三等奖

「一寸ばかりの思いやり」

劉密密(上海理工大学)

皆さん、一寸という言葉を聞いたら、何を思い出すのでしょうか。一寸の光陰、一寸の虫、一寸法師などなど、答えはまちまちに違いません。しかし、一寸ばかりの思いやりを聞いたことがありますか。たぶんないと思います。

ある日のことです。日本の姉妹校から交流団がやってきました。私は田中千理さんという方の案内役を担当することになりました。日本のお客さんが来たら、豫園、バンド、新天地への見学が定番となりました。バンドの素晴らしい夜景を彼女に見せたいので、翌日、バンドへ行く約束をしました。

ゴールデン・ウィークなので地下鉄の混雑を考慮して、二人はいつもより早めに出ました。でも、地下鉄に着いたら、もう目眩しいほどの長蛇の列です。ラッシュだから、人が多くて、とても騒々しい。視線の及ぶところ全部人間の波です。私たちは人の流れに揉まれて、ようやくホームに入り、行列の後ろに並びました。その後、わたしのうしろはプリーフケースを持っておじさんが並んでいました。彼は時々時計を見て、急ぎ事でもあるかのようです。とうとう電車が来ました。みんなは我先に電車に乗るために、列が一瞬で崩れてしまいました。後ろの人に押されながら、私と千理ちゃんが電車に押し込まれました。

後ろにいるあのおじさんも無理矢理に乗り込もうとした。でも、車内はすでに缶詰なので無理です。彼は諦めずに額の汗を拭きながら、もう一度チャレンジした。やはり無理だった。見る見るうちにドアが閉まろうとした。「あの、私たち、もう少し奥へ詰めましょう」と、千理ちゃんは私を引っ張って言いました。私はいやいやながら手に下げたハンドバッグを胸に抱えることにして、一本の木のようにまっすぐ立たされました。おじさんはちょっとした隙を見て辛うじて電車に入り込みました。

ぎゅう詰めの地下鉄を出てようやく開放されました。千理ちゃんとまた先のおじさんのことを話し始めました。「あのおじさん、いやだわ。次の電車に乗ればいいんじゃ。私、知らない人と顔を付き合わせるのがいやだわ」と文句をもらした。千理ちゃんは微笑みながらこう話した。「そうだわ。まったく知らない人だからね。でも、あのおじさんは急用があるかもしれません。思いやりの心をもって一寸だけ譲っただけであのおじさんは電車に乗れました。だれにでもいつか急用があるではないでしょうか」。千理ちゃんの優しい考えに返す言葉を失いました。

今回の民間交流を通して、譲り合うことの大切さを改めて考えさせられました。今の社会ではもっとも足りないのはこの一寸ばかりの思いやりではないでしょうか。あの先哲である孟子の教えには辞譲之心、礼之端也というのがあります。つまり、譲り合う心は礼の始まりだという意味です。思うに今日の中日関係についても同じことが言えるのではないでしょうか。自国の都合だけではなく、常に譲り合う心、つまり、一寸ばかりの思いやりを持つことが何より大切です。

【創作のインスピレーションと】

これまで私はずっと、日本人の他人に対する思いやりに感動してきました。日本人は相手の気持ちをよくくみ取り、相手に迷惑をかけないようにします。魚心あれば水心と言って、相手の立場にたって理解し、思いやり、平和的に共存します。この点を私たちは大いに見習うべきだと思っています。

日本の学生である田中千理さんと交流するうちに、私は、いつも彼女の思いやりに気付かされました。田中さんと私は同年齢なのですが、彼女は私が気にしないくらい細やかなことにも、よく気を使います。例えば私の作文中にもありますが、混雑した地下鉄に乗るとき、私たちはつい自分のことだけを考えてしまい、乗れないでいる人々の焦る思いに気付かないでいることがあります。電車の奥の方へほんのちょっと詰めてあげれば、外にいる人たちも乗り込めるのですが、多くの人々が混雑した地下鉄に自分が乗った後、面倒くさくなってしまい、そうしようとしません。本当は地下鉄にもっと人が乗れるのに、私たちが気づかないせいで、外にいる人々が乗り込めないのです。思うに、田中千理さんのような気配りと思いやりが私たちには必要です。より高い次元から言うなら、このことは中日両国間の交流においてもまた必要ではないでしょうか?