秋虫的鸣唱,不过现在的季节还为时尚早。诸如松虫、铃虫、纺织娘等等,为了听到自己喜爱昆虫的声音,江户的人们满心憧憬走到了郊外。秋天的傍晚时分,无论是平民还是武士,大家都侧着耳朵倾听虫鸣。

江戸には、虫聴きの名所があった。No.1は道灌山である。名前の通り、江戸城を築城した太田道灌(おおたどうかん)の屋敷があった場所で、山というより小高い丘である。現在のJR西日暮里駅に隣接する荒川区西日暮里三丁目~四丁目の辺り。今は開成中学・高校がある。筆者もここを訪れてみたことがあるが、当時の面影はもうない。西日暮里公園にいくらか当時の雰囲気が残っている。

在江户,有好几处听虫鸣的胜地。排名第一的便是道灌山了,这里是一个比山稍高一些的小坡,位置大概相当于今天JR西日暮里站附近荒川区西日暮里三丁目到四丁目的区域。如名字所示,太田道灌的宅邸就曾建在这里,而他正是江户城的修筑者。现在这里是开成学校的初中部和高中部。笔者也曾造访过此地,不过昔日景象已丝毫无存了。只有西日暮里公园还残留了一些当年的风景。

江戸時代の道灌山は、眺望もよく四季折々の自然が楽しめる江戸庶民のいわば観光スポット。文人墨客(ぶんじんぼっかく)も数多く訪れた。この辺りは諏方(すわ)神社、浄光寺、修性院、青雲寺、養福寺、本行寺といった名だたる寺社があり、季節の花が咲き乱れた。虫聴きはもちろん、花見や月見、雪見にも最適な場所だった。

江户时代的道灌山,观景角度极好,足可享受四季相异的自然雅趣,可以说是江户百姓的观光胜地,还引得众多文人墨客也翩然造访。附近有诹访神社、净光寺、修性院、青云寺、养福寺、本行寺等著名的寺社,四季繁花竞开争妍。这里不但适合听虫鸣,还是赏花、赏月、观雪的最佳场所。

「日暮里」という地名は本来「新堀」と書く。なぜ字が変わったかといえば、どうも江戸人特有の洒落らしい。人々は新堀を日暮里という字に当て「日暮らしの里」と呼んだ。のんびり心地よく時間を過ごせる場所だったことが伺われる。

“日暮里”这一地名原本写作“新堀”。为什么书写上出现了变化呢?其实这来自江户人特有的幽默。人们用“日暮里”这种写法,替代原本的“新堀”,将这里称作“日暮らしの里(悠闲之乡)”,不难窥见这里是个让人悠哉休闲的好去处。

当時の虫聴きの様子がこの図会に美しく表現されている。構図も素晴らしい。眺めのよい場所に陣取った男たちが酒を酌みかわしながら、今昇ったばかりの満月を愛(め)でている。思いきりくつろいでいる男もいる。BGMはリーン、リーンと鈴虫の声。左の坂道には、虫籠を持った子ども。捕ったばかりの虫を母親に見せているところだろうか。

下面这幅图就生动呈现出当时人们欣赏虫鸣的景象。画面构图十分巧妙。几个男人在眺望风景最好的地方摆开席面,一面把酒畅饮,一面观赏刚刚升起的满月。其中一位,干脆舒展了四肢享受惬意。BGM是“铃、铃”的铃虫之声。左边的斜坡上是提着虫笼的孩子,似乎正在给母亲展示刚刚捕到的虫子。

《江户名所图绘・道灌山听虫》

江戸名所図会の本文には「道灌山」と題してなかなかの名文が載っているので紹介しておこう。

『…殊に秋の頃は、松虫・鈴虫露にふりい出て、清音をあらわす。よって雅客幽人(がかくゆうじん)ここに来たり、風に詠じ月に歌いて、その声を愛せり。』

江户名所图绘的正文题名“道灌山”,其下是一段流传甚广的名文。现摘录如下。“尤其秋暮时分,松虫、铃虫声声鸣唱,如露般,短促无常。其声澄净悦耳。文人雅客因之来此,咏风歌月,赏爱其声。

風流というのは、きっとこんなことをいうのだろう。虫聴きのような遊びを忘れてしまった現代人は、ちょっとさみしい気もする。

所谓“风流”,想必就是这样的吧。而现代人则忘却了谛听虫鸣的乐趣,多少让人觉得遗憾。

晩夏から秋にかけて江戸市中には、松虫や鈴虫を売る「虫売り」がやって来た。写真のような屋台に虫籠をいっぱい積み、担いで町中を売り歩いた。幕府が業者の数を制限するほど多くの虫売りが出て、虫は武士にも長屋の住民にも人気があったようである。

从晚夏到秋季的时节,专门贩卖松虫子和铃虫的“虫贩子”会来到江户城里。就像下面这张照片所展现的,他们在货箱中放满虫笼,肩挑担子穿街走巷,叫卖商品。当时江户的虫贩子人满为患,甚至需要幕府来限制该从业人数。无论是武士还是长屋居民,都对虫子情有独钟。

秋の虫を楽しむ虫聴きは、道灌山や飛鳥山に出かければ簡単なのに、なぜ買ってまでしたのだろうか。野山の虫をわざわざ家で聴くというのは、たとえ裏長屋であろうとも大江戸八百八町で暮らす一種の誇りある生活スタイルだったからである。

不过,要想倾听一下秋虫之声,享受虫鸣之乐,直接到道灌山或飞鸟山就行了,为什么还要购买虫子呢?其实,在江户的大街小巷里,特地买来山野昆虫放在自家欣赏是一种值得炫耀的生活方式,即便在里长屋也是如此。

秋の虫の音を楽しむことは、日本古来からの娯楽であり文化だった。何も江戸時代に始まったことではない。平安時代の源氏物語五十四帖にはすでに『鈴虫の帖』として登場し、鈴虫や松虫の音を楽しむ様子が書かれている。江戸時代には、社会が安定したこともあって虫聴きのような娯楽が一般庶民に広く流行したのだろう。

欣赏秋虫之音是日本自古便有的娱乐,并不是从江户时代才开始的。平安时代的《源氏物语》中,第五十四帖就是《铃虫帖》,其中描述了贵族欣赏铃虫和松虫鸣声的情景。或许到了江户时代,由于天下一片安宁,所以听虫鸣的娱乐也就扩展到平民中间了吧。

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