优秀奖

「わたしと日本」

劉翠(北京外国語大学 )

五年前、大学の日本語科を卒業したばかりだった私は日本人先生の強い勧めで初めて日本を訪ねた。それは一ヶ月余りの長い旅だった。先生に奈良・京都・大阪・富士山などを案内してもらい、かつて教科書の中だけで知っていた名所旧跡や伝統行事(例えば祇園祭など)をしっかり自分の目で確かめることができた。私にとって毎日が発見と感動と収穫の連続だった。

その後、京都の裏千家学園に留学する機会に恵まれた。留学の半年間は私の人生の一コマとして特筆すべき物語に満ちていた。記憶の鮮明なうちに、私の体験を思い出すままにまとめておこうと思う。

裏千家学園は普通の学校とは違い、名前の通り專らお茶の稽古と茶道についての知識を学ぶ専門学校である。入学した以上は格式に従って毎日着物姿で通学することになる。私は着物の着付けなど全く未経験なまま入学したので大変だった。入学式の前に大急ぎで日本の方に着付けを教えてもらったが、最初は悪戦苦闘した。朝起きして一時間かけて何とか様になったものの、寮から学園まで歩いて五分の間に帯は型崩れしてしまい、学園の更衣室までギリギリセーフという日がしばらく続いた。私が更衣室に入ると、同じコースの友達たちがすぐ集まって来て、私の周りに輪を作る。朝礼が始まるまでの短い時間にみなが手分けして最速で、しかも丁寧にあちこち手直してくれた。彼女たちのおかげで人前で恥ずかしい思いをせずに済んだ。時にはうまく手加減ができず、帯紐をギュッと締めすぎて、お腹がすいてもご飯が食べられずため息ばかりの日もあった。

朝礼では『般若心経』を唱和するのが日課だった。無信仰の私には初めのうちはただの呪文のように聞こえた。しかし、意味はわからないまま、やがて私もすらすらと暗唱できるようになった。読経の声に誘われ、心の落ち着きも得られ、慌ただしい毎日の中でも、ひと時の静謐を味わうこともできた。

学園のすぐ後ろには共同墓地があった。中国の共同墓地はほどんどが町の中心から離れた所にあるので、日本のように共同墓地を挟んで人家が軒を連ねている様は私には不思議な光景だった。中国人の私は中国のお墓が怖い。お墓に近づくと、中から霊鬼が現れて、さらわれるのではないかと思ったりする。たぶん子供の頃に大人から聞かされた怖い話が頭に焼き付いているせいだろう。日本の霊鬼が外国人の私には害を及ぼすこともないだろうと高をくくって、学校帰りに、わざわざ共同墓地に寄り道して一人で中を歩いてみたこともあった。眩しい昼間の光の中で卒塔婆の文字を目で追ってみた。明るい時間だったので、私にとっては怖いはずの墓地も特に怖いとは感じなかった。その時、私はふと昔よく見ていたアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の主題歌の一節を思い出した「♪夜は墓場で運動会 楽しいな楽しいな」。私は一人で笑った。

私にはもう一つ、ちょっと変わった体験がある。これはお墓ではなくて東京の明治神宮で出会った二人の日本人にまつわる話である。留学中、東京で開かれた報告会に出席した後、明治神宮に行ってみようと思いつき一人で出かけた。明治神宮は、東京では数少ない緑豊かな場所で、ちょっと神秘的な雰囲気を漂わせていた。拝殿近くまで進んだ時、後ろから男性に声をかけられた。振り返えると、通勤鞄を持った四十歳ぐらいの眼鏡の男性であった。六十歳そこそこに見える女性も一緒だった。男性は「お一人ですか。東京はいかがですか」と聞いてきた。私は一人だし、もともと用心深い性格なので、警戒心を解かずに当たり障りのない会話を交わした。そのうち男性は「いま私たちは御先祖様に見守られて幸せに生きているのです」と話し始めた。いよいよ本題に入ったらしい。私は、「来た来た」と思いながら、口では「そうですね」と相槌を打ってしばらく男性の話に付き合った。男性は最後に「御先祖様にお供え物をしてみませんか」と勧めてきたので、「それは無料ですか」と聞き返すと、「少しお金が必要です」という返事であった。私も人並みに先祖に感謝する気持ちはあるが、学生の身で元々お金もないし、即座に断って心の中だけで粛々と先祖に感謝することにした。日本にいて中国の先祖に供え物をしても、先祖は受け取れないだろうし、私の気持ちも伝わらないだろうと考えたからでもある。「これはお仕事ですか」と逆に私の方から眼鏡の男性に質問してみた。彼は会社に勤めながら土曜日だけこの仕事をしているのだそうだ。男性も特にそれ以上しつこく勧める様子もなかった。そばに立っていた女性は終始無言であった。彼らは、一体どういう団体のメンバーだったのか。いまだに私には謎のままである。

日本文化専攻の私は今後も様々な場面で、これまでは知らなかった日本の姿や形に出会うことになるだろう。それが大きなことであれ、小さなことであれ私は、もう今から興味津々である。

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