三等奖-02-
中日関係のゆくえ
东华大学-马沁芸

「新婚旅行で中国に行ったんだよ。上海と南京の辺りに。列車に乗っていた時、アブラナの花畑がたまたま目に入ってね。あまりの美しさに感動を覚えたんだ。もう30年も前のことになるけど、あの花畑の様子はまだ鮮明に記憶に残っているよ。」金沢に留学している時、指導教員の西村先生は私にこう言ってくれた。

春になると、黄色のアブラナの花畑は田舎の至る所で見られる。広々としたアブラナの花の海が日差しの下できらきら輝く様子は可愛らしく、確かに人を惹きつける。このような景色との偶然の出会いこそが、西村先生に忘れ難い新婚旅行の思い出を蘇らせ、中国への好感を持たせたのだ。なぜかははっきりと分からないが、金沢から帰国してから、先生のこの言葉が時々心に浮かんでくる。

最初に日本に交換留学に行くと決めた時、家族からは猛反対された。ちょうど中日関係がひどく緊張している時期だったからだ。釣魚島の領土問題等を巡って、両国は政治の面で様々な摩擦を起こしていた。インターネット上でも極端な反日言論が盛り上がっている状態だった。そのため、家族は非常に心配した。「もし中国人であるお前が日本人に冷遇されたら…」「もし事態が戦争にまで至ったら…」と。このように家族や親友に言われたことのある留日学生は、決して私一人だけではないだろう。しかし留学するという決意は揺るがなかった。日本語を勉強している以上、日本に行って、身をもって日本を実体験するのが一番だと考えた。結局、家族に不安そうに見送られながら、日本への飛行機に乗った。

正直に言えば、私自身も少し心配だった。だが、心配よりも期待の方がより強かった。「百聞は一見にしかず」という諺が語るように、実際に自分自身で体験しないと、真実が一体何かなど分かりっこないではないか。その後の日本での経験は私の考えを実証してくれた。両国の政治上の緊張感と違って、日常生活においてはそのような雰囲気が全く感じられなかった。日本人は国籍や身分に関わらず、困っている人がいれば誰にでも手を差し伸べてくれる、というのが、私が日本に着いてからの印象だった。日本に行ったばかりの私はよく道に迷ってしまい、毎回日本人から親切に案内してもらっていた。「日本人は冷たい」という先入観はすぐに消え去った。そればかりか、日本人の友人もすぐにできた。私が知っている限り、中国人に偏見を持っている日本人は一人もいない。逆に中国文化が好き、中国に旅行に来たいと思っている人が何人もいる。日本国民全体を見れば中国が嫌いな人はいないとは言えないだろうが、私の目で見た日本人の姿は私をほっとさせてくれた――両国の国民は友好の道を歩んでいる。

日本に着いたのは四月だった。ちょうど花見の季節であった。私のチューターの桶田さんと共に、兼六園へ桜を見に行った。満開の時期を少し過ぎていたが、また一味違った趣が味わえた。舞い落ちる花びらを見ながら、桜道を歩き回った。桶田さんは私より一つ上の可愛い女子学生で、当日は綺麗な和服を着て来てくれた。「ここでお弁当を食べましょうか。」と、桜の木の下で、桶田さんは私に微笑みながら手を振ってくれた。私は一瞬のうちに、目の前の景色に見惚れてしまった。ピンク色の桜の木の下で、和服を着ている少女の微笑。これこそが和の美しさというものではないか。日本という国への好感を抱き始めたのはこの時だったかな。恐らく西村先生が中国でアブラナの花畑を見た時も同じ気持ちだったのだと思う。

中国のアブラナの花も日本の桜も、美しさ溢れるものだ。日本人も中国人も、美を求めるという人間の共通性を持っている。だからこそ、互いの美を発見し合って、理解し合うことが可能なのだ。政治上の摩擦は各国の利益のため、違う立場に立っているからこそ起きるものだが、国民である我々が、美を、平和を、友好を、世の中のあらゆる素晴らしいものの姿を末永く保ち続けたいと願う気持ちに国境はないのだ。こういう共通の願いを持ってさえいれば、いくら政治的な紛争があっても、仲直りして前を向いて進むことができるように思う。

一年間は早かった。花見の季節がまた来た時、私は留学生活を終えて国に帰った。元気で楽しそうにはしゃぐ私の姿を見たら、家族の態度も変わった。家族は私の土産話を「へぇ」と驚きながら聞いていた。「また今度家族で日本へ旅行に行ってみよう。」と母が言った。

政治上の厳しい背景で、民間交流の重要性がますます強調されている。日本語を学んでいる我々の責任は、双方の国のすばらしさを双方の国民に伝え、共感してもらうこと。両国の友好には我々の力が必要だ。願っているだけでは足りない。努力することだ。我々が自分の役割を果たせば必ず来る。中日友好の明るい将来が。

春はまた来る。その時、アブラナの花も桜の花も満開になる。その美しい風景をぜひぜひ多くの人に満喫してもらいたい。