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中日交流における感動的な人物や出来事

沈震乾(上海外国語大学)

今年6月末、「第五回中国昆劇芸術祭」が江蘇省の昆山市で開かれた。そのなかで上演された特別な「牡丹亭」が観客を唸らせたという。昆劇の伝統演目が出されたことは何の変哲もない話だが、ヒロインの杜麗娘を演じた役者の名前を見て実に驚いた。歌舞伎俳優の坂東玉三郎だった。

約90年前、坂東氏の祖父(十三代目勘弥)と父親(十四代目守田勘弥)は京劇女形として名高い梅蘭芳との間に交流をし始めた。坂東氏は幼い頃から、その影響を受けつつ中国の古典劇に興味を抱き、特に京劇「貴妃酔酒」の魅力に取りつかれていた。憧れあってのことか、二十歳の時、父親とこうしたエピソードがあった。「お前、新作物なら何がやりたいのだ」と父親から聞かれ、「楊貴妃をやりたい」と答えると、「お前、とんでもないことを言うもんじゃないよ。なかなかできるものではないんだよ」と諭されてしまった。しかし、京劇への強い思いと弛まぬ日々の研鑽により、当時語られた抱負は十余年後の1987年、舞台「玄宗と楊貴妃」の上演でようやく花開いた。

その後、京劇の源流に昆劇の存在があることと、「貴妃酔酒」も昆劇の「牡丹亭」の様式から影響を受けたことを知り、昆劇を演じるという新たな挑戦に踏み切るようになった。ところが、それは決して平坦な道のりではなかった。昆劇は約6百年前に蘇州の昆山地域から発祥したと言われている。その歌やセリフが昔の昆山方言を基礎にしたので、外国人どころか、一般の中国人でもすべて聴き取ることも至難の業であろう。それを越えるために、坂東氏は師匠の張継青のパフォーマンスをビデオでみることで、口のあけ方や発音を真似したり意味が解らない時にほとんど毎日国際電話で師匠に訊いたりして恐らく想像を絶するほど大きな努力を重ねた。2008年、中日共演の昆劇「牡丹亭」がついに幕開きを迎え、大きな反響と好評を博した。

坂東玉三郎と昆劇「牡丹亭」。今年の中日共演を観てそれに関連する経緯を調べて知った。それは正しく感動の連続だった。

まずは、坂東氏の昆劇に対する真剣な姿である。坂東氏が杜麗嬢を演じることは、いくら歌舞伎の女形に共通しているにしても、容易なことではない。「言葉の壁」はともかく、肝心の文化的な背景を理解できないと芝居がよく伝わらないからだ。しかし、昆劇の真髄を究めるべく中国の古典を読んでセリフへの理解を深めたり資料を調べてしぐさの意味を咀嚼したりした坂東氏の姿に、思わずグッとした。同時に、何百年も前の中国のお嬢さんを生き生きと蘇らせることを日本人役者がこれほど完璧にやり遂げたことも頷けた。

次は、親子三代にわたって受け継がれる中国演劇への熱意である。坂東氏が蘇州ではじめて昆劇の美しさに惹きつけられた姿は、恐らく彼の祖父や父親が京劇から感動を得た時の姿とぴったりと重なってしまうのかも知れない。また張継青との交流と、その前の梅蘭芳らとの交流がある意味では一つの繰り返しであることも不思議な縁と思えてならない。何れにしても、坂東氏が楊貴妃と杜麗嬢を演じたことは、彼の祖父と父親がとうに他界してみる術もなかったが、その中国演劇への熱意を代々脈々と継承することができたに相違ない。

さらに、今でも謙虚な姿勢をもって中国文化に接することである。昔、日本が遣隋使と遣唐使を中国に派遣して中国の文化を教わった時代があった。いわば「生徒」と「先生」との関係だ。しかし、時代が変わり、日本漫画・アニメの流行、AKB48を代表とするポップカルチャーの人気上昇、「武士道精神」の高揚など、周りをよく見渡せば、今は多くの文化を日本が世界に発信し続けている。そうした様々な「クールジャパン」が世界中で盛んになり文化も多元化していくなかで、依然として謙虚さをもって中国の伝統文化に目を向け、指導や意見に耳を傾けその文化の真髄を追い求めたことには、なぜか一種の感動が湧き起こった。国の文化が豊かになっているからといって、驕りを持つわけにもハングリー精神を捨てるわけにも行かず、多様な文化を吸収すればするほど独特な光彩を放つことを、今一度日本から学ぶべきではないだろうか。

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